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 01:京都~天満  01-2:八幡~天満  02:天満~浅香山  03:浅香山~久米田  04:久米田~和泉鳥取  05:和泉鳥取布施屋
 06:布施屋~海南  07:海南~紀伊宮原   8: 紀伊宮原~湯浅  09:湯浅~御坊   10:御坊~印南  11:印南~芳養 
 12:芳養~稲葉根  13:稲葉根~滝尻  14:滝尻~継桜  15:継桜~熊野本宮  16:大門坂  17:かけぬけ道
 18:大雲取越え  19:小雲取越え  20:那智~那智山  21:速玉大社~那智  22:長尾坂・潮見峠  23:赤木越え
 24:大日越え  25:川の参詣道     姫のリベンジ     ウッチーの補行     那智勝浦散策  感想 & 編集後記
2017 熊野古道を歩く 「限りなく史跡に忠実に「九十九王子」を訪ねて」
3回目「堺市7.境王子―8.大鳥新王子」和泉市「9.篠田王子― 10.平松王子― 11.井ノ口王子」―12.池田王子
浅香山駅08:55⇒⑦「境王子」09:09⇒方違神社09:19⇒「仁徳天皇陵」10:06⇒山之口橋10:40⇒石津神社11:15⇒大鳥大社11:52⇒鳳商店街で昼食12:23-13:05⇒
大鳥居新王子(架空)⇒等乃伎神社13:37⇒信田森神社14:23⇒聖神社の一の鳥居14:38⇒鏡池・聖神社14:56⇒篠田王子跡15:14⇒八坂神社15:20⇒平松王子跡15:26⇒泉井上神社を経て井之口王子跡16:09⇒JR久米田駅前16:48⇒⑫池田王子17:08⇒久米田駅ゴール17:22
 ▼ 南海電車・浅香山駅から出発です 美容院と写真店の間を南下します 浅香山病院前を過ぎ 大阪刑務所の北角を西に行きます
第3回目は南海電車・浅香山駅から出発です。メンバーは前回の5人衆。天候は極寒・強風が吹き荒れています。各地では列車が遅れたり豪雪による被害も出ています。登山なら「中止」も止む得ない天候ではありますがアスファルト歩行につき問題なく実行しました。それにしても寒いです。今回もGoogleで入念に下調べを済ませており目標物に注意しながら午前8時55分南海高野線・浅香山駅を出発致しました。広い道を歩いて行くと、高い塀が長く続いていました。大阪刑務所です。中を伺い知ることは出来ませんが受刑者たちが更生に向けて日々頑張っていると信じたいです。
▼  刑務所を西に二筋ほど行くと児童公園があり 境王子跡の石碑がたっていました。⑦「境王子」のおでましです。
 ▼ 境王子に別れを告げ 南に向かって住宅の中を行くと正面に方違神社です 鳥居は右に折れて直ぐです
境王子に別れを告げ住宅の中を行くと、方違神社にたどりつきました。一度横から入ったのですが「鳥居をくぐり直そう」とこだわりで正面の鳥居から参拝することにしました。方違神社は、摂津・河内・和泉国の境にあることから、中立で方位のない聖地ということだそうです。方違神社には方角が無いとされ、旅に出るときや家を移るときにお参りをすれば、一挙に三国を旅したことになり、おのずと「方違え」をしたことになると考えられているそうです。
▲ 方違神社 ▲ 方違神社の北側の玉垣
▼ 方違神社の鳥居出て 玉垣に沿って東へ また玉垣沿いに 南へ進み 御陵に沿って 歩いて行くと反正天皇陵正面です
 ▲ 反正天皇御陵
▼ 参拝後は 一筋戻って 右に折れ南下 お菓子の店「ゆーに」右に 次にポストのある所を左に折れて 
▼ 竹内街道の碑を過ぎ 阪和線を越える耳原橋を渡り 中央環状線を跨道橋で越えると仁徳天皇陵の外周路に出る
▲ 道しるべ ▲ 嘗ては高射砲の陣地が有った銅亀山古墳
 ▼ 外周路に沿って南に進んで行くと御陵通にでる そこを左に曲がり 仁徳天皇陵正面に到着
 ▲ 仁徳天皇御陵
方違神社を出て玉垣に沿って南へ歩いて行くと反正天皇陵に行き着きました。みんなが参拝している間に姫が次の目標物「兵田堺クリニック」を探すのですが見当たりません。「兵田堺クリニックがありませ~ん!」とリーダーに伝達する大きな声を聞いた近所のおばさんが「ああ、そのクリニックなら移転して今はありませんよ。もとあった場所はあちらです」と親切に指差して教えてくれました。竹ノ内街道の碑を見ながら歩いていると歩道橋が見えてきました。歩道橋の上から古墳の濠が見えました。これが日本最大の前方後円墳「仁徳天皇陵」なのです。全体を見渡すことができないほどの巨大。ウオーキング時代何度も訪れていますがこんなにマジマジと見物したのは初めてかも知れません。この付近は公園の遊歩道のようによく整備された道で、途中には「銅山古墳」がありました。古墳というよりも一里塚のように思いました。万葉歌碑の先で、ようやく広い道に出ました。これが御稜道で、「歴史街道 熊野へつづくみち」の標識がたっていました。「仁徳天皇陵」正面には係員がいて「堺観光ガイドマップ」をそれぞれに頂きました。
▼ 仁徳天皇陵から戻るように西に向かい 土居川(濠)に沿って 山之口橋を 南へ進む
▼ 山之口橋からは南へ下り 国道26号をくぐり 堺山口病院 高砂交番を過ぎ 第二阪和道高架下を出たら左折して行くと石津神社に到着
来た道を引き返すと、大通りに出て西に向かって歩いて行くと堀にかかる赤い橋がありました「山之口橋」です。目の前に「スーパー玉出」があり買い物がてらにトイレを借用しました。(誰か何か買いましたか~?・・・返事がないのでトイレだけ借りたみたいです。)高速の高架の下にある陸橋で国道を渡り住宅の中を歩いて行きます。とにかく複雑きわまりない。熊野古道を目指す人達は迷わずに行っているのだろうか?広い道を横断し森を目安に歩いて「日本最古のえびす社・石津神社」に到着しました。境内には樹齢1000年という楠の巨木が立っていました。鳳小栗街道の交差点を渡り大鳥大社へ。空から何やら舞い降りてきました。粉雪です。ウッチー会長が「雪が降ると言うことは外気温が4度と言う事やなぁ」と教えてくれました。寒いはずです。腹時計はとっくに正午を過ぎています。商店街の中で昼食をとることにしました。そういえば朝から一度も休憩していません。強風で休憩する場所もなく、また休憩すれば体温が下がります。商店街に向かう途中の鳳小学校の壁に見事なだんじり風景の壁画がありました。 
▲ 石津神社参拝
▼ 石津神社から左に出て直進し神石市之町の交差点を南下し 
▲ 街道に建つ旧家の佇まい
▼ 神石市之町南の交差点を馬場記念病院の方へ入り 鳳小栗街道の交差点を越えて行くと やがて 大鳥大社に到着 
▲ 大鳥大社 境内の奥にある大鳥美波比神社には大鳥居新王子が祀られています
大鳥大社を出て左に取ると 右手にだんじりの壁画のあ る鳳小学校 JR阪和線を越えると鳳商店街 
 ▲ 鳳小学校 創立120周年記念事業 野田青年団 大鳥青年団による 「だんじり祭りの壁画」
120周年記念として野田青年団・大鳥青年団が寄贈したと書いてありました。街の様子が一目でわかる見ごたえのある壁画でした。商店街の中を歩くも、うどん屋しかなく商店街を外れて歩いていると小さな喫茶店を見つけました。鶏肉クリームシチューを美味しくいただきました。ミニケーキもおまけについていて糖分補給になり元気回復です。「ところでシチューの中に、うずらの玉子えらい一杯入っていたよね」と言うと「え~そんなことないわ~私は2個」「オレは1個」と、うずらの卵で大盛り上がりでした。ちなみに姫は4個も入っていました。(行動食にゆで卵5人分持ってんだけど出しにくいなぁ・・・)喫茶店のおばさんに「大鳥居新王子」の跡地だと言うNTTの場所を教えてもらい出かけましたがやっぱり見つけることは出来ませんでした。「見つけたと言うことで」とNTTの前で8.「大鳥居新王子」記念撮影をしました。商店街まで戻り進んでいくと等乃伎神社到着です。 
昼食は鳳商店街を抜けて南へ行った所にある喫茶店で「鶏肉クリームシチュー オクラサラダ 卵スープ ライスとおまけのケーキ」…とても美味しかったです」
昼食後 大鳥居新王寺があったというNTT大鳥営業所に立ち寄りました 再び鳳商店街南口に戻り 「上」交差点へ向かいます 
▲ さすがだんじり祭りの町 路面に法被のモニュメントが埋め込まれています
次に目指すは
▲ 等乃伎神社神社
▲ 信太森葛葉稲荷神社 熊野古道を往来する人々から敬われていた神社のようです 安倍晴明に繫がる謂れがあります
上皇たちが休憩したであろう光景を想像することができました。神社沿いに左や右やと曲がり信太の森神社です。信太の森というのはあの有名な葛の葉の物語の舞台なのです。『村上天皇の時代、河内国のひと石川悪右衛門は妻の病気をなおすため、兄の蘆屋道満の占いによって、和泉国和泉郡の信太の森に行き、野狐の生き肝を得ようとする。摂津国東生郡の安倍野に住んでいた安倍保名が信太の森を訪れた際、狩人に追われていた白狐を助けてやるが、その際に怪我をしてしまう。そこに葛の葉という女性がやってきて、保名を介抱して家まで送りとどける。葛の葉が保名を見舞っているうち、いつしか二人は恋仲となり、結婚して童子丸という子供をもうける童子丸が5歳のとき、葛の葉の正体が保名に助けられた白狐であることが知れてしまう。全ては稲荷大明神の仰せである事を告白し、さらに次の一首を残して、葛の葉は信太の森へと帰ってゆく。この童子丸こそが、陰陽師として知られるのちの安倍晴明であります』

                            恋しくば尋ね来て見よ 和泉なる信太の森のうらみ葛の葉 
参拝後は再び街道に戻り 一の鳥居に進みます 
▲ 式内 聖神社 徳川末期の書 西律の熊野古道道しるべには詳しく編纂されている神社のようです
一の鳥居を左にとって聖神社に行き帰りはここまで戻って一つ南の辻を左に入った篠田王子です
しばらく歩くと大きな石の鳥居が見えてきました。聖神社の一の鳥居に到着です。鳥居から往復1kmのところに信太の森があり鏡池と聖神社があるのです。見上げればゆるやかではありますが坂道が続きます。「え~行くの?」どうも足腰に堪えてきつつある様子ですがリーダーは「古事記にのっとり行こう」と行く気満々です。坂道を上って行くと、団地がありその途中に大きな鏡池がありました。更に聖神社に向かいました。鏡池に沿ってつけられた遊歩道を行くと、姫塚古墳の説明阪が立っていて、その横に石棺らしき石組みがありました。
参拝後坂道を下って、鳥居に戻るとすぐ近くに9.「篠田王子」跡があるので行ってみました。よぉく見て歩かないと見落としてしまいそうな小さな看板が民家の壁に貼り付けられていました。細い道を入ると立派な碑が立っていました。
 篠田王子が終わったら 街道沿いに南下します 途中みどころは見逃さないように 
▲ 小栗地蔵尊 ▲ 八坂神社 ▲ 熊野街道案内板
集落の中を歩いて行くと、八坂神社に到着です。坂道を登り切ると放生池公園があって、この向かいに10.「平松王子跡」という石碑がたっていました。ここまでくればゴールは近く感じます。
▲ 平松王子 ▲ 小池地蔵尊
自衛隊駐屯地前で右斜めに入る一車線の道を間違わないように 
 ▲ 泉井上神社  ▲ 熊野街道案内板と小栗街道の石柱  
▲ 井口王子跡地です   ▲ 立派なお屋敷がありますね
古い町並みを歩いて行くと、泉井上神社の石の鳥居がたっていました。本殿の塀の中には霊泉が湧いていて、これが和泉の名前の起源だそうです。泉井上神社を後にして、町中を行くと広い道と合流し柳田橋。この橋の手前に子宝地蔵堂があり、そこに11.「井之口王子跡」の石標がたっていました。ここからは小栗街道をひたすら歩きゴールのJR久米田駅に向かいました。
 柳田橋を渡るとあと4kmほどでJR久米田駅に到着できます
▲ 池田王子があっただろう敷地 ▲  ここに建てられていた説明版
駅裏に「池田王子」があったらしいと資料に有りましたがどなたも尋ね当たっていない気がしました。諦めきれず若い駅員に聞いても知らないと言い、自転車駐輪場の係員に聞くと「石標があるはず」との事でした。ウッチー会長が張り切って先頭に立ち「必ずや見つけてみせよう!王子跡」と張り切っています。二手に分かれて探すことにしました。確かに道端に「熊野古道⇒」と石標が曲がり角ごとに立っていました。「あったっ!あったよっ!」二手に分かれていたメンバーが合流し「池田王子跡」の板の看板を見つけました。
▲ さらに石柱を辿って行けば ▲ まだ新しい池田王子跡の石柱がありました…感動の一瞬です
これや、これやと満足していたのですが、その先にまだ石標が続いています。「行って見よう!ここまで来たら見つけるまで引き返せないっ!」外は陽が落ちはじめていたのですが誰も引き返そうと言う者はおりません。ウッチー会長がさらに畦道を進んでいくと手招きしているではありませんか!急いで行って見ると「池田王子」が存在していたのです。驚きです。 
▲ ゴーーーーール ▲ ばんざーい ▲ 今日も無事でした…今から天王寺で一杯やりまっか
大満足して久米田駅に到着したのが午後5時20分をすぎていました。苦労の甲斐あって大満足のゴールとなりました。天王寺駅で反省会と言うよりは「満足の祝杯」をあげ解散となりました。
..次回はJR久米田駅からスタートしてJR和泉鳥取駅をゴールと予定しています。(いや、もう少し進めるね…いやそこまで行けるかなあ)
※交通費 往路は(南海電車難波駅から浅香山駅まで260円)
復路は(JR阪和線久米田駅から天王寺駅まで390円)
文:美智子姫  
 
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