01:京都~天満  01-2:八幡~天満  02:天満~浅香山  03:浅香山~久米田  04:久米田~和泉鳥取  05:和泉鳥取布施屋
 06:布施屋~海南  07:海南~紀伊宮原   8: 紀伊宮原~湯浅  09:湯浅~御坊   10:御坊~印南  11:印南~芳養 
 12:芳養~稲葉根  13:稲葉根~滝尻  14:滝尻~継桜  15:継桜~熊野本宮  16:大門坂  17:かけぬけ道
 18:大雲取越え  19:小雲取越え  20:那智~那智山  21:速玉大社~那智  22:長尾坂・潮見峠  23:赤木越え
 24:大日越え  25:川の参詣道     姫のリベンジ     ウッチーの補行     那智勝浦散策  感想 & 編集後記
 
発心門王子 水吞王子 伏拝王子 祓殿王子
大阪05:00⇒熊野本宮P08:05⇒発心門行バス08:35⇒発心門スタート09:00⇒水呑王子09:55⇒式水茶屋10:30⇒伏拝王子11:00⇒三軒茶屋11:20-11:34⇒祓殿王子12:12⇒本宮ゴール12:20
多くの企業が既に大型連休に突入したであろう5月1日、此花区を午前5時に出発し熊野本宮へ向かいました。
「アレッ?この間、歩き終わったんじゃなかったの?」 きっとそう言われると思います。 これには深い事情がありまして…かくかくしかじか。
午前8時本宮大社の杜はまだ静かです…ここで8時35分発のバスで発心門へ向かいます 
『深い事情とは』
継桜王子から本宮大社を目指す最終日のことです。三越峠手前あたりから、後ろを歩く仲間達が「姫の身体が左に傾いている。どこか苦しいのでは?」とささやきはじめました。我慢をして歩いていたのですが、どうも腰痛の原因であるすべり症が顔を出したみたいです。少し長めの休憩を取れば復活するのですが、この調子だと最終バスに乗り遅れ、本宮でもう一泊なんてことになるのではと懸念しました。仲間達に迷惑をかけるわけには行きません。最悪の事態を回避するためには、無念ではありますが苦渋の決断をして発心門王子でリタイアすることにしました。あとわずかの距離なので、悔しくて悔しくて、情なくて情けなくて・・流れる涙をソッと拭き、水呑王子に向かう仲間の後ろ姿を見送りました。「人に迷惑かけちゃいかん・・・これでよかったんや!」と自分に言い聞かせました。止む無く別行動を取った私は発心門王子から本宮前までバスで移動となりました。
熊野本宮大社へ上がる158段の階段を痛みを堪え、這うようにして登り、祓殿王子前で仲間のゴールを待ちました。遥か彼方から、見覚えのあるメンバーの姿が見えました。大きく手を振り出迎えました。みなさんの満足げな笑顔が輝いていました。目的を達成すると言うことはこれほどに素晴らしいことなんです。心から祝福をしました。しかし、帰宅後どう考えても完歩できなかったことが悔しくて達成感のない毎日を過ごしていました。「そうだ!腰痛が治ったら、もう一度リタイヤしたコースを歩こう!

というわけで再び熊野本宮大社前に立ったわけです。本宮前でポッチーの見送りを受け、本宮前から発心門王子までバスを利用しました。バスに揺られること15分、さすがに大型連休とあって、車内はギュウギュウのすし詰め状態です。
▲発心門王子にお参りをして
▲発心門の水路跡 ▲発心門休憩所 発心門休憩所横の熊野古道標識
バスを降りて発心門王子から熊野本宮に向けて歩き始めました。1週間前は心が病んでいたため景色が霞んで見えましたが今日は爽やかです。「このコースに写真を撮り忘れた箇所が何か所かある」と優しい嘘をつくジョンに見守られながら、下りのコースを快適に歩き始めました。楽ちんコースです。吹く風はさわさやで1週間前には硬い蕾だった発心門王子前のシャクナゲは見事に開花していました。「来たかっ!やっぱり!」そう言ってくれている様に感じました。山々は桜から新緑に様変わりしていました。田圃には水を引き田植えの準備ができている集落もありました。季節の移ろいを感じます。わずか1週間前には山桜や八重桜が美しく咲き、春が残っていましたのに、いまは初夏の装いです。
 ▲ゆっくりのんびり熊野古道…本宮はもう少しです
▲庚申さん ▲番号標識で通過時間を写し込み
▲ゴンパチ見っけ! ▲番号標識で通過時間を写し込み ▲杉林の中の街道
 ▲水吞王子に到着です
▲水吞王子と腰痛地蔵さま すぐ横にある三越小学校分校
▲歯痛のお地蔵様が見つからず地元のおじさまに案内していただきました…ちょっと行き過ぎていました
ゆっくり初夏を味わいながら、わずかな時間で水呑王子に到着です。すぐ隣に腰痛地蔵が祀られているのでお賽銭もタップリ入れ腰痛が治った報告をしました。

リハビリ中の地元のおじさんがリュックに差していた2本のイタドリ(和歌山地方ではゴンパチ)を見つけて話しかけてきました。「懐かしいのぉ!ゴンパチやないか~」、ここには三越小学校の分校があった事、その後バーベキューハウスに転じた事など、イタドリが縁で色々話をしてくれました。「おじさんこのあたりに歯痛地蔵があるはずなんやけど知ってますか?」と尋ねると案内してくれると言います。不自由な足を引きずるようにしてもと来た道を引き返しました。「ここじゃ!」と指差してくれた歯痛地蔵は私達が見つけられるはずもありません。小さな板切れの看板と小さなお地蔵様があるだけなんです。おじさんに丁寧にお礼を申し上げて先に進みます。
▲林の中の道は最高に気持ちが良いです
15分ほどで「ラムネ」の旗が風に揺れる式水茶屋に到着しました。
クーラーボックスの中にラムネが冷えていて100円を入れてラムネを頂きました。美味しいと言うより懐かしかったです。しばらく歩くと菊水井戸がありました。以前は水を汲み上げたり体験できた様ですが今では井戸の中が覗き込めない様に鍵がかかっていました。
▲途中の茶店でラムネを買い求めましたが…どうしても開きません…やり方が悪いのでは
茶畑の新緑が美しく、遠くに見える果無山脈もよく見えています。しばし見惚れていると地元のおばぁちゃんがやってきました。「いいところですね」と言うと「何もないけど空気だけは美味しいからいっぱい吸って帰りなさいや」なるほど・・・空気メッチャ旨やわ~!ご馳走様。
▲菊水の井戸
この地区は山の高台にあるにも関わらず、井戸や湧水が多く湧き出しています。その代表が熊野古道沿いにある菊水井戸です。飲んでみたかったのですが蓋に鍵がかかっており飲むことはできませんでした。
  ▲伏拝王子跡の杜  ▲和泉式部供養塔  ▲伏拝王子碑にお参りして
 「伏拝(ふしおがみ)」は、熊野古道をここまで来て初めて遠くに熊野本宮大社(現在の大斎原(おおゆのはら))が見え、人々がその有難さに伏して拝んだことからこの地名が生まれました。
道端にあるイタドリと目が合い、またまた少しだけ頂いてしまいました。伏拝王子茶屋には多くの外国人の人たちが休憩をしており我々はスルーして見覚えのある関所跡・三軒茶屋で降りてきました。ウオーキング協会や我が倶楽部で何度か来ていますので、とても懐かしく感じました。茶店を覗いていると、店のおばちゃんが「まぁこれを食べて見なさいや~美味しいですよ!」とイタドリの試食をさせてくれました。あまりに勧めるので「おばちゃんホラ見て!自分でゴンパチ採って来たから買わないけど、そのかわり切り干し大根買うね」(そうそう、通行税だと思って地元にお金落として行ってくださいね。)
話をしていると12~13年前、歩けなくなったメンバーを軽トラに乗せて祓殿王子まで送ってくれたご夫婦であることが判明しました。
「いやぁ懐かしいよぉ、あの時、丁寧に手紙貰ったんやったねぇ」

娘さんが此花区で飲食店をしていて夕食に出向いたこともありました。懐かしく話はアドバルーンの如く大きく膨らみました。後ろ髪をひかれつつ、三軒茶屋に別れを告げポッチーの待つ熊野本宮へと向かいます。三軒茶屋から少しきつい登り坂があり、ポッチーが直前に躊躇った理由が理解できました。
▲三軒茶屋で一休み おかみさんと昔を懐かしんでお話ししました
▲最後の王子 払殿王子の杜が見えてきました 丁寧にお参りして
 現在の熊野本宮大社裏と目と鼻の先に祓殿王子がある。祓所とも祓戸とも呼ばれるが、要は熊野本宮大社に入る前ここで心身を祓い清め、新たな想いで熊野本宮大社に詣でるためだ。現在もこの習慣は守られ、多くの人々が想いを新たに本宮大社に向かう。
 ▲熊野本宮大社の裏参道…鳥居をくぐって入るのではなく…JONの立つ横の通路から入るのが正しいそうです
祓殿王子で12時過ぎ、道草をよくしたわりには順調に戻れました。ポッチーと合流後、お詣りを済ませ「八咫烏」の記念品を購入し、昼食を済ませ五條経由で帰ることにしました。
お土産に八咫烏のおみくじを6個買いました どなたの手に渡るのかはお楽しみ! 
五條で柿の葉寿司を買いたいのです。道の駅大塔でトイレ休憩の合間に姫は今通過したばかりの道筋にあったイタドリを抱えて戻ってきました。リベンジウオークは柿の葉寿司とイタドリのご褒美付きで大満足でした。これで来る8日にある「熊野古道・完歩記念パーティ」に堂々と大手を振って参加することができます。スッキリッ!
 文:美智子姫  
 
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