京の都、城南宮に参詣祈念後、旧小枝橋辺りから船に乗って淀川を下り、八幡八幡宮に参詣、その後再び淀川を下り天満の八軒屋船着き場に到着した。当時の淀川は現在の新淀川の流れではなく、現毛馬閘門から南に下り、桜ノ宮、天満と流れ堂島川、安治川と三角州の中を流れ大阪湾に出ていた。
八軒屋船着場に上陸した御幸一行は最初の船窪王子に参詣後九十九王子を訪ねながら熊野本宮大社を目指していく。因みに九十九王子とは99箇所の王子があるというわけではなく、それほどに多くの王子を訪ねるという意味のようで、実際は99箇所を大きく超える王子が祀られていた。
京から船に乗る箇所も何か所かあったようですが、中でも賑わっていたのは、桂川、淀川、宇治川の三川合流の地「淀」の町にあった「宮の渡し」だったようです。
「淀(古くは輿等・与等)」は、三川の水がこの地で流れがとどこおり止まる「淀む」ことから生まれた地名だと考えられています。 |