長尾坂・潮見峠 赤木i越え   大日越え
 01:京都~天満  01-2:八幡~天満  02:天満~浅香山  03:浅香山~久米田  04:久米田~和泉鳥取  05:和泉鳥取布施屋
 06:布施屋~海南  07:海南~紀伊宮原   8: 紀伊宮原~湯浅  09:湯浅~御坊   10:御坊~印南  11:印南~芳養 
 12:芳養~稲葉根  13:稲葉根~滝尻  14:滝尻~継桜  15:継桜~熊野本宮  16:大門坂  17:かけぬけ道
 18:大雲取越え  19:小雲取越え  20:那智~那智山  21:速玉大社~那智  22:長尾坂・潮見峠  23:赤木越え
 24:大日越え  25:川の参詣道     姫のリベンジ     ウッチーの補行     那智勝浦散策  感想 & 編集後記
湯の峰温泉 (8:13)~バス移動~発心門王子(8:50)発心門王子09:10⇒船玉神社09:27⇒赤木越分岐09:34⇒
なべわり地藏10:48⇒柿原茶屋跡11:19-11:25⇒湯の峰温泉・つぼ湯12:30(午前の部のゴール)ランチタイム
 赤木越えは、三越峠を越えて発心門王子に至る手前にある船玉大社付近から、湯の峰温泉へと向かう道を指します。
わーー。この人私のバストより 高い位置にウエストがあるよ…おもわず傍によって写真をお願いする姫
朝8時を回ると8時16分のバスに乗るために一組二組とハイカーが集まってきます。「このバスは請川を通りますか」との質問に 「OK、請川で降りて小雲取越ですか」
「Yes」との返事、どうにか通じているようです。「請川で降りて南へ歩いていくと登山口がありますからお気をつけてね」「OKありがとう」 爽やかな朝を感じます
湯の峰温泉で乗車された3組6名に外国の人たちは全員小雲取越えに行くようです
町民総出で、つぼ湯の掃除中 川湯で遊泳中?入浴中? 大斎原の鳥居 バス車内
発心門王子の鳥居を抜けて赤木越えを目指します
船玉神社(上)と玉姫稲荷(下) かつてはこの橋の下を船が通っていたようです
音無川を渡っていよいよ赤木越えのルートへと入ります トイレ横の林道を登っていくと左手下へ下る道があります。 
此処を下って沢にかかる細い橋を渡ると九十九折の登山道が始まります。
単調できつい九十九折の道を30分ほど登ると1番標識があり それから少し上ると右から来る杣道に合流しやがて尾根道を歩くようになってきます この辺りが2番標識です。尾根に出ると三越峠方面の峰々が木立の中に見え隠れするようになってきます。
標識は500mおきに設けられているようですのでそれを数えながら進んでいきます
左手遠くには水吞や小森の集落が見えました
赤木越えの中間地点にあるお地蔵さん。一遍上人の弟子がこの場所で米を焚いて鍋を割った逸話に由来している。
お大師さんの近くにある屋敷跡 お大師さん
柿原茶屋跡で一休みです  茶屋は崩れかけており 廃屋と化していました 少し物悲しい感じがしました。
柿原茶屋跡を右に折れ屋敷を左に巻くように登っていくとお墓らしき碑と野仏が祀られてられていました柿原茶屋跡に関する人のお墓だったのでしょうか
ユノミネシダと杉林
11番標識辺りから街道は湯の峰温泉に向けて高度を下げていきます
ここまで下ってくると湯の峰温泉の街並みが見えてきます。
一遍上人爪書と伝わる磨崖名号碑
南北朝から室町時代にかけて熊野信仰を盛り上げていったのは、時衆(のちに時宗)という仏教の一派でした。
時衆とは、一遍上人(いっぺんしょうにん。1239~1289)を開祖とし、鎌倉中期から室町時代にかけて日本全土に熱狂の渦を巻き起こした浄土教系の新仏教です。
自然露見した巨大な岩盤に梵字・名号を大書した史跡で、高さ2.8m、幅2.4mの大きさである。月輪の中に阿弥陀三尊の梵字(古代インドで使われた文字)、その下に蓮台にのる六字名号が薬研彫りされている。時宗の開祖である「一遍上人の爪書(つめがき)」の遺跡とされているが、断定はできない。
一遍上人爪書きの碑です 赤木越えもここで終了です
石段を下りると湯の峰温泉到着です。湯の峰の町の人々が大掃除をしていました。1年に2回(7月と12月)町民達で湯の峰温泉の環境保持のために働いているのだそうです。つぼ湯のお湯も全部抜き、ゴシゴシと綺麗にしていました。綺麗にして頂きありがとうございます。宿に不要な荷物を置かせてもらっていたので回収に行き、昼食は美味しい蕎麦屋に入ろうとしましたが「本日休業」の看板がかかっておりました。仕方がないのでコンビニもどきの店でカップヌードルやおにぎり、パンなどで昼食を済ませ午後の部へと出発することにしました。(ああ~あ美味しい蕎麦食べ損なったわ!)
 文:美智子姫  
 
 
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