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 01:京都~天満  01-2:八幡~天満  02:天満~浅香山  03:浅香山~久米田  04:久米田~和泉鳥取  05:和泉鳥取布施屋
 06:布施屋~海南  07:海南~紀伊宮原   8: 紀伊宮原~湯浅  09:湯浅~御坊   10:御坊~印南  11:印南~芳養 
 12:芳養~稲葉根  13:稲葉根~滝尻  14:滝尻~継桜  15:継桜~熊野本宮  16:大門坂  17:かけぬけ道
 18:大雲取越え  19:小雲取越え  20:那智~那智山  21:速玉大社~那智  22:長尾坂・潮見峠  23:赤木越え
 24:大日越え  25:川の参詣道     姫のリベンジ     ウッチーの補行     那智勝浦散策  感想 & 編集後記
 
61. 斑鳩(富の川)王子―62. 切目王子―63. 切目中山王子―64. 岩代王子―65. 千里王子
―66. 三鍋王子―67.芳養王子
タイム
印南駅09:40⇒ 斑鳩(富の川)王子10:06⇒ 切目王子10:23-10:32⇒ 切目中山王子11:05⇒岩代王子12:25-13:01昼食⇒千里王子14:30⇒三鍋王子15:45⇒清姫の袖摺岩通過160:56⇒芳養王子17:23-17:31⇒芳養駅ゴール17:38
▲西九条駅から姫・Junkoちゃん・JONが乗り、新今宮から前夜天王寺泊のウッチー会長とやっちゃんが乗り込んできました
印南駅までは遠く感じるようになり出発時間が正午になるため、午前6時台の電車利用となりました。ウッチー会長は前夜泊をして新今宮に宿を取ることになりました。桜だよりもチラホラと届いています。第1回目は雪が舞っていましたのに季節の移ろいを感じています。車窓から見る景色は何度も利用するうちに脳裏にしっかりと焼き付いてきました。 印南駅のトイレは最近新築されたもの、駅のおじさま曰く「3000万円、家が建つほど掛かってるよ」と おっしゃっていました。掛かるんだあ。
▲印南の町は静かです 祠もきれいに祀られています
▲街道は春真っ盛りです
▲紀伊水道というよりは太平洋…和歌山は磯釣りが盛んな所です…街道から望めました
▲61番 「斑鳩王子」
今回は7王子を巡ります。印南駅9時40分に出発し「かえる橋」を見ながら前回の熊野古道まで歩き繋ぎました。しばらく歩いていると、途中に斑鳩王子への道標がありました。昔の面影を残す古い町並みを歩いていると住民の人たちが声をかけて下さり「頑張って歩きなさいよ~」の励ましの言葉が嬉しいです。しばらく国道を歩き、やがて急な石段を上って境内に着きました。61番「斑鳩王子」に到着です。
▲イエーイ…イタドリだあ~い  ▲切目王子は…右
天然記念物 ホルトの木 ▲62番「切目五体王子」社  
しばらく歩くと62番「切目王子」社がありました。切目王子は、熊野九十九王子の中でも、藤白王子・稲葉根王子・滝尻王子・発心門王子とともに最も格式が高いという
「五躰王子」なのです。境内に入ると、りっぱな社殿がたっており、さすがに五躰王子だと感心しました。切目王子で社殿を修理するおじさんに出会い境内にある珍しい木
「ホルトの木」の説明をしてくれました。おじさんによるとポルトガルから渡飛した渡り鳥がホルトの種を運びそれが大きくなったのだそうです。(ほんま?)
昭和34年1月8日天然記念物に指定されたそうです。
 『切目王子には「きな粉の伝説」という伝説が伝えられています。その昔、僧を殺した切目の王子は、捕らえられて右足を切られて山に追放されました。ところが王子は、熊野詣の帰途にある者たちから熊野権現の利生を奪うようになり、参詣者たちを嘆かせました。そこで熊野権現は稲荷大明神と相談し、きな粉で化粧した者には害を及ぼさない旨を約束させたそうです。その後、御託宣があり、参詣者たちはきな粉で化粧をするようになりました。この化粧は実際に行われていたものとみえ、1427年の『熊野詣日記』に額や鼻、頬、おとがいなどにきな粉をつけて王子社の前を通過したとの記述があるそうです』
切目王子社の前の細い道を下って行くと集落の中に入ります。切目橋と言う橋を渡りしばらく歩くと切り目駅に到着しました。道なりに突き進みんで行くと「右光明寺、左中山王子」の道標がありました。急な坂道を歩いて行くと、若宮社遺蹟という石碑が立っていました。若宮社は古くから熊野古道、この辺りの守護神として鎮座し、郷人や旅人の信仰を集めたそうです。若宮社遺蹟には新鮮な生花が手向けられており周辺をお掃除しているおばさんに出会いました。道端に咲く白い花の名前をきくと「フランコ」の花でスモモの一種だそうですが桜とは違った美しい花でした。
▲JR切目駅の下を通ります ▲山歩きや街道歩きには…足を大事にしなくっちゃあ
  ▲63番「切目・中山王子」神社  ▲足の宮さま
切目王子を出ると更にきつい登りになっています。すぐ先に「中山王子 足の宮さん」という道標があり、急な坂道を上りました。63番「切目・中山王子」神社です。神社の鳥居の前に宝筺印塔が二基あり室町時代のものだと記されていました。鳥居をくぐり境内に入ると神社の社殿がありました。この神社は足の宮とも呼ばれるそうです。
『行者が諸国修行中、大和大奉山脈又は吉野郡山で修練を重ねて居るとき急に熊野参詣を思い付き、高野より奥熊野を経て那智山に着き、冷水飛び散る滝壷で潔身苦行幾十日を重ねてようやく満行を迎え、喜び帰路についたが、名杭の谷に着いたとき、旅のつかれと寒さのために持病の足痛が増し、悲鳴を上げて七転八倒し苦しんでいるのを村人が発見した。 田舎のこととて薬も医者もなく村人たちは見ているのみであった。 その行者は「医者がないのか、ないなら私が足痛を治してやろう」と言い残して死んだ。 村人達は生前十分の看病が出来なかったお詫びに丁重に葬り墓標を建てて杉の木を植えた。』

死後数日後、墓標は山吹色の黄金燭に輝き、村人たちは驚いて、この行者の行徳をたたえて祠を建て行者の霊を祭ったと言い伝えられています。「山伏さん」と言われていたのがいつの碑からか「足の宮さん」とよぶようになったそうです。
▲室町時代の宝篋印塔…ご婦人がきれいに掃除をして花を手向けておられました
 ▲榎木峠辺り ▲ 徳本上人名号碑   ▲庚申さん
中山王子の先には榎木峠、果樹園の中を緩やかに歩いて行くのですが、速足で歩いてもウッチー会長とジョンに追いつきません。それもそのはず、先に行ったと思っていたジョンとウッチー会長が後ろから現れ驚きました。ビュースポットで写真を撮っていたそうです。
 
▲有馬皇子 岩代の結松
 ▲JR紀勢線の岩代踏切… 「わーい 電車だ電車だあ」 突然 姫が5歳の子供 みちこちゃんに戻ります
▲64番「岩代王子」
▲目指し焼き係のウッチー会長 ▲岩代王子の浜辺  ▲浜辺で拾った貝殻
▲和歌山の街道マップでは杉の木の間に祠と記されています JR紀勢線をくぐると太平洋です
ランチタイムを堪能しJR岩代駅でトイレ休憩を取り千里王子に向かうのですがアクシデント発生です。三筋に分かれた右の道を道標通りに進むも行き止まり、左の道を歩くも梅林の中で行き止まり、残りの真ん中の民家の並ぶ坂道を登って行くと若い女性に出会いました。「熊野古道の道はこれで合っていますか?」と聞くと「そうです」と答えてくれましたので自信満々に坂道をどんどん登って行きました。しかしジョンがGPSと違うと引き返しやっと軌道修正ができ「浜会場バス停」を発見しました。ほぼ30分のロスタイムとなりました。千里王子を指すあの看板は一帯何だったのだろうと腹立たしくもありました。浜辺の道に出て千里ヶ浜の波打際を歩きました。レッドカーペットならぬ砂浜カーペットは最高の気分でいつまでも歩いていたいと思いました。足跡が5人分・・はるか向こうにお寺の門らしき建物が見えてきました。千里観音です。
これが65番「千里王子」神社到着です。 
 砂の上に脱いだ靴は「ど」の濁点ですよ  ▲ここはウミガメの産卵地です
▲65番「千里王子」神社
『千里観音は小栗判官が海で暴風雨にあったとき、如意輪観音に救われ、お礼に自ら馬頭観音を彫って奉納した』という伝説があるそうです。またここはウミガメの産卵でも有名な所です。『5月から8月上旬にかけて、千里の浜や岩代の浜などへ産卵にやってくるカメは、アカウミガメです。日本列島に来るウミガメのほとんどがこの種類で、はるか東シナ海から回遊して千里の浜は産卵の密度が最も高い浜です。日本列島で生まれた子ガメたちが、2~3年かけてアメリカ西海岸やメキシコ付近へ渡り、20年ほどたって成熟すると、再び日本へ産卵に向かうということが分かってきました。途方もない大航海です。親ガメ子ガメの苦労ですが産卵は夜間に行われます。卵が水に浸かると死んでしまうため、親ガメは高潮線よりも上の砂地を選びます。カメは音、臭い、光、に敏感で、少しでも危険を感じると海へ戻ってしまいます。上陸して卵を産み、海へ戻るまで約2時間、本当に大仕事です。卵は2か月ほどでふ化し、子ガメたちは夜を待って海に向かいます。子ガメは明るさで海の位置を知ります。夜間は海面が反射して明るいからです。この時、人工灯が当たると、子ガメは方向を誤ってしまいます。親ガメが光のある浜をいやがるのは、そんな理由があるのかも知れません。』
 ▲千里王子から千里観音へ…参道の観音像  ▲神馬像
千里観音の境内を出てしばらく車道を歩きます。かなりの速度で車は往来しますので交通事故に遭わないよう十分注意が必要です。海あり峠ありと起伏に富んだコースを行くと南部峠に出ました。ここら辺の道標はアレッ?と思うほど理解しにくくて工場のおじさんに「そっち違うよ~っ右、右~右に入って~!」と呼び止められました。(わかりにくい道標ですこと!)               ▼南部峠の石仏と下は丹川地蔵の大イチョウ
しばらく国道を歩いて行くと梅干館がありました。梅干館の前のマスコットと一緒に記念撮影
撮影が終わっても立ち上がろうとしない…「進むよ!」 「ダメ! もう少し座らせて、動けない」
▲66番「三鍋王子」
橋を渡りしばらく歩くと66番「三鍋王子」に到着です。三鍋王子の境内には小栗判官の井戸もありました。三鍋王子神社の前の広い道を行くと南部駅が見えました。本来はここまで!の予定でしたが、もうひと頑張りして先に進むことにしました。しばらく歩いていると鹿島神社がみえました。中には入らず入口で手を合わせました。
光輝く海の中に3つの島が浮かぶ光景が目に入りました。鹿島です。鹿島は南部町シンボルと言われ3つの鍋をひっくり返して並べたようにみえることから南部は「三鍋」とも言われているそうです。 潜水艦のように見えるのは浅瀬を守る灯台でした。
▲堺地蔵の大ソテツ 清姫の袖摺り岩
容赦なく走る車を避けながら歩くのですが結構危険で山道の数倍疲れます。岬に沿って小さな峠を越えました。また国道への繰り返しです。堺の交差点で堺港がみえました。国道沿いに巨大なソテツは「堺地蔵堂のソテツ」の案内がありました。うっそうとしていてちょっと気味が悪かったです。
3株あって一番太いものは地上1mのところの幹周は4.5mもあるそうです。
国道を歩いていると田辺市の看板がありました。とうとう田辺市に突入したことになります。堺漁港の少し田辺側にいったところにある大屋海岸に横たわっている2個の丸い巨石で、田辺から日高川町の道成寺までの道筋に数々みられる「清姫伝説」の史跡の一つです。逃げる安珍を追いかけていた清姫がこの岩で袖をすったと言い伝えられております。ただ大きな岩が2つゴロンと転がっているだけなんですが名所となっているのに笑えました。
そこでJONが言うのよね…「田辺は弁慶の町 『弁慶のふぐり』 のほうがぴったりだね」って…何のことやら
この辺りに「ようこそ田辺市へ」の弁慶像が有ったはずなのですが見当たりません、撤去されたのでしょうか。
 
▲トンネルを抜けると芳養の町へと入っていきます 
▲67番「芳養王子」社
トンネルを抜けて、バス停を過ぎると古い家並みが続いていました。少し行くと大神社に到着です。ここに67番「芳養王子」社があります。芳養王子としての跡はありませんでしたが大神社に合祀されていると説明書きがありました。
▲芳養駅に到着です
ここから10分足らずで芳養駅に到着です。電車の中での「お飲み物、おつまみ」の調達をしなければなりません。犬を散歩中のおじさんにスーパーの場所を聞きました。駅の隣にあるそうです。芳養駅17時38分ゴールです。電車時刻を確認すると18時23分発なので電車が来るまで時間はたっぷりあります。

概ね8時間以上あるき続けたことになります。(万歩計を確認すると46000歩でした)
「さぁゴールの記念写真を撮ろう!」とあたりを見回しましたがウッチー会長の姿がありません。
「消えたねっ!さては…」 きっと駅前にあるラーメン屋さんのノレンをくぐっているはずです・・・(当たり~でした。やっぱりっ!)
▲今回も無事に終わりました 
 MEMO
往路 天王寺駅から印南駅  2270円
復路 芳養駅から天王寺駅  2590円
(4枚目の青春18切符利用)お得額2490円
 ひめの感想
楽しく歩ける許容範囲は15kmが年齢相応かなと思います。長丁場になると、身体や感情等どこかしらきつくなり楽しさが目減りしてきます。無口になり、辛さをぐっと我慢をしながら歩きましたが目の前に現れた大海原を見たり、波の音を聞くと、辛さがどこかに消えてしまうから不思議です。梅林の中を歩くとき「梅が咲いていたらいい香りがしただろうなぁ」と既に花の時期を終え、ちっちゃな実を付けている梅の実を見ながら歩を進めました。ウミガメの産卵地を通過するときはウミガメにも出合ってみたいと思いマンホールに描かれたウミガメの絵をカメラに収めました。旅先ではいろいろな出会いがあり感動いっぱいです。特に今回は「季節限定イタドリ姫」を開花させてくれたイタドリとの出会いも思い出深いものになりました。
 文:美智子姫  
 
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