紀伊山地の霊場と参詣道:熊野古道 伊勢路 その1 伊勢神宮内宮~田丸 2018.05.26

 
  第二回目は秋風が吹く頃に
行く予定です
 ●熊野古道・伊勢路 : 5月26日(土) 曇り    その1 「出陣の鐘を鳴らす」 
伊勢神宮内宮~猿田彦神社~外宮~筋違橋~渡会橋~田丸
世界でも珍しい、道の世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」日本のほぼ中央にある紀伊山地には、「熊野三山」「高野山」「吉野・大峯」という三つの霊場があります。「熊野古道 伊勢路」は、日本人にとって特別の場所である「伊勢神宮」から、いくつもの険しい峠を越え、熊野三山を詣でるために通った“祈りの道”です。古くには、「伊勢に七度、熊野に三度」という言葉もあったほど、誰もが訪れたいと願う憧れの地であり、 伊勢路には、今でもその景観や歴史、文化が随所に息づいています。 
 熊野古道大辺路を制覇した後、当然の様に伊勢路の計画が浮上しました。厳しい峠越えがいくつもあり私達の体力低下が心配されるところではありますが“祈りの道”だから何としても行きたいと決意しました。伊勢路の出立は「田丸駅」からスタートなのですが昔の人達と同じ様に伊勢詣りを済ませて秋頃から本格的に出発することにしました。今回は平地ばかりと言うことと「赤福」に釣られてポッチーも参加することになりました。何と2年ぶりの復帰です。伊勢神宮の御利益を頂きに始発電車で出かけることにしました。
 私達は上本町から、junkoちゃんは鶴橋から乗車、靖ちゃんは名張に前夜泊で名張駅から乗車合流です。近鉄電車急行に揺られて2時間30分伊勢市駅に到着です。タクシー乗り場には1台乗客待ちのタクシーが停まっており「5人乗れますか?」と聞くと乗れるとの事です。運転手さん曰く「5人乗ればバスで行くより安いわなぁ」内宮前に来ると「ここで交通事故がありましてなぁ」と説明してくれました。外に目をやると真新しい花束が手向けてありました。その事故とは4月14日伊勢内宮前の県道沿いで路線バスが石灯籠に接触して上部が落下し、頭に直撃した男性が死亡。事故を受け、県、市、国交省は会議を開き、伊勢市内の石灯籠全513基全てを7月26日までに撤去すると決めたそうです。今回の事故で安全確保の大切さを再認識し、石灯籠の危険性について認識を共有し、二度と事故が起きないよう対応を考え、伊勢市名物の石灯篭が消える結果となりました。
 伊勢神宮内宮08:44→猿田彦神社10:00→櫻木神社10:28→麻吉旅館10:55→外宮11:35-12:05(昼食)→度合橋13:25→
城田小学校14:12→初瀬街道・熊野街道合流点15:00→JR田丸駅ゴール15:15
内宮前には職員が駐在しており厳かな空気を醸し出していました。伊勢神宮の凛とした空気にはいつも背筋がピーンと伸びる気配がいたします。まずは五十鈴川で身を清め玉砂利を踏みしめながら内宮にお参りしました。ここにも職員が立っており撮影禁止区域の監視や挙動不審者等のチェックをしている様子でした。
▲内宮の正宮へと詣でます
内宮参詣後はおかげ横丁へと進んでいきます 
内宮を出て、▲おかげ横丁をそぞろ歩き。右や左の珍しいお店にキョロキョロしていると「赤福本店」が見えて来ました。今回のコースの中には「赤福を食べる」も入っているため迷わず店内へ。朝も早いというのに赤い緋毛氈の敷かれた座敷には多くの客が美味しそうに赤福を食べていました。junkoちゃんと靖ちゃんにご馳走になりました。とても美味しかったです。
伊勢~の名物 赤福餅はエ~じゃないか
おかげ横丁を歩いて行くと、おかげ参道前に宇治浦田観光案内所があり、まずはスタンプゲットです。ところが、ところがなんです。「スマホでゲット」となっており全員が悪戦苦闘。係のおじさんに聞くと「わしもわからん。みんな諦めて帰ってしまう」とのこと。(おいおいそれでは案内係にならんやろ)汗を拭き拭き何とか1個目のスタンプをスマホに収録。とんだ時間を費やしたものです。
▲県道32号をくぐる地下道
 ここから県道沿いに東へ進んでいきます。右手に立派な猿田彦神社がありました。お参りを済ませて振り向くと白無垢姿の花嫁が神殿に向かうところでした。長らく出会わない光景でしたので、しばらく見とれてしまいました。
▲猿田彦神社
神社を出て境内に沿ってすぐ右折します。すぐの所に宇治惣門跡。しばらく歩くとゆるやかな坂道にさしかかりました。 
▲牛谷坂の両宮常夜灯
 やばいっ!ポッチーが歩けるか?心臓の働きは健康な人の半分らしいのでみんなに見守って貰いながら櫻木地蔵を探しました。道案内も何もないため非常にわかりにくくて、通りがかりの自転車の叔母さんに尋ねると、わずかな距離のところにあるらしい。あった、あった。
▲桜木地蔵堂
桜の大樹の元に鎮座されていた事から桜木地蔵と名付けられたそうです。江戸時代には了運尼禅宣上人がここに小庵を建立し、御本尊をお祀りしていたと伝えられています。大岡越前守忠相もこの地蔵を訪れ江戸町奉行に出世したという伝えから、出世地蔵とも呼ばれています。近年は、武蔵川部屋の力士が毎年訪れることでも知られ、武蔵丸は幕下のころから毎年参拝して横綱になったことから出世地蔵の名が一段と増したそうです。 
 ▲神宮をイメージしたオブジェの上で…みーんなのってるかい
▲伊勢古市参宮街道資料館 ▲寂照寺
つぎに現れた雪峰稲荷を過ぎ古市参宮街道を歩きました。どの家の軒下にも「古市参宮街道」の旗が風に揺られていました。江戸時代、「五大遊郭」と言われた伊勢の「古市」。(五大遊郭とは、大坂の新町遊廓、京都の島原遊廓、江戸の吉原遊廓、伊勢古市、長崎丸山)
ここはかつて、お伊勢さんへの「おかげ参り」の帰路、旅人の「精進落とし」で栄えた街。今も尚、唯一当時の面影をそのまま残し営業をしている楼閣、それが老舗旅館麻吉です。現代も江戸時代の風情をそのままに残していて絶好の撮影スポットのため立ち寄ることにしました。老舗旅館麻吉のその歴史は大変古く、200年以上まえからあると言われています。その風貌は独特で、急斜面に沿って作られた建築様式は京都の清水寺と同じ懸崖造りといい、この歴史的な木造宿とその脇をすり抜ける急坂の風景は、まるでタイムスリップしたかの様な空間です。
「ごめんくださいまし 麻吉旅館の女将さん…旅のものでございます…路銀が底をつきましたので 下働きにでも使おうてもらえませんですろうか…」
「お前さん土佐のお人かえ…まあお入んなさいよ」
▲長峰神社 ▲長峰神社の仔狛犬を抱える ▲勢田川に架かる小田の橋
古市参宮街道を歩き外宮に向かいます。「こんなに遠かったかなぁ?」内宮を出てからあちこち寄り道をしたものの3時間かかってしまいました。外宮前の観光案内所で2個目のスマホスタンプに挑戦です。またまた・・・うまく行きません。ゴールまでの32個をゲットするころにはすっかりベテランとなっていることでしょう。
外宮前の公園には椅子が沢山置かれておりお弁当タイムしました。外宮の参拝は「左側通行」となっています。「ん?内宮はたしか右側通行だったよね?なんで外宮は左側通行なんやろ?あそこの職員の人に聞いてくるわ」姫は疑問に思ったら調査せずにはおられない様で職員に質問してニコニコしながら戻ってきました。「手水の位置が内宮は右側にあり、外宮は左側にあるからなんやて」ふーん。
 ▲伊勢神宮 外宮
ポッチーは電車利用でゴール場所へ先回りすることになりました。ポッチーと別れて昔の人達が、お伊勢参りを終えて巡礼装束に着替えたというゴールの田丸駅に向けて、ひたすら歩きました。
▲小西萬金丹 ▲常照寺山門
町並みを歩いていると道路の向こう側に何やら古めかしい建物がありました。「一体何の建物なんやろう?」と、信号のない大通りを横断し調べてきました。姫がニコニコしながら戻ってきました。何やら口ずさんでいます。「♪越中富山の反魂丹、鼻くそ丸めて萬金丹、それを飲む奴ァあんぽんたん♪」幼少のころ、わらべ歌代わりに歌っていたことを思い出しました。申し訳ありません、ここは萬金丹の会社だったのです。
江戸時代お伊勢参りの旅人に重宝された「伊勢の霊薬」として三百年間親しまれてきました。「お伊勢さんの霊薬・萬金丹」は土産の定番だったそうです。現在は薬でなく、毎日の健康を維持する食品として幅広く親しまれているそうです。 
▲小西萬金丹店頭 ▲御師 福島みさき邸跡 ▲お医者さん邸
▲筋向橋北側欄干 ▲常盤湯…今日は暑い ひとっ風呂 浴びてえなあ
かつて、全国各地からお伊勢さんをめざす人々の合流地点だった「筋向橋」からほど近い銭湯。家族親戚、総勢15名での大ファミリー経営だそうで、さすが手入れの行き届いた居心地のよい空間が印象的です。立派な木造りのロビー、欄間や格子の天井は、まるで立派な旅館に来たような気分。大小さまざまなタイル絵が目を楽しませてくれる浴場も、広々として、設備も充実しています。時間ごとに次々と顔のかわる番台。オープン直後には入り口で「開いたよー」と声をかけあう常連さんたちの姿。今やめずらしくなった活気ある銭湯の風景が、心まで癒してくれるようです。 
▲案内板の中にQRコードが貼られていました。スマフォで収得すると英語に翻訳されます。
▲筋向橋です。江戸から伊勢までの距離は、日本橋からこの筋向橋までを測っていたとのことです。 へぇ~と驚きの声。
しばらく歩くと堤防がチラチラと見えて来ました。宮川に架かる度合橋(わたらいばし)への道が見当たりません。どうも勢いよく歩いていて見失ったみたいです。堤防に駆け上がり引き返すことにしました。かなり歩きすぎています。軌道修正をして度合橋手前でしばし休憩。靖ちゃんがポッチーにラインをこまめに送ってくれています。「いま度合橋。あと2時間くらいかかります」ここには柳の渡し跡、少し下流に桜の渡し跡があったらしい。橋を渡ると遠くむこうに見える伊勢の山。「伊勢三山やね」伊勢三山とは、伊勢の三つ星とも言われ、局ヶ岳(標高1,029m)白猪山(標高819.7m)堀坂山(標高757m)のことです。
 ▲わたらいばし  ▲東詰・ニワトリと卵に見える?  ▲西詰のモニュメント
▲渡会橋 ▲大台ケ原を源頭とする宮川の流れ
▲宮川を渡る 柳の渡し (上の渡し)  …下流にあるのが 櫻の渡し (下の渡し) だそうです
▲尾崎咢堂記念館 ▲地蔵院
▲参宮街道には昔を偲ばせる住居が多く残っています
▲参宮街道でここだけ標識がありました
▲JR参宮線 田丸駅の東側にある 上地踏切を横断中 突然警報機が鳴りだした そこで一枚…ちょっとアップにしてみました。
城田小学校界隈には蔵持ちの家が多く昔は栄えたであろうことが想像できました。田園風景の中ひたすら歩き続け「あああ電車に乗りたいよ~!」と言い出す始末。それもそのはず線路を横断したので駅は近い筈?急にキンコンカンコンと踏切の警報音がして慌てて飛び散りました。
今回初めて顔を見せてくれた「熊野街道 新宮まで 162km」の道標。歩き続けていると初瀬街道・熊野街道合流点の道標に到着です。道標の後ろに窮屈そうに立て看板が建っていました。写真に撮るのも読むのも窮屈です。「大和から初瀬」の説明です。『街道・熊野からの熊野街道がこの地点で合流し伊勢本街道として伊勢神宮へと続いていました。交通の要衝と言われ伊勢参宮西国三十三か所の観音巡礼のため田丸の町は大変賑わったと言われます』
 ▲熊野街道起点の碑 「だれー草鞋の紐 直してんの  ▲熊野街道出立の町 田丸
▲次回はここから継いで歩きます
今回の収得スタンプ 3個
     
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レポートと合わせてご覧ください 
 
   旅の感想
 junko
おはようございます。ございます。昨日はありがとうございました。赤福もっと食べたかった?大人なんだからちゃんと言ってねー。こんどは駅で一杯買って口にアンコつけながら歩きましょう。鶴橋に戻って反省会のお好み焼きも美味しいかった、大満足です。しかしお伊勢さんからの始まりは、ちょっと違う、昔の人の余裕、豊かさ、贅沢を感じました。とっちゃん又、頑張ってご一緒しましょう。
 ●ひ め
いま思い出しても笑える「度合橋欄干ものがたり」欄干に書いてあるイラストを見て「ニワトリと玉子」と言っちまったぜぃ!よくよく見ると伊勢志摩は真珠の名産地、あれはアコヤ貝と真珠だったのだと笑えて仕方がない。とにかくよく笑った。それほどに楽しかったということだと思います。次回からは峠越えがいくつもあり大変そうですが資料を読んで伊勢路を楽しみたいと思っています。山行中どうか雨が降りません様に!
 ●靖ちゃん
今回も大変お世話になりありがとうございました。暫くお会いする機会が無いと思っていたのに、こんなにも早く企画下さり感謝です。
ポチさんと5人で、お天気も曇りで過ごしやすく、楽しい熊野古道伊勢路の始まりですね、今後共どうぞ宜しくお願いします。
 ●ポッチー 
久しぶりに皆さんと一緒に歩けて嬉しかったです。ゴールまで行けると自信満々だったのですが途中で迷惑をかけてはいけないと駅に近い場所から別行動となりました。今後のコースでも参加できそうなコースがあれば全部歩けなくても体調に合わせて楽しめたらいいなと思います。参加させていただきありがとうございました
 ●JON
いやー、またまた道間違い。伊勢路の内宮~田丸間は標識が少ないようです。渡会橋の近くでちょっとしたミス、まあ次回からはもう少し喝を入れて頑張りましょう。赤福もう一皿食べてたら楽勝だったかも?。次回はうなぎよろしくねー
今回も熊野古道 伊勢路を歩いている人に出会いませんでした。ただ外宮で世界遺産登録記念冊子「熊野古道伊勢路図絵」を片手に参拝されている方をお見掛けしました。この方かどうかわかりませんが、渡会橋東詰めで紺色の帽子、お茶のペットボトル(満タン)、「熊野古道伊勢路図絵」の3点が無造作に置かれ姿は見えませんでした。あまりの暑さに川原に足でもつけに行かれたのかなって思いながら通過しました
 文:美智子姫 
 
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は平成12年(2000)に完成した東横堀川水門は、道頓堀 川水門と対になっている閘門です。①門の前後で水面の 高さが違う時に水門内で水位の調整を行い船舶を航行さ せる、②大雨や高潮で水位が上昇する時は水門を閉めて 浸水被害を防ぐ、③潮の干満を活かして門を開閉して水 質をきれいにする、という役割があります。水門が開閉す るときに船の信号がわりに出る噴水は、大阪市章「みお つくし」のかたちをイメージしてつくられたそう