熊野古道・伊勢路 12 波田須駅~大吹峠~観音道~松本峠~花の窟屋神社~紀伊市木 はまや旅館(泊) 2018.01.22
熊野古道・伊勢路 第4回目 JR紀勢本線・二木島駅J~波田須~熊野市~紀伊市木~新宮・熊野速玉大社
●1月22日(火) 第2日目(晴)  熊野古道・伊勢路 12 波田須駅~大吹峠~観音道~松本峠~花の窟屋神社~紀伊市木 はまの家旅館(泊) 
波田須駅スタート08:35⇒大吹峠スタンプ09:45-09:55⇒猪垣の道⇒大観猪垣道⇒泊観音跡スタンプ10:50-11:00⇒松本峠登山口12:17-12:20⇒松本峠12:44⇒熊野古道おもてなし館(昼食)13:50-14:30⇒花の窟神社15:20⇒有井駅16:20 有井駅16:35 ⇒紀伊市木駅16:42 
宿のおかみさんに見送られて、いざ出発しようと歩き始めた途端「忘れ物ですよっ~!」と声を掛けられました。何を忘れたのか引き返してみると何とジョンの大きな50ℓのリュックでした。冗談のような本当の話で大笑いの出発劇となりました。  本人曰く「また昼頃ここを通過するのでその時持っていけばいいと思ってたん」だって(うそっ!)
JR紀勢本線・熊野市駅 那智黒石は碁石や試金石として多く使われているようです
熊野駅は那智黒石のオブジェで飾ってあり記念写真を撮ったりしながら電車の来るのを待ちました。ホームには高校生らしき生徒たちが群れの様にやってきます。さながら、「木本高校」に通う通学列車の様でした。出発前に電車の中でウッチー会長が「カメラを落としたっ!」と慌てています。駅のホームから電車に乗り込む間の出来事で、途中で落ちているに違いありません。生徒の誰かが駅員に届けてくれているかも知れません。しかし・・・本人は勿論ですがあとの4人誰ひとりとして席を立ち探しに行こうとはしません。「カメラよりメディアが大切だし・・・」と言っていると「あった~!あった!」何とリュックからずれていただけの話でお騒がせの出発劇となりました。
JR紀勢本線・熊野市駅から波田須駅へ戻ります
午前8時24分発の電車に乗り、前日、寒空に震えた波田須駅まで戻り再び歩き始めました。駅でリュックを背負った登山者らしき人に出会ったのですが挨拶もそこそこだったので会話せずに通過となりました。
波田須の文字岩
波田須の棚田 文字岩
波田須の集落の中に弘法大師が残した足跡といわれる凹地に霊水が枯れることなく溜まり、その水は万病にご利益があるといわれています。弘法大師足跡水があるはずなのですが・・見当たりません。ウロウロと探していると先ほど出会ったハイカーがやって来たので弘法大師足跡水を尋ねてみると「知りません」とのことでした。熊野古道歩きをしている人の様ですが先を急ぐのか速足で去っていかれました。

道標に従って進みますが見落としやすいし指示する方向が違うので注意して進みました。次に出てきたのは「文字岩」です。西丹後守屋敷跡の前の巨石に、親の仇うちに来た相手を逆に返りうちにした西守後守と言う節が、その者たちのいのちを哀れみ死者の供養と今後の殺生を自身に禁ずるために「勤愼忍」と刻ませたと言う、見ごたえのある巨岩でした。
文字岩 おたけ茶屋 左なち山の道別れ道標
大吹峠登山口を目指します もう少し登れば国道です 登山口の公園
登山口の公園を過ぎたら山道です。大吹峠・大観猪垣道・観音道と進んでいきます
大吹峠の碑 大吹峠 大吹峠へは、猪垣の間を入ります。
大吹峠は猪垣に遮られていますので僅かな隙間を入っていきます
大吹峠は1/14で1400mあることがわかります。大吹峠は熊野古道には珍しい竹林が広がる古道です。それほど厳しいところもなく、情緒ある景観の中、古道歩きを楽しむことができます。しかし我々はこの竹林の道は歩かず、あえて厳しい大観猪垣道を駆けあがるコースを選択しました。 
大吹峠
大観猪垣道に入ります 大観猪垣道の奇木
大観猪垣道
大観猪垣道
泊観音への道
泊観音跡でスマホスタンプを押し下って行きます。観音信仰が盛んな時代は大吹峠道を通らずに、道の傍らに西国三十三所の観音石像が立ち並ぶ観音道がよく使われました。かつて、観音様の命日には多くの人が参り、お寿司やおはぎを売る店も出て、大変な賑わいだったということです。
泊観音 境内
泊観音を下るのですがところどころに西国三十三所観音石像の第五番から第十五番が並んでいました。すべての観音像に手を合わせ石畳道の続く脇にも石像が立ち並び心が和みます。 
観音道の観音様 
観音道を下っていると目の前に6体の石像が目に飛び込んできました。ふくろう岩と名づけられた大きな岩の麓に、観音様6体とお地蔵様1体が並んでいます。 
観音道と国道の境にあるお地蔵様 松本峠登り口の看板
 竹林から来た道と合流し大泊橋を渡り、国道を渡ると松本峠の急な登り口がみえました。急な登りに供えて長めの休憩を取りました。私達の姿を見ると同時に若者2人が松本峠に向けて出発して行きました。駐車場に車を止めて松本峠だけを楽しむみたいです。
松本峠の石畳は綺麗でした
松本峠のお地蔵様 松本峠の説明板
松本峠は1/7と距離は短いのですが、かなり急な上り坂の石段で青息吐息でした。松本峠にはお地蔵様もいて展望台からは七里御浜を一望できました。先ほどの若者も東屋で腰を下ろして休憩していました。桜の木が沢山植えられていましたので春は美しくサクラが咲き誇ることでしょう。
建ったその日に妖怪と間違えられて鉄砲傷をつけられてしまったという等身大ほどの大きなお地蔵様がいたはずでしたが私は気が付かずでした。(みんなは気が付いていたのかなぁ?)松本峠は、ほとんどの道に美しい石畳が残り、竹林に囲まれた峠では、松本峠を越えれば、浜街道を経て新宮まで峠越えはありません。かつての巡礼者が、七里御浜の向こうの新宮に鎮座する熊野速玉大社に思いを馳せたであろう場所だと思うと感無量でした。道のところどころに荷物を担いだまま身体を預けるのに適した岩がいくつかあり「休み石」だそうです。エベレスト街道には当たり前の様に歩荷さん用の「休み石」が随所に見受けられました。 
松本峠の東屋から見た七里御浜
松本峠道を下っていきます
笛吹橋
熊野古道おもてなし館でスタッフの皆様と…
 笛吹橋を渡り木本神社を過ぎると「熊野古道おもてなし館」があり中でランチを頂くことにしました。「魚・うどんセット」の人や「胡麻だんご・うどん」「あんまん・うどん」「コロッケ・めはり寿司」等、思い思いのメニューに舌鼓を打ち、40分ものほっこりとした時間を過ごしました。
料理もおいしくいただきました 古道を通った時はぜひお立ち寄りください…スタッフの笑顔に心癒されます
獅子巌 獅子巌の碑 神仙洞も今や崩落が進んでいます
街歩きをしていると昔懐かしい銭湯の看板を見つけました。今も営業しているのでしょうか?銭湯の突き当りは浜辺に通じる堤防となっていました。歩きながら、だんだんと大きく迫って来る浜辺からの獅子岩も、なかなか風流です。獅子岩は世界遺産にも登録されており高さ25m、約1400萬年前に改定のマグマが冷えて出来たそうです。獅子岩を「阿吽のあ」、となりの大鳥神社を「阿吽のうん」にみたて大鳥神社を守る狛犬としても例えられているそうです。獅子岩の中心の大きな穴に何かが祀られている様に見えましたので登ってみると丸太の椅子が数個並べられていただけでした。獅子岩を浜辺から、そして国道に上がり上から眺め神仙洞横を通過しました。昔は中に入れたらしいですがいまは施錠されていて、入ることは出来ませんでした。
 堤防沿いに歩いて花の窟神社に到着です。花の窟神社は高さ約45mの巨厳をご神体とする日本最古の神社として有名です。神殿は無く、自然崇拝の太古の遺風を今に伝えています。お詣りと休憩を済ませ
花の窟神社
花の窟神社 御神体
花の窟神社 境内
花の窟は720年(奈良時代)に記された日本最初の歴史書である『日本書紀』の神代第一で「国産みの舞台」として登場しています。この地は熊野三山信仰に先立つ古代からの聖地「窟の熊野」として重要な意味を持っており、まさに日本人のルーツといえる場所です。
この日のゴールの紀伊市木に向かいます。花の窟神社近くの有井駅から伊市木駅まで電車移動し、駅前の宿に宿泊です。
   感   想
 ひ め 
ヘロヘロで~す。松本峠がきつかったのでしょうか、ゴールした途端に駅にへたり込んでしまいました。心地よい疲労感です。大観猪垣道は歩きごたえ、見ごたえがありました。太古の時代にこのような石垣技術があり、しかもいまも立派に残っていることに驚きと感動を覚えずにはいられません。
地震でブロック塀が倒壊して小学生が無くなった痛ましい事故を思うと、現代は耐久性を重んじず安易な物作りに走りすぎているような気がします。石畳、石の階段、猪垣・・どれをとっても素晴らしい遺産だと思います。もっと沢山の人に熊野古道・伊勢路の素晴らしさを知って欲しいです。
 ●JON
この日の見どころは大観猪垣道でした。石積みの技術の凄さが今に残しているのだと感じた次第です。松本峠の東屋から見た七里御浜海岸も心に残る1カットです。熊野古道おもてなし館で過ごした時間は思い出に残りました。丸山千枚田を訪れた時には再び立ち寄りたいと思っています。
 文:美智子00