「鼻欠地蔵」
左甚五郎(ひだりじんごろう。江戸初期の彫刻師)が湯の峰に仕事に来ていたそうです。本宮に泊まり、大日越えをして湯の峰に通っていたそうです。弟子は甚五郎の弁当を持って大日峠を越え、弁当を甚五郎に届けていましたが、毎日、峠にあるお地蔵さまに弁当を一箸分供えて師匠の安全を祈っていました。 それを知らぬ甚五郎はいつも一箸分弁当が減っているのを、弟子が盗み食いしていると勘違いし、ある日、些細なことを理由にその弁当持ちの弟子の鼻をチョンナ(木材をはつる大工道具)で削いでしまいました。弟子は血まみれでその場を逃げ出しました。その日の夕方、仕事を終えた甚五郎は、やり過ぎたことを悔やみながら、峠にさしかかると、そこのお地蔵さまの鼻がまるでチョンナで削がれたように欠けており、血が流れていたといいます。鼻をそがれた男の身代わりに地蔵さんが自分の鼻を差し出した、という伝説が残っています。彫られているのは座像と立像の二体。苔の緑が、木の根道にしっとりと溶け込んで美しい。 |