12月9日~11日、相賀から二木島の二泊三日の旅。
馬越峠(325m)、八鬼山越(647m)、曽根次郎坂太郎坂の甫母峠(305m)海岸沿いの山道だけに結構な急坂、昔を偲ぶ美しい石畳路、天気に恵まれた山から見る青い海に心癒された。どこの峠も上りに目標物が沢山あり苦しさにもかかわらず気も紛れるのだが、目標物のほとんどない下りがしんどかった。
尾鷲では、尾鷲有数の山林経営家土井家の今に至る屋敷や山林の屋号、矢浜の「石敢當(まよけの石標)」、今では見るのも稀な長い竿一列に並んだ漬物用の大根干し、もう一年が来る門口の正月飾り、もうすでに廃業になっている「松の湯」の入り口の富士山のタイル絵。
三木峠の古文書「通行手形、猪垣修理の申請書」長くて太い男根に挟まれた小さな社。賀田の古文書による安政の津波、大地震。江戸時代の安政年間は日本各地で大地震が連発したという。今、平成が終わろうとしているが考えると災害の多い年間であったと思う。
立派な猪垣が至る所にあり「猪」の字に沢山出会えた旅。はからずも来年の干支は「亥」、きっと幸せを沢山運んで来てくれるだろう。(共存共栄悪さしないでね)
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