「ひ め」 |
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1月からスタートした熊野古道紀州路編は4月で終了しました。宿泊も含めて15回行ったり来たりしたことになります。
(お里の言葉だと 『 いっちきちもんちき 』 したことになります。)
計画を立てて仲間に声をかけ出発しスタートしたら案外ゴールまでが早かったように思います。
マピヨンのキョリ測の作成、行程の説明、コース決定などリーダーの苦労は計り知れません。多くの人たちは道迷いしたり、地元の人たちに尋ねたりしている資料が載っています。Googleの活用で我々はほとんど道迷いすることはありませんでした。これから熊野古道を歩かれる人達に役立ってもらおうと詳しく掲載したつもりでいます。
早目の計画(日程の決定)は雨だったり、突然の予期せぬ予定が入ったりで変更もありました。回を重ねるごとに集合駅が遠くになりゴール時間が遅くなりました。色々苦労もありましたが振り返ると苦労が消えて楽しい思い出に変わっています。
地元の人たちは熊野古道をこよなく愛し今でも大切に守り続けています。ウオーカーである我々がマナー違反をしないように心がけることが最も大切なことだと思っています。地元の経済に協力することも忘れないで下さい。地元でお金を使ってください。それが通行税となります。
でもね、多くのお店が閉まってました。ビールとおつまみを買うのさえ困るほどでした。「清姫茶屋」も「とがの木茶屋」も閉まっていました。良いところに建っているのに残念です。
嘗ては隆盛を極めていたであろう街道沿いの茶屋や茶店・食堂などはスーパーやコンビニまたインスタント食品の開発により、携行しやすく調理しやすい食材が発達したため衰退の途を辿ったのだろうと思います。ここでちょっと休みたいと思っても店が無いのが実情です。客離れが茶店や食堂を苦しめ今度は旅人を苦しめるという負の連鎖を感じた旅でした。
和歌山県の発行するパンフレットはとても親切に案内してくれています。しかし、それだけではとても迷わずに辿り着くことは出来ません。私達のレポートには、かなり詳しく書いています。迷った場所も赤裸々に書いていますので参考にして下さい。
70歳を超えた5人組が1日20kmを歩くのは、かなり大変ではありました。しかし正しい歩き方、日頃のトレーニングをしていれば必ずゴールに到達します。「老いは足から」と申します。都会での生活は便利すぎてエレベーター、エスカレーターの誘惑に負けてしまいます。便利さに寄りかからず日々を送っていれば生命のある限り年相応の楽しみ方があるように思います。同行していただいた仲間達とホームページ上で応援をして頂いた皆様に心から感謝を申し上げます。
最後に留守番役の家人にも心から礼を言いたいと思います。ありがとうございました。
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「ウッチー会長」 摩耶山友会 内村之衛 |
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「やまたび倶楽部」の百名山達成後のイベントとして【熊野古道完歩】が企画され、参加させてもらうことになった。
平安貴族が辿った熊野詣りを忠実に足でトレースする事とし先ず熊野本宮までの93王子を訪ねた。淀川を下った先達は、大阪天満橋から陸路スタートしていった。
今回のメンバーは足達者な5名であるが前半は市内の街歩き。アスファルトの上を20km:7、8時間踏破するのは足にくる。また、峠越えが随所にありアゴも上がったが、こちらの方がズット楽である。
1ヶ所道迷いを述べておこう。道中終末近く73番目の稲葉根王子へ向かう【王子谷】と呼ばれる山越えで、登りの途中で倒木が増え道が定かでなくなった。この場合、稜線をトレースすべきとの判断で先頭の私はグイグイ藪漕ぎで進んだが、最後石垣に阻まれ田んぼに降り立った。あとから見ると約100m近くコースを外れていた。
ともあれ、今回の古道歩きは神社、仏閣、王子社を訪ね歩き路傍の花・野草を愛で随所で地方の偉人達の生活に触れることができた。
「いつもは黙々と山頂を目指す山行をしてきたので一味違った楽しみ方ができた。」がメンバー異口同音に漏らした感慨であった。
14日間という長い間、日帰りや西成区での安宿泊まり、古道での民泊など得がたい経験もでき楽しいひと時を提供願ったグループみんなにお礼を言いたい。
最後に体力的には結構きついものであったが、続けたことが自信にも繋がった。また、中辺路に入って観光客が増えてきたが98%程度が欧米人であることが印象に残った。
この文を読まれたかたで 若し熊野古道を歩いていない方がおられたら是非ともどの部分からでも、トライされることを強く奨めます。
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「靖ちゃん」 |
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八軒家から始まる、紀伊路、険しい山道が続く中辺路、街道沿いの王子神社を参拝しながらの260.3km。
おかげさまで熊野本宮にゴールできました。万歳!万歳!万歳! なのですが…
途中で すべり症が発症し歩きづらくなり発心門王子でバス利用となった、元気な姫さんと一緒にゴール出来なかったのは残念です
…(姫さんゴメンナサイ)
毎回王子を探しながら、歴史や伝説を知り古道を彩る季節の草花に出会い、のどかな里山の風景を楽しみながら、歩けたことは一生の思い出として残ります。
最高に楽しいウォークを企画、お世話くださり感謝です。
メンバーの皆さんありがとうございました。
久しぶりに履いた登山靴が口を開けるアクシデントが発生。皆さんにご迷惑おかけしました。
これもまた良い教訓と思い出になりました。
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「junkoちゃん」 |
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「熊野古道を大阪天満から熊野本宮大社」の企画に最後まで歩けたことを喜んでおります。
お誘い下さった姫さん、ジョンさんにありがとうの感謝と心よりお礼申し上げます。ご一緒した会長、やっちゃんありがとうございました。
1月7日に大阪八軒家船着き場から始まり4月22日熊野本宮大社まで、寒い冬の日から桜の花の咲く季節まで楽しませてもらいました。
姫さんとジョンさんはたくさんの地元の資料の取り寄せ、その都度歩く道の案内書作り、大変だったと思います。
最初のあいだは帰宅時間が早かったため帰りに難波や天王寺で打ち上げをしたのも楽しい思い出です。
行程を大阪天満から稲葉根王子までは日帰り10回、1泊2日1回、稲葉根王子から滝尻王子、滝尻王子から熊野本宮大社まで2泊3日の行程。
大阪天満から稲葉根王子までは山中もありましたが、街中に残る王子跡や昔の街道筋の面影を残す町中を歩き、和歌山に入ってからはミカン山(落ちているミカンを失敬したこと)、梅の花が咲く梅林、季節が過ぎ小さな実をつけた梅の木を見ながら歩いたのも楽しかったです。会長のガスコンロによる干物や厚揚げの饗応も嬉しかったです。
稲葉根王子から滝尻王子までは富田川沿いに1日歩いたこと。
熊野古道のメインルート中辺路、滝尻王子から500mごとの道標番号1から祓殿王子の75までを追いながら熊野本宮大社まで歩いたこと。
日本人には余り興味を持たれていないのかと思うほど会わなかったが、外人が旅行中の全荷物をリュックに背負い力強く歩く姿を目にしたこと。
語学が達者なら「なぜ熊野古道を歩くのか」という質問をし、疑問を払拭する回答がほしかったこと。
滝尻王子からは山の中、アップダウンを繰り返しながら発心門王子まで、ここからは舗装道路のあるところもあるが、まだまだ遠い。熊野本宮大社の街中が見えた時はホットした。その時かすかに聞こえた姫さんの声嬉しかった。着いたことを実感しました。
姫さんから鳥居のくぐり方、5ケ所ある拝殿の参拝の順序を教わり無事終了しました。紀伊田辺までのバス停では途中会った外人に再会した。
紀伊田辺から出発時間を引き止め乗車した高速バスでJR大阪まで楽々の帰阪でした。
次回機会がありましたら熊野川、音無川、岩田川が合流する中州、大斎原の大鳥居を訪れたいです。
しかし自分の信仰心で歩くのはともかく、平安、鎌倉時代の貴族たちが数百人のお供を従え、私達の歩いた道を歩いたのかと思うと
気が遠くなるような思いと、特権階級のエゴに腹立たしさを感じた次第です。
最終日を前にして前夜宿泊した「のなか山荘」から宅配便で使用済みの品物や下ごしらえをしたスカンポを自宅に送ったのは正解でした。
思いのほか早く届いた荷物を見て目方と大きさにびっくり、あの荷物を背負っては本宮までとても歩けなかったと思いました。
次回も楽しみにしています。
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「ジョン」 |
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昨年日本100名山を完登して次なる目標に「紀伊山地の霊場と参詣道」に着目しました。一つにはこれらの中で最も難しいと言われている吉野から大峰山系の稜線を逆峰して熊野本宮大社に至る「大峰山奥駈道」、また高野山から薄峠、伯母子峠、三浦峠、果無峠を越えて熊野本宮大社を目指す「小辺路」、高野山の北麓、柿の里・九度山から高野山大門に至る「町石道」、高野山の山頂台地を取り巻く「女人道」や「高野三山」などはすでに歩き終わっていること、また生活圏の大阪からも近く、2016年10月ユネスコの世界遺産に追加登録をされたことも実施に拍車をかけました。
中辺路の滝尻王子から継桜王子、熊野本宮大社へは10年ほど前に歩いたことがあったのですが、平安時代の旅人が京都を起点とし、舟で大阪天満の窪津へ、そこからおよそ1ヶ月かけて熊野本宮大社を目指した紀伊路・中辺路には何か魅力を感じていました。
2017.1.3 正月に新淀川と大川の分岐点で閘門のある毛馬に出かけ、舟下りをしたであろう川面に思いを馳せ、1月7日天満を出立し、14回の行程を重ねて4月22日 無事に熊野本宮大社に参詣することが出来ました。
振り返れば殊の外、都市部のウオーキングが楽しかったこと。我が物顔で走る自動車とのすれ違い、安易な乗り方をしている自転車等危険と背中合わせなこともありましたが、日本国土地理院の地形図、マピオンの道路地図、大阪エリアの歴史街道マップ、和歌山エリアでは和歌山県街道マップ、そしてGPSを駆使しながら、少し行きすぎることは2~3回ありましたがすぐに引き返し、迷うこともなく楽しいウオーキングでした。ただ一度藪を漕いで突き切ったことがありましたが、そこはクライマーのご愛敬、「ここが一番楽しかった」とは女性軍の弁。
ただ路面がほとんどアスファルトであること、山間部で果樹園の中を通過する時の路面はコンクリートであることなど地道はほとんどありませんでした。指を折ってみると琵琶ノ岸懸、矢田峠越え、松代王子参詣道、祓戸王子への往復、塔下王子への登り、拝ノ峠の登り、鹿ケ瀬の大峠小峠、岩代王子、千里王子の砂浜歩きなど。中辺路に入っても滝尻までは河川の土堤歩き、王子谷越えや田甫の畦道歩きと北郡越えぐらいです。石畳や砂浜を地道(世界遺産)として数えても大阪~滝尻間ではせいぜい5~6kmでしょうか。
滝尻王子~熊野本宮大社間はほとんどが山道ですので、滝尻を境に熊野古道は大きく様変わりします。
神社仏閣、王子社や王子跡、祠やお地蔵様を訪ねながら進んでいくのは南北中央の日本アルプスにはない楽しさを感じました。また集団で歩くウオーキングには無い楽しさでした。
地域によっては、祠やお地蔵さまが丁寧に祀られていて心嬉しくなったことも良い思い出です。
ただ残念なのは、滝尻までの12回はまったくウオーカーや参詣者には出会わなかったことです。
橘本神社で小さなリュックを背負った地元のウオーカーらしき3名の婦人とすれ違っただけでした。
滝尻王子から山道に入って最初に出会ったのはベルギーからの青年でした。彼は本宮から滝尻を目指しているようで「このコースで初めて日本人に出会いました」と言って喜んでくださいましたが、継桜王子近くの、この日のお宿 『のなか山荘』 まで外国人5組10名ほどに出会っただけで日本人には出会いませんでした。宿泊する「のなか山荘」にも日本人の宿泊客はおらず、3名の外国人女性と2名の外国人男性のみでした。
最終日、のなか山荘から街道に上り、継桜王子から繋ぎましたが追い越して行くのは外国人ばかり、とにかく元気、足が速い。湯川王子でガイドブックだけを持った日本人の女性と出会いましたが水すら持ってない状態でした。林道は網羅されているようですが、一般車両で入れるような県道、国道は近くになく不思議な感じでした。
中でもホットパンツ、ノースリーブに小さなデイパックで歩く外国の若い女性には驚かされました。あっと言う間に消えていきました。二人連れでしたが何事もなければよいのにと祈るばかりでした。
いつかは遭難事故が発生するような感じがしましたし、事件発生につながるような気もしました。携帯電話も通話圏外のところがあります。道標には110番と119番の表示はありましたが連絡方法が無ければどうすることもできません。レスキューの対策は確立されているのでしょうか。救助要請の場合、各国の言語には対応できるようになっているのでしょうか。語り部だけではなく山岳ガイドも簡単に申し込めるような制度も早急に確立するべきではないでしょうか。日本人のいないルートでアクシデントが発生すれば外国からの参詣客はどうすれば良いのでしょうか。無線機や衛星携帯を持つボランティアの岳人を滝尻から発心門王子間に配置することなども必要なのかも知れません。
2004年に世界遺産に登録されてから大きな事故のニュースは耳にしていませんが、山中で行方不明になる登山者の話は国内外を問わずよく耳にします。注意したいものです
それと街道筋の隅々が汚いこと。朽ちた家屋や荒れた道筋、荒れた竹藪などがあるのは自然なことなのですが、街道のわきに車両が捨てられていること、王子の碑の後ろに工事用の看板や赤い三角コーンが置かれていたこと、民家の裏側に廃品らしきものが積まれていること、看板の設置状況が悪いこと、設置されている王子の説明看板が破損していることなど列記すれば数えきれないほどでした。
大阪から熊野本宮大社間の紀伊路・中辺路、小辺路、大峰山奥駈道が終わっても全熊野古道の2分の1も終わっていません。
今後この広大な世界遺産を存続していくためには、多くの日本人に知ってもらい、参詣道を歩いてもらうことです。また車両を利用して霊場巡りをしていただくことでもよいと思います。
これからも少しづつ歩き、熊野古道についてを、このホームページにレポートアップしていくよう努力を続けたいと思っています。
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熊野古道・紀伊路の起点になる天満の船着き場跡にある永田屋さんの黒潮昆布です。熊野古道踏破した記念にと枚方の知人からいただいたものです。スタートの時、永田屋さんの店先で大きな声で会話したり、何枚もの写真を撮ったりで営業中のお店の前で大変失礼しました。そのうえ店先に置いてある冊子も人数分頂きました。お店に入ることなく立ち去りましたのでちょっと心残りにはなっていましたが、知人のお力添えで、すっきりしました。ありがとうございました。近々訪れてみようと思っています。永田屋さんの写真は其の2に載っています。 |
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