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 01:京都~天満  01-2:八幡~天満  02:天満~浅香山  03:浅香山~久米田  04:久米田~和泉鳥取  05:和泉鳥取布施屋
 06:布施屋~海南  07:海南~紀伊宮原   8: 紀伊宮原~湯浅  09:湯浅~御坊   10:御坊~印南  11:印南~芳養 
 12:芳養~稲葉根  13:稲葉根~滝尻  14:滝尻~継桜  15:継桜~熊野本宮  16:大門坂  17:かけぬけ道
 18:大雲取越え  19:小雲取越え  20:那智~那智山  21:速玉大社~那智  22:長尾坂・潮見峠  23:赤木越え
 24:大日越え  25:川の参詣道     姫のリベンジ     ウッチーの補行     那智勝浦散策  感想 & 編集後記
 
47. 津兼(井関)王子―48. 河瀬王子―49 東の馬留王子―50. 沓掛王子―51. 西の馬留王子
52. 内ノ畑王子―53. 高家王子―54. 善童子王子―55愛徳山王子―56. 海士王子
タイム
ビジネスホテル「てまり」07:30⇒津兼(井関)王子08:16⇒河瀬王子09:10⇒東の馬留王子09:30⇒大峠(鹿ケ瀬王子)10:40⇒金魚茶屋12:05⇒沓掛王子12:15⇒西の馬留王子12:52⇒ 内ノ畑王子13:19⇒高家王子13:51⇒善童子王子14:50⇒愛徳山王子15:13⇒海士王子16:43⇒御坊駅ゴール17:00 
 ▲8日の夜のお宿 ビジネスホテル「てまり」
ビジネスホテル『てまり』さんで湯浅の町で朝を迎えました。てまりの屋号は(^^♪「てんてんてんまりてんてまりてんてんてまりの手がそれて…」に因んでいるようです
美味しい朝食をいただき 早朝出発のメリットを存分に活かして、7時30分にスタートです。国道42号を越え昨日訪れた久米崎王子の下を通って広川沿いを歩きます
▲お地蔵様や無縁仏の墓石を集めてお祀りしています
▲広川の流れ
▲ 47番 津兼(井関)王子跡
、高速道路の高架をくぐり小さな広場に47番「津兼(井関)王子跡」と書いてありました。井関王子はここに合祀されていたのです。来た道を引き返し、コンビニで昼食用のバンをそれぞれが買い求め再び街道へと戻ります。この辺りは宿場町であり旅籠跡が多く残る割には狭い熊野古道が続いています。
道なりに進んで行くと、赤い鳥居が立ち並ぶ神社の前に着きました。
▲街道に江戸時代末期の熊野古道・井関村の様子が描かれています
井関を通過するとに門前に建つおじ様が教えてくださいました。
「熊野詣が盛んだったころ、旅人は海南で宿泊し早立ちをしたそうです。藤白坂を上り地蔵峰寺から橘本に下り再び拝ノ峠を越えて宮原へ下り、糸我の集落から糸我峠を越えさらに方津戸峠から湯浅に下り、広川に沿って歩いて、この井関村が次の宿場になったようです。この間およそ30km。菅笠に草鞋掛け振り分け荷物という井出達の旅装束もままならない当時は大変な旅であったことが伺えます」と教えてくださいました
 ▲美味しい癒しの水 株式会社 タストさんの会社の中にありました
説明文には 12世紀から13世紀にかけて熊野詣が華やかなりし頃、 この地区では旅籠が営まれ井関王子・河瀬王子の巡礼路として栄えていました。 参詣者は川に浸かって体の疲れを癒し、 弊社敷地沿いの川べりから湧き出てくる霊泉水で喉を潤したそうです。そこで弊社創業35周年を記念し、地下100mからこの霊泉水を汲み上げ、千年の時を超えて、天然 アルカリ県央水として皆さんに飲んでいただくことになりました。古来からのその優れた効能がて伝えられる「癒しの水」を是非ご賞味ください。                                 株式会社 タスト 役員一同 と記されていました 。
 ▲カンラ・カンラ 満腹満腹…高笑いをする姫  ▲和歌山県の宿に宿泊すると抽選で旅行券が当たるそうです   
▲丹賀大権現社です。ここには津兼王子(井関王子)を合祀しているのでお参りしました。
▲ 48番 「河瀨(ごのせ)王子」跡です。  ここでストックを出し大峠のきつい坂道に備えることにしました。
井関の集落には多くの旅籠が建ち並んでいたそうで民家の前には昔の名残の標識が掛かっていました。ここからは鹿ヶ瀬峠の登りになります。鹿ケ瀬峠は急峻で道程も長いので麓には旅籠が多く、養生場(馬などの養生したところ)といわれた跡を過ぎ亀屋、紀の國屋、松屋、竹屋藤屋、綿屋、枡屋、車屋などの旅籠が点々とあったそうです。 
▲地蔵寺本尊地藏菩薩立像
▲ 49番 東の馬留王子跡
▲徳本上人名号碑 ▲立場跡です
集落を抜けて上って行くと49番「東の馬留王子」跡になります。登山口には「鹿ヶ瀬峠まで2340m」という標識がありました。しばらく行くと駕籠から馬に乗り換えるための乗り物中継地の立場跡という標識がありました。駕籠はここまで、この先は牛馬に頼るのだそうです。
ここで軽トラックで通過する狩猟パトロール中のおじ様たちと出会いました。「ここから先はきついで~」「頑張りまーす」短い言葉を交わしてすれ違いました。旅の良い思い出です。 その先に「峠まで2030m」の標識がありました。鹿よけのゲートあり。 またまた矢田峠の囚われの身のイノシシ親子を思い出してしまいました。 
猪垣を開けてミカン畑の中の道を歩かせていただきました。傾斜はきついのですが車道の半分の距離でショートカットできます
▲鹿ヶ瀬峠(大峠)に向けて登っていきます
▲ 痔のお地蔵さま  ▲法華の壇指示標  ▲峠への石畳道
樹林の中を歩き「峠まで710m」の看板を見て石畳の道に入りました。またまた鹿よけのゲートあり。「法華の壇」という史跡がありました。
『今から一千年以上昔、鹿ヶ瀬峠でのことです。生涯で六万部の法華経を読む修行をしていた比叡山の僧、円善上人は、熊野三山への途中で病に倒れ亡くなりました。それから百年ほどしたある日のこと、この地を壱叡という僧が通りかかります。峠で野宿した壱叡は深夜、法華経を読む声で目が覚めました。翌日、不思議に思って宿のまわりを歩いてみると、大きな木の下に苔むしたドクロがあるではありませんか。しかも赤い舌だけを動かしてお経を発しているのです。それは志半ばでこの地において行き倒れた円善上人でした。死んでなお修行を全うしようとする僧の姿に深く胸を打たれた壱叡は、心を残しつつも熊野三山への歩を進め、帰路ここに立ち寄った時にはもうすでに六万部のお経を読み終えたのか、ドクロの読経は止んでいました。壱叡は円善上人をしのんでここに供養塔(法華の壇)を建て、冥福を祈ったのでした。』
▲鹿ヶ瀬峠(大峠)に到着です
▲鹿ヶ瀬峠(大峠)
 ▲石畳の傍らに立つ馬頭観音さまが台座から落ちて地面に立っていました。木の根が張り出すことによって落とされてしまったのでしょうね
峠から山道は続き、途中にお地蔵さまが見守ってくれていました。峠を下ると古い石畳道になりました。全長503mの熊野古道の最長の石畳道だそうです。石畳みが終わりミカンの木の下を歩いていると陽だまりの屋外レストランをみつけました。「ここでお昼にしよう!」と芝生の心地よい土手に座り込みました。デザートのみかんも美味しかったです。 お昼時です。
 ▲お題目板碑  ▲歌碑  ▲ちょっと休憩
▲金魚茶屋休憩所   ▲金魚茶屋跡通過中  ▲法華経塚遺跡
ランチを終え再び歩いて行くと金魚茶屋が見えてきました。熊野古道の全盛期の時は小さな川から水を引いて、茶屋で金魚を飼って大峠を越えて下ってきた疲れた旅人の心を癒やしたという話が残っています。金魚茶屋跡を通過すると黒い竹林がありました。この集落は質・生産量ともに全国一を誇る黒竹の町。黒竹は、昔から釣竿や家庭用品など、生活に密着した日用品として利用され、天然の艶と風雅さから、建築・家具などの装飾材として、生垣や庭園の植込み用としても珍重されています。『黒竹の里ぴかいち』では、さまざまな黒竹の民芸品も展示販売中。
熊野古道は国道を縫うようにして、集落の間を歩きます。石段の上に  ▲ 50番 「沓掛王子」跡に到着しました。
 ▲街道のホゴ面に竹と白百合、貴族姿が埋め込まれていました  ▲黒竹の里を通ります 
  ▲街道のなごり   ▲爪書き地藏  ▲ 原谷黒竹民芸組合
 ▲四ツ石聖蹟地  
 ▲ 51番 西の馬留王子跡碑
原谷集落を歩いて行くと小さなお堂があり「爪かき地蔵」がありました。ここでも弘法大師さまが爪で描いたのでしょう。細い道から車道に出ると、神社の石段があり「四ツ石聖蹟地」の標識がありました。細い道を入ると51番「西の馬留王子」跡がありました。殿上人たちは熊野詣の帰路に、鹿ヶ瀬峠越えを前にしてここに馬を留めたらしいです。
▲雨司神社 ▲民家の塀の間に一里塚跡の碑が埋め込まれていました
▲ 52番 内ノ畑王子跡
この辺りから左手に少し行くと万福寺に「足切地蔵」があるようです。地元の人に「あしきりさん」と呼ばれ親しまれています。
『弘法大師が讃岐で彫った仏像が大師の熊野参詣を追ってきて、帰れと言ってもきかないため爪先を切ってこの地に祀ったと言われています。この仏像は「足切り地蔵」と呼ばれ、足の病に霊験あらたかということで、全国から足の不自由な人の参拝が絶えません。また、通行安全の地蔵として尊崇され、足切りの名から大学入試の守り地蔵として、合格祈願の受験生が多くなってきています。』 
わー足に良いのならお参りすればよかった。 残念 このページをご覧の皆様が熊野古道巡拝で、ここを通過されるときはぜひ参拝してください。
 ▲  内原神社に 53番 高家王子 は祀られています
▲ 善童子王子神社に 54番 善童子王子 は祀られています
内原王子神社から戻ると紀勢線の鉄橋が見えました。水準点も見つけました。坂を上って行くと溜め池がありました。ため池周辺にはツクシが芽を出しており「あっ!もうツクシが顔出してるわ~!」靖ちゃんが大喜びで土手に座り込みました。冬が終わりを告げ山菜採りを楽しむ春がやってきたのです。しばらくツクシ摘みを楽しみ「卵とじをしょぅっと!」 夕食のメニューも決まったみたいです。 54番「善童子王子」は善童子神社の中にありました。
▲竹林の中に祀られている 55番 愛徳山王子 
善童子王子から民家の間の細い道を歩き竹林を過ぎると、わずかな距離に55番「愛徳山王子」跡がありました。竹藪の中にありなかなか見つけにくい場所に存在します。ひとりで歩いていたらうっそうとした竹藪は少し不気味にさえ感じます。ここは早い時間に通過したいものです。愛徳山王子から熊野古道に戻り安珍、清姫で有名な道成寺に立ち寄るのです 
▲新西国三十三箇所観音霊場の第五番札所  道 成 寺 
道成寺に到着した時には少し陽が傾いていました。既に沿道に並ぶ店は閉まっていて「釣鐘まんじゅう」も買えませんでした。この日が定休日なのか時間が遅いから閉まっているのかは定かではありませんが、まだ4時だと言うのに全ての店が閉まっていました。道成寺と言えば安珍、清姫の物語で有名です。思いを寄せた僧の安珍に裏切られた少女の清姫が激怒のあまり蛇に変化し、道成寺で鐘ごと安珍を焼き殺す物語は有名です。石段を上り仁王門に到着。境内には三重の塔(重要文化財)と本堂があり、安珍が隠れたという鐘楼の跡もありました。鐘楼はあの当時のものではなく再建されたものです。
(二代目鐘楼や釣鐘は豊臣秀吉の紀州攻めのとき没収され現在は京都・妙満寺にあるようです)
▲ 56番 海士王子跡 本日最後の王子です
道成寺から熊野古道にに引き返して、少し行くと56番「海士王子」跡です。まもなくゴールの御坊駅なのか線路が見えてきました。駅まではしばらく交通量の多い車道歩きとなりました。次回は御坊駅からスタートします。
▲次回は御坊駅からスタートします
 MEMO
(※交通費往路は湯浅の宿泊先からスタート
復路は青春18切符使用 
「青春18切符」の5枚全部を期日内に使おうと思うと、なかなか大変です。今回は宿泊付きでしたので往路は現金(1660円)で、復路は2枚目の青春18切符を利用しました。(1940円なのですが430円のマイナスを承知で利用)
 ひめの感想
竹藪の中にある愛徳山王子から、トップを歩き、やや急ぎ足で1本道をまっしぐらに何の戸惑いもなく30分以上歩いたかと思います。30分歩いた後に「この道間違ってない?」と指摘を受けGPSを見て血の気が引きました。とんでもない方向に歩いていることが判明しました。どこで間違えたのかわかりません。もと来た道を戻り軌道修正。同行するみんなに平謝りしました。道成寺に到着したものの後悔の念で一歩も動けませんでした。その後もずーっと尾を引いて御坊駅に到着です。精神的に疲れ果てました。
 文:美智子姫  
 
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