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 01:京都~天満  01-2:八幡~天満  02:天満~浅香山  03:浅香山~久米田  04:久米田~和泉鳥取  05:和泉鳥取布施屋
 06:布施屋~海南  07:海南~紀伊宮原   8: 紀伊宮原~湯浅  09:湯浅~御坊   10:御坊~印南  11:印南~芳養 
 12:芳養~稲葉根  13:稲葉根~滝尻  14:滝尻~継桜  15:継桜~熊野本宮  16:大門坂  17:かけぬけ道
 18:大雲取越え  19:小雲取越え  20:那智~那智山  21:速玉大社~那智  22:長尾坂・潮見峠  23:赤木越え
 24:大日越え  25:川の参詣道     姫のリベンジ     ウッチーの補行     那智勝浦散策  感想 & 編集後記
 
57. 岩内王子―58. 塩屋王子―59. 上野王子―60. 津井(叶)王子
 タイム
御坊駅11:00⇒湯川子安神社11:07⇒九品寺11:18⇒岩内王子12:07⇒極楽寺13:21⇒舞妃蓮公園ランチ12:40-13:05⇒塩屋王子13:21⇒光専寺13:50⇒清姫の草履塚14:37⇒仏井戸15:25⇒上野王子15:37⇒ 清姫の腰掛岩15:46⇒津井(叶)王子16:42⇒印南駅ゴール17:20
 天気予報によると寒の戻りで関東地方では降雪もあると言うので防寒対策をしっかりとして午前6時55分の始発のバスに乗りました。同じ時刻の同じ電車は今回でおしまい。次回からはもっと早い時刻でないと昼過ぎからの出発になってしまいます。あれだけ何度も通っている和歌山駅乗り換えホームなのにこの日は何故かウロッとしてしまい反対ホームに行きかけました。黒江駅で下車する小学生の列を見つけ「あの列に付いて行こう!」と軌道修正しました。何が起こるかわかりません(笑)JR御坊駅待合室でメンバーが揃うのを待つことにしました。全員が揃って出発となったのは御坊駅午前11時でした。
▲紀勢本線の御坊駅 今日はここからスタートします
御坊駅を出て細い道を歩き日高川に架けられた野口新橋を渡り川沿いに歩いて安産祈願で有名な湯川子安神社を参拝しました。「戌(いぬ)の日」に腹帯を持って安産祈願する参詣者がたくさんあり、地域住民から「子安さん」の愛称で親しまれているそうです。関西の安産祈願「中山さん」と同じ効力があるみたいです。途中にある九品寺(くほんじ)にも立ち寄りました。境内にはソメイヨシノの古木があり訪れる人を和ませてくれそうです。いまは開花待ちです。
御坊の町は観光に力を入れているように見受けました
▲子安神社
 しばらく歩いていると田圃の中からキジが目の前を飛びました。「キジや~っ!」と叫びましたが見たのは靖ちゃんとjunkoちゃんと姫だけだったようです。
日高川に架かる野口新橋を渡ります
日高川に架かる野口新橋の西詰と東詰めにある清姫ゆかりの大蛇のモニュメント
ネギもほしいけど…とても背負って歩けないワ   あっちから来て…こっちに行くって
▲岩内王子(焼芝王子)跡碑
御坊大橋を渡ると57番「岩内王子」跡が見つかりました。焼芝王子とも言われているそうです。
蓮池の東屋で昼食をいただきました
ここから塩や王子に向かうのですが時間はちょうど正午をすぎたばかりで風除けのある場所で昼食を済ませたいと思って探しながら歩いていると舞妃蓮公園を見つけました。地図には無かったように思います。 舞妃蓮は御坊市生まれの蓮で昭和41年に、アメリカの黄花ハス「王子蓮」と日本の「大賀蓮」を交配して作り出した蓮です。 昭和43年の春には、蓮根が現在の天皇皇后両陛下に献上され、その年の夏に東宮御所で開花しました。そして昭和44年、花の開閉があたかも女性の舞い姿のようであることから、『舞妃蓮まいひれん』と名付けられました。花の時期の6月頃には多くの人が見物に来るそうです。丁度、東屋と椅子が設置されており風除けにもなるのでここで昼食としました。名付けて「舞妃蓮レストラン」
岩内王子を過ぎ集落の中の熊野古道の道標に従って歩いていくと極楽寺がありました。
▲圓満寺
▲熊野古道
▲塩屋王子(美人王子)と塩屋神社
昼食を終えて15分程歩くと塩屋王子神社に到着しました。この神社は「美人王子」とも呼ばれ、平安時代に創建され安産祈願、無病息災、永遠の美を祈願する人まで、幅広く女性からの信仰を集めているそうです。祈願すると美しい子どもを授かるという伝説もあるとのこと。絵馬には美人が描かれていました。(絵馬希望の人は鳥居の前の酒屋で販売しています)58番「塩屋王子」に到着です。 
▲街道をいく ▲光専寺の白槙
神社を出て王子川に架かる王子橋を渡ると海が見えました「海だぁ・・・!」
熊野古道から少し入ると白壁の塀に囲まれた光専寺が見えました。樹齢600年のヒノキ科「イブキ柏槇」が凛として立っていました。「幹周り5.6m高さ約20m」と書いてあり新日本名木百選らしいです。町並みには色々な組み方をした珍しい石垣があり「ジョン石垣博士」は2台のカメラを首からぶら下げて撮影会の如く記録用に撮りまくっていました。 
▲抜井戸観音と八十八仏
古い町並みを歩き国道に出ると「観音山自然公園遊歩道」の道標がありました。またまた急な坂道のお出ましです。坂の上には壁一面に周辺の史跡の由来が書いてありました。坂道を下ると海の絶景です。途中に祓井戸観音であり階段を上っていくと、お寺の裏山に八十八カ所巡りの石仏がありました。熊野古道を廻りながら八十八カ所巡りも出来るようになっています。全部はお詣りできませんでしたが下から手を合わせて次に進みました。
▲清姫の草履塚
 国道を渡って、集落に入ると清姫草履塚に到着です。『安珍清姫伝説の清姫が、この場所にあった松の大木にのぼり安珍の行方を見渡し捜したところ、安珍が日高川を渡っているのが見えたため清姫は、草履を脱ぎ捨て裸足になり追いかけたと伝えられています。またこの松には、安珍が袈裟をかけて逃げたという一説も残されており袈裟掛けの松ともいわれています。この松は残念ながら今は残されておらず、石碑がたっています』 安珍・清姫伝説にまつわる史跡は、道成寺だけでなく御坊市内にもあるのですが、あまり知られていません。(ストーカーもどきか?いやいや何と情熱的なお姫様ですこと)
仏井戸・上野王子旧地
 仏井戸の看板に沿って歩いて行くと井戸の中に仏井戸がありました。地下の水中に三尊の石仏を祀る石組遺構で北面底に石仏を据え幅61cm、高さ46cm(像高は25~27cm)の一石の中央に阿弥陀如来座像(中央)、地蔵菩薩立像(向かって左側)、観音菩薩立像(向かって右側)の三仏を配置しています。普段は、地下水中に没していて肉眼では見ることができませんでした。
▲名田小学校
▲1月7日大阪天満を出発して今回で9回目 初めて海を近くで見ました
▲上野王子跡
 街道に戻りしばらく国道を歩き海を見ながら歩いていきます。ここはとにかくゆっくりと歩きたい。しかし風が強く帽子が吹っ飛ばされそうです。海沿いに「はし長」と言う食事処の前にある万葉歌碑から少し進むと59番「上野王子」跡に到着です。王子跡の説明横には水準点の石標がありました。ここで少し汗ばんできましたので衣類調整です。建物を風よけにして少し休憩を取りました。
▲清姫の腰掛石
上野王子から少し行くと、小さな広場(駐車場)を見つけました。ここが清姫腰掛石です。中辺路の真砂の荘から逃げた婚約者の「安珍」を追いかける途中、この石に腰掛けて休息したのだといわれています。みんなで腰掛岩に座り記念撮影をしました。清姫腰掛石から国道に出たり入ったりしながら結構ややこしくて道標無しでは迷ってしまいそうで。海に沿って歩いていきました。
▲国道4号のフェニックス並木 ▲宮子姫生誕の地
はるか遠くにフェニックスの木が見えてきました。そこには「宮子姫生誕乃地」という大きな柱が3本立っていました。宮子姫は海女の子として生まれましたが髪の毛がなく、母はある日海底に沈む観音像を見つけ、これに一生懸命祈ると宮子の髪がスルスルと伸びて、人もうらやむ立派な長い髪になったそうです。その髪のおかげで宮子は文武天皇の妃になり、聖武天皇の生母となりました。 
国道42号線歩いて行くと印南町に突入です。印南町には熊野古道の標識があまりなくGoogleを頼りに進みました。国道は海沿いを走り波打ち際の景色に、しばし見とれてしまいました。国道にはシュロの木が数本あり温かい南国ムードを醸し出していました。緩やかな上りになり峠が近づいてくるのがわかります。
▲叶王子社 (津井王子)
峠を越えると下には印南港の景色が広がり、津井王子の標識がありました。山道を登ると、苔むした石段がありその上が境内に60番「津井王子」がありました。津井王子は叶王子ともいわれ、願いが叶うということで、叶う絵馬が下がっていました。 
印南港の町に目をやると「かつお節発祥の地」という大きな広告塔が目に入りました。土佐出身の私にはちょっと複雑な思いもありました。(土佐とちゃうんけ?)『日本における「かつお節」の発祥が、印南町漁民の研究開発によるものであることは「日本堅魚史」の中にあり、土佐節の始祖と仰がれる「熊野の甚太郎」は印南の角屋甚太郎であり、伊豆節、安房節の始祖と仰がれる「印南与市」も印南字東浜の善五郎の子であります。また、寛永年間、枕崎に鰹節製法を伝えた紀州の森彌兵衛もまた、印南、森家の祖であります。以上の歴史的事実から、印南の漁業を先人の勇敢な活躍の下に繁栄を極め、今日に至っています』
▲カエル橋 ▲駅前の歴史ガイド説明板
ゴール間近を知らせる「カエル橋」が見えてきました。カエル橋の向こうは今回のゴール印南駅です。カエル橋を見ながら手前のスーパ前でウッチー会長が「待った」を掛けました。「帰りの電車の時刻は?」と聞かれました。17時47分発なのでまだ30分以上待ち時間があります。あと10分も歩けば駅に到着することができます。スーパーに入りそれぞれが夕食用の弁当とビールを買い、3時間の長旅を楽しみながら静かに夕食を済ませました。 
  安珍清姫物語
 妻に先立たれた清姫の父、真砂の荘司「藤原清重」は、ある朝散歩の途中黒蛇に呑まれている白蛇を見て、憐れに思い助けた数日後、白装束の女遍路(白蛇の化身)が宿を乞い、そのまま清重と夫婦の契を結び「清姫」が誕生した。 「清姫」が13才の年、毎年熊野三山へ参拝の途中ここを宿としていた奥州(福島県)の「安珍」16才は、みめうるわしい「清姫」の稚い頃より気をとられて行く末はわが妻にせんとひそかに語られ姫も真に受けて「安珍」を慕っていた。 ある夜「安珍」は、障子に映った蛇身の「清姫」をみてしまい、その物凄い形相に恐れをなした。 それとは知らぬ姫は思いつめて遂に胸の内を語り、いつまでも待たさずに奥州へ連れて行ってほしいと頼んだ。 「安珍」は突然の申し入れに大いに驚き、これはなんとかして避けようと思い、「我は今熊野参拝の途なれば、必ず下向には連れ帰る」とその場逃れの申し訳をされ熊野へ向かった。
 姫はその真意を知らず、「安珍」の下向を指折り数えて待ちわびたがあまりにも遅いので旅人に尋ねると「あなたの申される僧は先程通られ、早12~3町も過ぎ去られた」と聞くや、さては約束を破り道を変えて逃げられたのだと察し、「潮見峠」まで後を追い、杉の大木によじ登りはるかに望めばすでに田辺の会津橋を渡り逃げさる「安珍」を見て瞋(いかり)に燃え狂い、杉の枝を捻じ曲げました(現存の捻木杉)。
 そして、生きてこの世でそえぬなら死して思いを遂げんと立ち返り、荘司が淵に身を投げました。 その一念が怨霊となり、日高の「道成寺」まで蛇身となって後を追い釣鐘にかくれた「安珍」を七巻半して火炎を出し焼死させて思いを遂げました。
 時に延長6年8月23日(1050年前)、その後里人達はこの淵を「清姫淵」と呼び、魂を慰めるため碑を建立「清姫の墓」として毎年4月23日と11月23日に供養を続けています。また、墓に登る階段も「七巻半」に因んで「七段半」に作られています。
▲印南駅です やっと到着しました 
 MEMO
往路 天王寺駅から御坊駅  1940円
復路 印南駅から天王寺駅  2270円
(3枚目の青春18切符利用)お得額1840円
印南駅17時47分発和歌山駅着19時14分、天王寺着20時29分で帰ってきました。
 ひめの感想
今迄は、しっかりと付いていた青い道標が見当たらず、あったのは津井王子だけでした。あとは小さな木製の看板ばかりで、うっかりすると見落としてしまいそうです。出発時間が遅いだけゴールも遅くなってきました。反省会は電車の中でと言うことで駅前のスーパーに入り夕食用弁当、ビールなどを、それぞれが買い込み3時間に及ぶ電車の旅を楽しみながら帰阪しました。外はもう真っ暗です。青春18切符は時間こそかかりますが特急では味わえない「動く社交場」だと思っています。次回の打ち合わせも済ませることが出来ました。
 文:美智子姫  
 
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