熊野古道・伊勢路 6 梅ケ谷駅発~ツヅラト峠~魚まち~一石峠~古里温泉 紀伊の松島 2018.11.16
 
熊野古道・伊勢路 第3回目 JR紀勢本線・大内山駅~JR紀勢本線・船津駅
●11月16日(金) 第2日目(晴) 梅ケ谷駅発 ~ ツヅラト峠 ~ 魚まち ~ 一石峠 ~ 古里温泉 紀伊の松島 15km
ツヅラト峠登山口08:15⇒ツヅラト峠09:31-09:40⇒ツヅラト峠出口11:00⇒ツヅラト花広場11:11⇒高速バス乗り場で迎えの車に乗り魚まちへ(干物の買い物)
⇒一石峠案内板15:30⇒道迷いetc.海野小学校前でSОS…宿の女将さんがレスキューに参上⇒宿到着16:40 
紀伊長島の町にはタクシー会社もなく、四季活魚の宿・紀伊の松島様のご好意によりツヅラト峠登山口まで車で送って頂きました。ツヅラト峠登り口8時15分のスタートです。車から降りると寒くて震えました。宿の若旦那さんが出発点にある碑の説明をしてくれました。昔、熊野詣をして、この地まで来たものの峠を越える体力は無く、止む無くここで熊野方面に向かい、手を合わせて引き返したらしいです。またある者はこの地で命耐えて野仏になったというお話しでした。シーズンになると大型バスなどが駐車し賑やかになるそうです。
駐車場の隅に「ツヅラト峠登山口」の看板が立っていました。ツヅラト峠は、標高357m。伊勢から熊野三山を目指す巡礼者が、初めて熊野の海を目にした場所です。かつて「伊勢の国」と「紀伊の国」の国境だった峠です。江戸時代以降、荷坂峠道が正式な紀州の玄関口となってからも、昭和初期まで生活道として使われました。ツヅラトとは九十九折のことで、カーブが連続しますが、石畳や石垣もよく保存されています。
ツヅラト峠直下 林道交差ポイント
ツヅラト峠 東屋 ツヅラト峠 展望所より長島方面を望む
このコースには野面乱層積みと言う有名な石垣が残っていました。江戸時代中期、徳川吉宗の時代に紀州藩の街道整備に伴って「紀伊の国」への正式な玄関口となりました。勾配はゆるく、道路も広いので歩きやすい道です。ツヅラト峠は江戸時代に入ってから東寄りの荷坂峠に本道をとってかわられましたが昭和初期まで生活道路として利用されていました。地元ボランティアの熱心な探索修復のおかげで古い石畳が掘り起こされています。
ツヅラト峠道の石畳
ツヅラト峠を歩き終えたら宿の若旦那のご好意で魚まちを案内して貰う事になっていましたので高速バスの停留所で待ち合わせをし魚町へと案内をしてもらいました。途中の長楽寺でスマホスタンプをゲットすべく、しばし駐車して貰いましたが探しても、探しても見つかりません。あまり長く待たせても気の毒なので魚町で干物屋を紹介して貰い、リュックは車に乗せたまま身軽に一石峠を越して宿に帰ることにしました。干物は現地直送でコムツのミリン干し、アジの開き、サバのミリン干しなど、それぞれが家族のために購入しました。
紀北町出身で濱口熊獄と言う偉いお方の住み家が残っていると資料にありましたので探しました。濱口熊獄市氏は『紀北町出身で明治時代に人身自由術という独自の祈祷術により、多くの人の病気治療をした霊術家として活躍した方です。地元の人は、尊敬と親しみをこめ「熊嶽(ゆうがく)さん」と呼ぶそうです。貧しい漁師の家に生まれた熊嶽は、網引き小僧をした後、那智山に入り多年の修行により真言密教系とされる祈祷術を身につけ、種々の病気治療を生業とするようになります。やがて全国的に知られるようになり、遠くは中国、アメリカにまで出掛け治療をおこないました。一代にして巨万の富と名声を手に入れた熊嶽はその財を郷土のために惜しげもなくつかったと言われています。今なお、晩年の熊嶽を知る人々の口からは、熊嶽がどれほど個性的かつ魅力的な人物であったかが雄弁に語られます』 
長楽寺のスタンプポイントが見つかりません。…探しました、隣の工事現場の中にありました。 
 この裏にありました  スタンプ一個で大騒動でした  お寿司屋さんに聞いてもわからず
魚まちは熊野古道に向って埋め立てられる度に道が作られたので道が三重になっています。まずは探しても見つからない長楽寺のスタンプ探しです。狭くて小さな町なのですぐわかると舐めていましたがが、みつかりません。地元の人に聞いても、けげんな顔をされるだけでした。1時間ほど彷徨い最後の手段と長楽寺横の工事現場を覗くと何と工事現場の柵の中にあるではありませんか!しかも工事現場のため「関係者以外立ち入り禁止」とのこと。そこを何とかお願いしてやっとスタンプゲットできました。(自宅に戻り、すぐに三重県東紀州振興課に苦情の提言と現状報告と対処策の回答もお願いしました)私達がスタンプを探している間、ウッチー会長は昼食場所を探してくれており町に一軒だけしかないと言う店でランチを済ませることができました。町全体が昔の栄華さはひとかけらもありません。
 長楽寺・本尊の薬師如来像は、1391年に村の漁師が海中より拾い上げてお堂に安置したと伝わています。海中に現れたのが5月8日だったことから、別名「八日薬師」と呼ばれ、1月8日の“お薬師さん”の日には参詣者で賑っているそうです。
町名標識 加田の道標地蔵 長島ドック
江の浦湾 江の浦大橋
海辺を1時間ほど歩くと一石峠の入口です。一石峠の入口近くに生卵の自動販売機がありました。珍しさも手伝って自動販売機の卵を買って宿への土産にしようと思い立ち・・・しかし誰が持って歩きまんねん?(もちろん、言い出しっぺさ~)…この時、一石峠を生卵の入ったビニール袋をもって歩こうとは思ってもみませんでした(トホホ)
峠のお地蔵さま 一石峠への道
一石峠口の登り口にある、頭も真ん丸で愛嬌のあるお地蔵様と出合いました。一石峠は紀伊の松島など熊野灘の優美な景色を楽しめる、なだらかなコースです。鼻歌まじりで玉子片手に歩いて帰れるはずでした。途中で階段を見つけ、どこかで合流するだろうと先頭について全員が歩いたのですが下に見える林道から、どんどん離れて行ってしまいました。夕暮れ時のため「こりゃいかん」と言うことで引き返し道標のあるところへ軌道修正しました。看板には「日和よきときは舟になど乗らず一石古里へ」と書かれた看板が立っていました。広い林道をそのまま歩いて行けば問題なかったのですが、大きな看板の下にも道があり何故か迷い道を選択してしまいました。またしても藪漕ぎをしてしまったのです(苦笑&大笑)峠から出てきたときには午後4時を過ぎており、軽い遭難状態になってしまいました。(失笑)宿に迎えを頼み何とか午後5時前に戻ることができ、卵も割れずに宿に差し上げることができました。疲れ知らずで、すぐに古里温泉で「冷や汗」を流し美味しい料理とビールで「藪漕ぎ物語」に話の花が咲きました。四季活魚の宿・紀伊の松島(泊)
 一石峠道迷いの笑い話
 ●ウッチー会長と姫・・・林道から外れて階段を迷わず登って行ったこと(申し訳ない)
 ●jumkoちゃんと靖ちゃん・・・正規ルートを歩いているにもかかわらず自信が無く引き返したこと(ごめん)
 ●ジョン・・・突っ込んだ道に「こっちやでぇ~」と誘導したこと(スンマヘン)
宿から5分ほど歩いて古里温泉に入ってきました
 今宵の料理も山盛りで出るわ、出るわ・・・「まんぷく」です。
  感   想
 ●ひ め
迷い道は誰の責任でもなく自己責任です。それぞれが地図を持っているのですから、おかしいと思ったらストップをかけねばなりません。宿のおかみの話によると大きな看板は、もともとは別の場所にあったものを移設し、その上、一石峠らしくするために一石の石を持って来たりしたそうです。だから看板の地図を見ても少し違和感があったのだと思います。「どんな時もパーティを組んだら行動は一緒にしなければならない」と言ったウッチー会長の言葉が妙に心に沁みました。妙にね。
 ●JON
ツヅラト峠は伊勢路の中でも人気コースのようです。下里から入った直後のヒノキ林も綺麗でした。峠の東屋からの長島湾の景色も素晴らしかったです。何よりも思惑違いをしたのが一石峠でした。小さい峠なので簡単に越せると思い、荷物も宿において行きましたが、なかなかの峠であり道標もなく大変でした。林道をそのまま進んでいけば古里地区に降りていけたのですが、スマフォに入れた伊勢路ナビも活用不十分、熊野古道伊勢路図絵の冊子もよく読んでおらず反省しきりでした。
一つの案内標識は行く道を雄弁に物語ってくれます。一石峠の立派な看板の所に小さい標識で良いので付けてください。
 文:美智子00