熊野古道・伊勢路 10 三木里~三木峠~甫母峠~二木島 2018.12.11

 
熊野古道・伊勢路 第3回目 JR紀勢本線・相賀駅~JR紀勢本線・二木島駅
●12月11日(火) 第3日目(晴)  三木里・嬉志乃 ~ 次郎坂太郎坂 ~ 甫母峠 ~ 二木島駅
宿出発08:00⇒ヨコネ道08:12⇒三木峠案内板08:45⇒三木峠09:10-09:20⇒山の神の祠10:18⇒羽後峠10:40-10:50⇒賀田駅近くの公園で昼食11:30-12:00⇒
飛鳥神社12:30⇒曽根次郎坂太郎坂12:42⇒クジラ岩13:40⇒甫母峠13:59-14:15⇒猪垣記念碑15:25仁木島駅ゴール16:00
仁木島発16時26分発亀山行に乗車し松阪駅まで。 
嬉志乃さんを出発 ヨコネ道に入ります
ヨコネ道の入り口 ヨコネの杉木立 ヨコネ道の出口 賀田湾遠望
 炭焼小屋後  杉木立の中の道
苔の石段 三木峠展望所からの風景
民宿・嬉志乃のおかみさんにおにぎりのお礼を言い、宿を出発しました。
出発してT字路の突き当りに出たら左折、国道311号に合流したら八十川橋を渡ります。山の中では迷わないのですが街中歩きは道迷いが多くて苦手です。道標に従いヨコネ道に入ります。比丘尼(びくに)転び、尼様が転んだのかしら?炭焼き窯など通過し急坂を上ると三木峠の案内版あり。1/8と表示があり「ああ800mかぁ」と少し安心しました。手入れされた明るいヒノキ林の中、ちょっとした急坂を越えればすぐに三木峠に到着。近くにある展望台まで行って、ベンチに座ってしばし休憩。 
三木峠の下りはかなりの急でした。三木峠を下りて農道に出たらノボリバタを目印にジグザグに民家の間を潜り抜け国道311号に出ました。
「ここは古江町です」の看板の手前で道標に従い再び古道に入ります。羽後峠登り口の道標に従って進みました。ここにも猪垣があります。再び農道に出たら道路反対側の道標を見落とさずに古道に進みます。ここからが「羽後峠登り口」となります。羽後峠は「1/9」の峠で猪垣が続きます。「左くまのみち」の道標に従い前進~。 あっと言う間に羽後峠です。
猪垣沿いの道
羽後峠からの下りは立派な猪垣の中を下ります。人間と動物達は立派な猪垣でもって共存できていたことがよくわかります。またまたあっという間に峠道は終了しました。羽後峠周辺は地元の人達の間では秋葉山と呼ばれており、火の神様が祀られているそうです。
山の神 賀田湾
羽後峠です 
賀田羽の五輪塔  賀田の映画館 寿座 
水路に沿って歩き、農道に出たらそのまま横切り「賀田羽根の五輪塔」に到着しました。五輪とは仏教思想における宇宙生成の五大要素「空、風、火、水、地」を指し、故人供養のために建てられたといわれます。

舗装道路を歩き古川橋を渡ると賀田駅。ここがゴールかと言えば、いえいえそうではありません。
この日のお弁当は、嬉志乃の女将さんのご厚意で、ご飯を提供していただき、各自でおにぎりを作り、朝食のめざしをおかずに 美味しくいただきました。
このお心遣いが無ければ、コンビニも無い、スーパーも無い、食堂も無い所では、あわや「食料遭難」するところでした。
 賀田の町
飛鳥神社に到着です。境内には入らずでしたが・・
飛鳥神社には巨木が何本も生えている森ですが、最も大きい木は境内の外側の道路を左に回った裏手に生えていました。飛鳥神社境内には、クス・スギの巨木やシマクロキ・バクチノキ・ムクロジ等の亜熱帯性と温帯性の植物が混生しています。なかでもクスは樹齢も1000年以上、幹回り11.5メートル、高さ30メートルにもおよび平成元年「緑の国勢調査」では、三重県下第3位に選ばれています。また境内の樹叢は、県天然記念物に指定されております。
レトロな市役所を過ぎ、レトロな公民館まで来たら公園に沿って右折します。曽根五輪塔を過ぎると曽根次郎・曽根太郎坂の登り口となります。JR仁木島駅まで1時間40分の道のりです(ここにきて長いなぁ!)
次郎坂太郎坂登り口 次郎坂太郎坂
曽根次郎・曽根太郎坂は尾鷲市と熊野市の市境である甫母峠を越えるコースです。曽根の貴重な史跡を巡るほか、古道では美しい石畳や猪垣などに出会えます。八鬼山を越えた後の峠越えは困難だったのか道沿いには行き倒れの巡礼供養碑が佇んでいます。
次郎坂
 次郎坂の鯨石
賀田湾がみえてきました。曽根の一里塚、鯨石を見ながら甫母峠(ほうじ茶屋跡)に到着しました。「ほうじ」とは、「榜示」という領地の境界を示すものに由来します。ここは中世の頃、志摩国と紀伊国の境だったといわれています。楯見ケ丘からは楯ケ先が見えました。猪垣記念碑や巡礼供養塔に手を合わせバイパスに出ました。ふと、時計をみたら午後4時少し前です。「こりゃあ電車に乗り遅れたら大変だわっ!」
甫母峠
猪落とし 猪垣
 右の画像をクリックしていただきますと動画にリンクします
レポートと合わせてご覧ください
 
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最後の力を振り絞り早歩きでガードをくぐり、新逢川橋を渡り 午後4時丁度にJR仁木島駅ゴールとなりました。「間に合った~!」
スタンプ収得も次回ですべて収得できる予定です 
 ▲2018.05.26 ▲2018.05.26  ▲2018.05.26   ▲2018.10.03  ▲2018.10.03 ▲2018.10.03  ▲2018.10.04  ▲2018.10.04  
 ▲2018.10.05  ▲201810.05  ▲201810.05  ▲2018.11.017 ▲2018.11.016  ▲2018.11.016   ▲2018.11.017 ▲2018.11.017 
▲2018.11.017  ▲2018.12.09 ▲2018.12.09 ▲2018.12.10 ▲2018.12.10 ▲2018.12.11 ▲2018.12.11 ▲2019.01.00
 
 ▲2019.01.00 ▲2019.01.00  ▲2019.01.00   ▲2019.01.00
 
 ▲2019.01.00  ▲2019.01.00   ▲2019.01.00  ▲2019.01.00  
スマホのスタンプの日付と実際に行った日にちが違っています 原因を問い合わせています 
 スタンプの日にちの違いについて回答いただきました
久田様 
大変ご連絡が遅くなり、申し訳ございません。
ブログ拝見させていただきました。 すごいですね。
伊勢路の道中記だけでなくスタンプラリーも載せていただきありがとうございます。また、天気もよさげで歩くには絶好だったのでは。
自分も八鬼山越より、曽根次郎坂・太郎阪峠がきつかった思い出があります。 スタンプラリーのスタンプも順調そうでなによりです。

お問い合わせいただきました、スタンプラリーの日付ですが、QRコードを読み込んだ日付となります。また、再度読み込む(リロードする)と、日付が上書きされる仕様となっており、実際の取得日と差異が出てきている可能性があります。 旅の思い出の日付と一致しなく、申し訳ございません。
あくまで、目安と考えていただければ幸いです。
  
いろいろと、ご迷惑をおかけしますが、これからも熊野古道伊勢路をよろしくお願いします。
 三重県東紀州振興課     
  最終回は
2019年1月21日から23日
ゴールの熊野速玉神社を目指します。
  感   想
 ●ひ め 
曽根次郎・曽根太郎坂は思いのほかしんどかったです。3日目で疲れもたまっていたのかも知れませんが、曽根次郎・曽根太郎坂から仁木島駅向かう石畳みと木の根の交差する古道は「しばらく石畳みは歩きたくない」とまで思わせるきつさがありました。八鬼山峠越えより辛かった!

女鬼峠に始まり、三瀬坂峠、ツヅラト峠 荷坂峠、一石峠、三浦峠、始神峠、馬越峠、八鬼山峠、仁木島峠、曽根次郎坂・太郎坂・・・「熊野古道伊勢路手形ラリー」には16か所のスタンプ押印場所が掛かれています。スタンプ押印場所を見つけたら、子供の頃に蘇った気分で休憩も出来るし、なかなか楽しいです。

後日、民宿・嬉志乃様へは、おにぎりのお礼の手紙をしたため、大阪名物(?)をお送りさせていただきました。女将さんからはご丁寧に荷物のお礼のお電話を頂戴しました。地元の人との触れ合いも旅の思い出となりました。 
 ●Junko

12月9日~11日、相賀から二木島の二泊三日の旅。
馬越峠(325m)、八鬼山越(647m)、曽根次郎坂太郎坂の甫母峠(305m)海岸沿いの山道だけに結構な急坂、昔を偲ぶ美しい石畳路、天気に恵まれた山から見る青い海に心癒された。どこの峠も上りに目標物が沢山あり苦しさにもかかわらず気も紛れるのだが、目標物のほとんどない下りがしんどかった。

尾鷲では、尾鷲有数の山林経営家土井家の今に至る屋敷や山林の屋号、矢浜の「石敢當(まよけの石標)」、今では見るのも稀な長い竿一列に並んだ漬物用の大根干し、もう一年が来る門口の正月飾り、もうすでに廃業になっている「松の湯」の入り口の富士山のタイル絵。

三木峠の古文書「通行手形、猪垣修理の申請書」長くて太い男根に挟まれた小さな社。賀田の古文書による安政の津波、大地震。江戸時代の安政年間は日本各地で大地震が連発したという。今、平成が終わろうとしているが考えると災害の多い年間であったと思う。

立派な猪垣が至る所にあり「猪」の字に沢山出会えた旅。はからずも来年の干支は「亥」、きっと幸せを沢山運んで来てくれるだろう。(共存共栄悪さしないでね)

 ●JON
この日一番の景色は何と言っても猪垣のすごさにつきます。一つ一つ手積みして作ったものでしょうが、その数の多さに驚かされました。その石にコケがついているのもなかなか見ごたえがありました。
地域住民と猪との闘いの歴史を感じすることができました。現在のように電気柵が無いために、石を積み上げるしか方法が無かったのでしょう。これらの猪垣が今に現存しているのも驚きでした。
 文:美智子00