大門坂 かけぬけ道   大雲取越え
 01:京都~天満  01-2:八幡~天満  02:天満~浅香山  03:浅香山~久米田  04:久米田~和泉鳥取  05:和泉鳥取布施屋
 06:布施屋~海南  07:海南~紀伊宮原   8: 紀伊宮原~湯浅  09:湯浅~御坊   10:御坊~印南  11:印南~芳養 
 12:芳養~稲葉根  13:稲葉根~滝尻  14:滝尻~継桜  15:継桜~熊野本宮  16:大門坂  17:かけぬけ道
 18:大雲取越え  19:小雲取越え  20:那智~那智山  21:速玉大社~那智  22:長尾坂・潮見峠  23:赤木越え
 24:大日越え  25:川の参詣道     姫のリベンジ     ウッチーの補行     那智勝浦散策  感想 & 編集後記
 大門坂 15:30 ⇒ 青岸渡寺・妙法山登山口 16:10 ⇒ 妙法山分岐 16:20 ⇒ 阿弥陀寺 17:50 ⇒タ クシーを呼びホテル着 18:50
今から約1300年前、大宝三年(西暦703年)唐の国 天台山の蓮寂上人というお坊様が日本に渡って来られ、この熊野にたどり着きました。上人は四方を見渡せるこのお山の頂上がとても気に入って、ここで修行をすることになったのです。妙法蓮華経というお経を写経して山頂に埋め、立っている木をそのまま彫ってお釈迦様の仏像を安置しました。その時からこのお山は、お経の名前をとって妙法山と呼ばれるようになりました。その後、空海上人(弘法大師)が高野山を開かれる前の年、弘仁六年(西暦815年)に妙法山で修行をして、西方に有るという阿彌陀如来の極楽浄土への入り口として山腹にお堂を建てて阿彌陀如来をご本尊としたため、阿彌陀寺と名づけられたのです。
それから現在に至るまで、有名無名のお坊様達や行者達をはじめ熊野に参詣する沢山の人々が、それぞれの求めるものを探してこの妙法山に登って来ました。熊野本宮、熊野速玉大社、那智大社を巡拝した熊野古道の参詣者たちは都への帰路、青岸渡寺から山越えをして阿弥陀寺に参拝し、妙法山を越え大雲取越え、小雲取越えをして本宮へ戻り、大日越え、赤木越えで中辺路を通り紀伊路へと帰って行ったようです。青岸渡寺~阿弥陀寺~妙法山~那智高原までを「かけぬけ道」と呼ばれています。
平安衣装を返却し、午後3時30分に大門坂を歩き始め青岸渡寺までの467段の石段を登りました。
青岸渡寺横にある妙法山登山口からの「かけぬけ道」を、言葉通りに駆け抜けました。妙法山分岐あたりは東北大震災の年の大洪水で荒れ果てており、回り道を余儀なくされました。阿弥陀寺に到着したのは既に午後5時を大きく過ぎており電子柵線が張られており中に入ることは出来ませんでした。「ここまで来て残念っ」と思っていたら看板に寺の電話番号が書いてあり電話をしましたが留守電。伝言を入れ連絡がついたと言う判断で中をお参りさせて頂きました。
青岸渡寺の横から いきなり急な石段です 午後3時30分は入山には遅かったです…すみません
かけぬけ道は一部崩落していました ここまでは那智高原公園への道 ここから分れて「かけぬけ道」です
多分工事の関係者が置いたと思われる石灯籠に模した石が う回路の傍らに置かれていました…これだけでも街道らしく感じます▲
阿弥陀寺・那智高原公園・青岸渡寺の三方向分岐あたりは傾斜がきつく足場も悪いため歩きづらかったです
最高点からは阿弥陀寺に向けて落ち葉が積もった石段の道を駆け下りていきます
▼▼▼阿弥陀寺に到着です▼▼▼
阿弥陀寺正面山門…鳥居の形をしているのが特徴です
 亡者の一つ鐘  鳥居の形山門  みちびきかんのんさま
  子安地蔵堂  火生三昧遺構
 従是奥之院 八丁の碑   戦士之碑 熊野三寶荒神社 
お詣りを済ませ、時計に目をやると午後6時を過ぎていました。到底歩いて帰れる時間ではありません。朝、タクシーを利用した時に名刺を貰っていたのでタクシーに迎えにきてもらうことにしました。阿弥陀寺駐車場から見下ろす景色は水墨画の世界でした。帰り道に小鹿が何頭も道路に出てきました。ホテル到着が午後7時前で最終の夕食時間に滑り込みセーフ。食事の後ゆっくり温泉に浸かり、明日の長くてきつい大雲取越えを夢に見ながら就寝しました。
▼▼▼ そして次の朝 今にも雨が降ってきそうです▼▼▼
越乃湯からタクシーで 昨日迎えに来てもらった 阿弥陀寺へ向かいます 
 2日目:阿弥陀寺 08:10 ⇒ 奥の院 08:49 ⇒ 富士見台 09:08 ⇒ 那智高原公園 09:45
覚悟をして宿で雨具のズボンを履きました。午前7時30分に迎えのタクシーをお願いしていたので朝食を済ませ前日ゴールした阿弥陀寺駐車場に向かいました。まだ雨は降っていません。駐車場からの雲海は素晴らしく、しばし見惚れてしまいました。前日に張られていた阿弥陀寺の入口の有刺鉄線は取り外されており私達を迎え入れてくれました。女人高野とも言われる阿弥陀寺は静寂と優雅さの美しい庭園を持ち檀家を持たない寺だそうです。亡き人の菩提を弔う為に人々が遺髪や遺骨を納める「お髪上げ」の風習もあり特に紀南地方の人々はその宗旨に関わらず、必ずと言って良いほど妙法山に来られるそうです。 
阿弥陀寺本堂 ここから奥の院に向けて「かけぬけ道を」進みます
天気は良くないのですが景色は最高です
阿弥陀寺 浄土堂 (奥の院) 到着 
 30分ほど登ると奥の院に到着です。海抜749mの妙法山の頂上に立つお堂でお山の名前の由来に成った1300年前のお釈迦様がおまつりされています。唐からやってきた天台山の蓮寂上人というお坊様が、妙法蓮華経を書き写して土中に埋めその上に立った木をそのまま彫ってお釈迦様を安置したのです。本堂から約800mの山道を登って行きながら、まるで別の世界に紛れ込んだような不思議な感覚を体験出来る場所です。
苔むした石段
▲中央下に小さく白く見えるのが 肉眼で見た那智ノ滝です          ▲【右】 望遠レンズで撮影した那智ノ滝です
那智の滝は 熊野那智大社のご神体とされ 毎年7月と年末に 滝の上のしめ縄を張り替えているようです
那智ノ滝を遥拝することができる高所としては おそらく此処があげられるのではないでしょうか  
富士見台に備えてある双眼鏡と富士山が見える最遠地の看板…残念ながらこの日は雲しか見えませんでした
 奥の院からわずかな距離で富士見台に到着しました。立派な東屋もあり中には双眼鏡も設置されていました。以前は、奈良県の大台ヶ原が富士山の見える南限の地だといわれていました。しかし、いにしえの熊野詣の際に熊野古道から「富士山が見えた」との言い伝えがあり、地元の山師のあいだでも「妙法山から富士山が見える」と言われていました。1995年12月に新宮市の写真家 楠本弘児氏が那智勝浦町大雲取山(標高965m)から富士山(距離320km)の撮影に成功。さらに、1997年1月には妙法山から富士山を撮影しました。ここから富士山が見えるのは、高い山脈などの障害物がないためです。
那智高原公園が見えてきました 那智高原公園に到着です
山の中を歩いていると突然に広い草原に出ました。那智高原公園です。ドシャブリの雨の中の東屋で一人の外国人女性が休憩をしていました。どこから来たのか聞くと我々と反対方向の「小口」からだそうです。(どこからって・・・出身の国はどこ?と聞いたつもりなんですが・・・)
今は午前9時45分、小口からだと どんなに早く歩いても7時間は掛かるだろうし、ここでビバーグをしたのかなあ。

かけぬけ道はここで終わりです。熊野古道はここから大雲取越へと進んでいきます
(姫の感想)
大幅に予定が狂ったのは湯快リゾートのバス到着時間でした。渋滞があったわけでもなく事故に遭遇したわけでもなく配布された資料より40分遅れ。運転手を責めるわけではありませんが会社のシステムとして如何なものかと帰宅後すぐに異議申し立てをしました。調査して回答するとの事でしたが多分・・・何も言ってこないと思います。40分遅れた精であれほど楽しみにしていた大門茶屋での平安衣装の時間が短縮されました。今回の旅の醍醐味だったのですが・・・衣装を返却した後の午後3時30分と言う遅い時間から「かけぬけ道」を行くことになりました。名前の通りかけぬけです。今回はメンバー5人と言う特典を活かしてタクシーを最大限に利用しました。(バス代より安い)旅をする時はあまり細かなところに神経を使わず、大判振る舞いとまでは行かなくても楽しくお金を使いたいと思いました。「要る時はいるんや!あの世に銭は持っていかれへんでぇ!」これが私の座右の銘です・・・(笑)
女人高野とも言われた妙法山・阿弥陀寺は弘法大師空海が創建し熊野那智大社や青岸渡寺が観光客で賑わっているときも、ここは訪れる人も少なく、
静けさを保っています。青岸渡寺から続くかけぬけ道は、あまり人が足を踏み入れた様子がなく、落ち葉が足を引っ張っているようなどこか霊の宿る山の様に感じました。
熊野古道最大の難所「大雲取越え・小雲取越え」の出発点のかけぬけ道は熊野詣での人たちにとって大切な祈りの道であったことがとてもよくわかりました。
 文:美智子姫  
 
 
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