熊野古道・伊勢路 13 紀伊市木~七里御浜~ウミガメ公園~粥盛様~熊野速玉大社 2018.01.23
熊野古道・伊勢路 第4回目 JR紀勢本線・二木島駅J~波田須~熊野市~紀伊市木~新宮・熊野速玉大社
●1月23日(水) 第3日目(晴)  熊野古道・伊勢路 13 紀伊市木 ~七里御浜~ウミガメ公園~粥盛様~熊野速玉大社 
はまのや旅館07:30⇒市木の一里塚スタンプ08:00⇒道の駅・パーク七里御浜09:00-09:20⇒阿田和駅前からタクシーで移動 ⇒道の駅・紀宝町ウミガメ公園 ⇒紀伊井田駅:⇒狼煙場跡:⇒横手延命地蔵10:20⇒首なし地蔵と導引地蔵⇒耳切坂⇒飯盛神社⇒粥森さん11:30⇒熊野大橋歩道橋⇒熊野速玉大社12:20ゴール!
いよいよ最終日となりました。泣いても笑ってもこの日が伊勢路コースの最後です。旅館を出て突き当りがすぐ浜辺です。堤防歩きは朝日を浴びで気持ちがいいです。国道は危険のため旧道を歩き緑橋を渡ると市木の一里塚です。市木の一里塚は昭和37年までは一対の塚としてあったそうです。海側の塚、山側の塚とあり両塚とも大小の松雑木の密林となっていたそうです。いまは車道の脇にひっそりと立っていました。 
午前7時30分 宿を出て七里御浜の防波堤を歩きます
道標に沿って 優秀な主婦 捨てへんよ 緑橋 JR紀勢本線・市木川鉄橋
市木川と太平洋が合流するところ 親不知子不知らずの難所と呼ばれ 旅人から恐れられていました
市木の一里塚
熊野古道 浜街道 起請の水 … 今は閉鎖されていました
▼七里御浜海岸 阿田和園地を探勝します
七里御浜探勝歩道は「通行止め」の札がかかっておりました。国道歩きを強いられるのかとうんざりしましたが「イチかバチか行けるところまで行って見よう!」素晴らしい浜辺歩きを見逃すのは悔しい。最悪波打ち際を歩くとか、引き返すとか、最悪を覚悟のうえで阿田和園地に入りました。探勝路を歩いたり浜砂の中を歩いたり、足は砂に沈み歩きにくい事この上ないのですが空の青さと海の碧さを満喫しながら最高の歩きを楽しみました。 無事に通過して振り返れば、通行止めの指示ではなくう回路の指示を出していただければ安心して通過できる道でした。
阿田和園地から黒潮橋に上がります
 道の駅 「パーク七里御浜」
道の駅「パーク七里御浜」に到着しましたがまだ開店前の様です。9時からのようです。波田須駅で出会ったハイカーも開店を待っているみたいです。私達はスマホの「QRコード」と伊勢路のスタンプが欲しいのですが店内に設置してあるため押印できません。施設の外に設置して貰える工夫が欲しいです。道の駅「パーク七里御浜」が開店し中に入って見ると広くて立派です。「1年中みかんのある町」と称するだけのことはあって、どの店もみかんミカンmikannのオンパレードです。
ここのスタンプコーナーでスマホの「QRコード」を収得することは出来たのですが、「熊野古道伊勢路ガイドブック」のスタンプが無いように感じました。2個ゴム印が置かれていましたがどうも違うようです。カウンターの女性に冊子を示しながら確認すると、「ちょっと待ってください」と言いながら、カウンターの引き出しから出してきて「これです」と言って渡してくれました。「ムカッ」朝一番から怒るのもどうかと思い受け取って押印しました。
道の駅のすぐ傍にタクシー会社があり国道歩きを回避するためにタクシーを利用することにしました。配車係のおじさんが5人乗りのタクシーを手配してくれて「道の駅・紀宝町ウミガメ公園」に行ってもらいました。ここはスマホスタンプをゲットするために立ち寄りました。
道の駅 「紀宝町ウミガメ公園」
ここから少し行くと、いよいよ海辺の道に別れを告げて山道に入っていきます
狼煙場跡の看板 井田の一里塚跡
狼熛場跡を経て、井田一里塚跡まで到着しました。井田一里塚跡は、もとは盛土した上に小さな石をのせただけの物を井田村の古老たちが改めて建立。昔、新宮の掘端にあった瀧鼓橋から、ここまでを一里として車馬の賃金の基準にしたそうです。 
路面はアスファルトでしたが古道の雰囲気を味わうことができました
ゆるやかな細い道を歩いて行くと横手延命地蔵に到着しました。何やら人影がふたつ。翌日お祭りがあるので準備のために来ていた様子でした。地蔵脇にある湧水は疳の強い子供がこの水で手を洗うと指の先から疳の虫が出て治ると言う伝承があります。湧水を探したのですが見当たらず(晴天続きで渇水している)地元の人が翌日のお祭用に汲み貯めた貴重な水を柄杓で分けてくれました。みんなで手を洗い疳の虫を指先から追い払いました。おまけにお札のお土産まで頂き横手延命地蔵を後にしました
横手地蔵尊   「お伊勢七度 熊野へ三度 横手の地蔵さんにや 月まゐり」
首無地蔵と道引地蔵
この地蔵より先、道は二筋に別れ、左は上野街道と呼ばれる旧熊野街道へ。右は神内へ。昔の旅人はこの分岐で道を誤りやすいことからここに地蔵を建立したそうです。
 首無地蔵辺りから見た太平洋
耳切坂の途中には 小物や野菜などの無人販売店もありました
歩いて歩いて無人販売の野菜を覗いたり、蠟梅の花に見惚れたりとJR三重南紀までやってきました。
飯盛神社、粥森様に到着しここでスマホスタンプは終了です。内宮からスタートして32個のスタンプをゲットしました。
成川 32番目のQRポイントです   粥森様 成川のQR ゲット 
伊勢路 成川 QRスタンプ32番終了点 粥森様 
町の中や国道歩きが出てくると途端に足が遅くなってしまいます。大きな橋が見えてきました。熊野川を渡れば熊野速玉大社です。昔は成川の渡しがあり、巡礼者達は長い旅の末にここから舟で対岸に渡り熊野速玉大社へ辿りつきました。私達は橋を歩き速玉大社に向かいます。
熊野川の雄大な流れを見ながら、12時20分、熊野速玉大社ゴーーーーールです。
何度も訪れていますが伊勢路最終地点と言うことで感慨無量です。長い時間をかけて辿り着きました。田丸から歩き続けて行き倒れとなり目的地に到着できなかった人達の分も丁寧にお詣りを済ませました。
熊野速玉大社 参詣
紀伊山地の霊場と参詣道 完全踏破まであと少し 記帳も済ませました
横丁のうどん屋で腹ごしらえをしに到着しました。新宮駅15時06分発の特急券を購入し荷物を待合室に置いて、平成6年に出来たと言う徐福公園に行くことにしました。
『徐福は今から2200年ほど前、中国を統一した秦の始皇帝に仕え、その命により、東方海上の三神山にあるという不老不死の霊薬を求めて三千人の童男童女を引き連れ、この熊野に渡来したと伝えられています。
徐福一行は、この地に自生する「天台烏薬」という薬木を発見しましたが、気候温暖、風光明媚、更には土地の人々の暖かい友情に触れ、ついにこの地を永住の地と定め、土地を拓き、農耕、漁法、捕鯨、紙すき等の技術をこの地に伝えたと言われています。
熊野地域には徐福渡来の地として数々の伝承・史跡が残り、鎌倉時代には文献に出てきます。新宮駅から東にわずか100mのところに「徐福の墓」があり、蓬莱山南麓の阿須賀神社には「徐福の宮」もあります。平成6年8月、「徐福の墓」を中心に極彩色豊かな中国風楼門を配した整備を行い、「徐福公園」としてオープンしました。』
 約2200年前に霊薬を求め渡来した徐福
秦の始皇帝の命により不老不死の霊薬を求めて渡来した徐福。現在、公園内には徐福の墓があり、平成6年(1994)8月に墓所を中心に中国風の楼門を設置するなどの整備を行いました。園内には徐福の墓のほか顕彰碑、徐福の重臣たち7人を祀った七塚の碑などがあります。
 謎に包まれた徐福とその一行
徐福は3000人の童男童女を連れ渡来し、この地に自生する「天台烏薬(てんだいうやく) 」を発見しました。しかし気候温暖、風光明媚なこの土地に魅かれ、ついに永住の地と定め、農耕・漁法・捕鯨などの技術を伝えました。
 帰路の列車から見た太平洋に沈む夕陽
  感   想
 ●ひ め 
宿を出てすぐに浜辺に出ました。朝日を浴びながら海を眺めながら「ああ、今日で伊勢路も終わりかぁ」と思うと感無量です。七里ガ浜は「通行禁止」と書いてありました。しかし浜辺歩きが無いとコースの良さが半減します。「イチがバチか行こう!」と前進。迂回することなく快適に歩けました。道端の無人販売所に立ち寄ったりしながら熊野速玉大社にゴール。以前来た時より感動が大きかったです。新宮駅前の徐福公園も徐福の歴史を知るには貴重な場所でした。さびれた駅前を徐福さんの力で掘り起こしてほしいと願っています。最後の最後に特急電車に乗り旅気分を満喫して伊勢路歩きが終わりました。サビシイ~!
 ●JON
熊野古道・伊勢路も今回で終わります。今日は峠無しの平地歩きです。見る場所も少なく2ヶ所の道の駅に立ち寄ります。ここがQRスタンプ収得ポイントになっているためです。スマホでQR収得もうまくいくようになりましたが「何事もうまくなったら終わりです」 井田駅の東側から北側に入り山沿いを歩くのがこの日の良いルートだと思った次第です。本日は地道が全くなく疲れが倍増しましたがどうにか熊野速玉大社にゴールです。
本宮道と川丈道が残りますが、これは丸山千枚田の美しい時に訪れたいと思っています。
 文:美智子00