熊野古道 本宮道 瀞峡めぐり 2019.06.09
伊勢路
 
熊野古道伊勢路の峠越えの押印も「女鬼峠」「三瀬坂峠」は有りませんでした。
伊勢神宮をスタートしたころは 「てくてく熊野古道スマホdeスタンプラリー」だけでスタンプスポットに行き QRコードをスマホで読取りスタンプ帳に集めていくのですが これがなかなか年寄りにはうまくいかずスタンプスポット毎に大騒ぎです 「うまく撮れたわ」「カメラが起動しないわ」「スタンプ帳に行かない」など傍で若者が見ていたら大笑いされるところでした。1番の内宮に始まり 11番の山海の郷・紀勢まではQRコードスタンプラリーのみ 荷坂峠・ツヅラト峠からは熊野古道・伊勢路手形ラリーが始まりました。「次のポイントはQRコードだけ」「次は両方あるよ」作業が二つになるとまたまた大忙しでした。
八鬼山を越えたあたりからスタンプ収得もうまくいくようになり楽しさが増してきました。そして今回QRコードスタンプラリーには無い「横垣峠」「風伝峠」「通り峠」の三つの峠を歩き熊野古道・伊勢路手形ラリーを踏破できたのです。
 
  全ての峠越えを終えて、紀州ヒノキの立派な手形を送って頂きました。苦労して歩いた峠の名前がズラリと列記されております。全てを思い出せませんが幸いなことに沢山の写真が残っており完歩賞の手形とレポートを見合わせながら伊勢路を再び楽しんでいます。
「どこが一番?」と聞かれたら、いずれも甲乙つけがたいですが「一石峠の藪漕ぎ」でしょうか。何せ生卵片手に藪漕ぎしたのですから・・・。
  立派な紀州のひのき完歩手形 無事届きました。
峠のスタンプゲット目的が増え毎回結構楽しかったです。 ありがとうございました。  
  待ちかねたものがヤット届きました。完歩賞大きかったので意外でした。完歩賞の桧の手形もさることながら ガイドマップの判取り帳の右上にある熊野古道完歩認定印と添付されていた「完歩いただき ありがとうございました お疲れ様でした」の一文に感動しました。
やはり我が家の有る西宮市宝塚は普段から郵便物が遅れており 郵便過疎地であることを実感しました。
  東紀州地域振興公社様より 熊野古道・伊勢路の手形をそれぞれのメンバーに届けてくださいました。
紀伊路・中辺路・大辺路を歩いた時和歌山県様より頂いたのは踏破踏破証明書と丸型の記念バッジでしたので桧造りの道中手形は妙に新鮮でした。
QRコードの170km踏破記念バッジも素敵な物でした。
あと2名が同行していましたが、16か所通行には至りませんでした
 
東紀州地域振興公社の湊様より ご返信をいただきました。
    
久田 美智子 様

東紀州地域振興公社の湊と申します。
ご丁寧にメールをいただき、有難うございました。

貼りつけていただいたURLよりホームページにアクセスし、久田様のホームページに事務所職員一同、見入ってしまいました!!
情報量の多さに皆驚き、伊勢路についてこんなに沢山書いていただき、PRにもつながっており本当に本当に感謝しております。
これから伊勢路を歩こうと考えている方などが久田様のホームページを沢山の方が見てきっとお役に立っていることと思います。
今後とも伊勢路をどうぞ宜しくお願いします。
  
 
 女鬼峠 
女鬼峠は昔で言えば伊勢内宮・外宮に参拝後ゆっくりと参宮街道を歩き田丸の町を目指します 大和からの初瀬街道、熊野からの熊野街道がこの地点で合流し、伊勢本街道(参宮街道)として伊勢神宮へ続いています 田丸で旅支度を整えて伊勢路に入り熊野を目指すと 最初に出てくる峠です。峠道には今も荷車の轍が残り 切通しを掘削した当時の鏨(タガネ)のあとを見ることができます 峠の手前から左にとり 案内板に従って展望所に行ってみましたが 見晴らしは良くありませんでした
 ▲▲▲▲▲▲ 女鬼峠 ▲▲▲▲▲▲ 
  
 三瀬坂峠 
宮川の渡しを渡ると三瀬坂峠道へと入っていきますが 今の旅人は三瀬谷の町で泊る人が多いようです 数軒の旅館もあり疲れを取ってこの峠に臨みます
見どころとしては峠に祀られているお地蔵様ぐらいですが雨の峠越えは風情がありました。この日は台風で船が山腹に押しやられたため体験乗船することは出来ませんでした。
▲▲▲▲▲▲ 三瀬坂峠 ▲▲▲▲▲▲
 
  荷坂峠  
大内山を通り梅ヶ谷過ぎると少しづつ道は傾斜を増してきます どれぐらい高いところまで上がるのかと思いながら歩を進めていると数枚の幟旗とベンチ、紀伊山地の霊場と参詣道の石漂がありました ここで一服 レーションを頬張り吸水を済ませていざ出発 頑張って行こうとすると いきなりここから下りです。
ええっーーー下りですかあ 少々面食らってしまいましたが 気を取り直して 下りはらくちんだあ  しばらく降りて右に上がる小道があり そこを上がると沖見平、此処にスタンプがありました。またここは江戸道と明治道が交互に現れどちらにするか考えながら歩きましたが、江戸道のほうがショートカットをしながら下っていきます。
▲▲▲▲▲▲ 荷坂峠 ▲▲▲▲▲▲ 
 ツヅラト峠 
11月の肌寒い頃、美しい石畳を歩ける喜びで疲れ知らずでした。スマホスタンプに熱中したり峠のスタンプを押したりと歩いていても退屈しませんでした。
▲▲▲▲▲▲ ツヅラト峠 ▲▲▲▲▲▲
 
 一石峠 
一石峠では国道沿いにあった生卵販売機で宿の女将さんへのお土産に卵を買い それを片手に藪漕ぎをしてしまいました。普通に考えればハイカーさんは行かないようなところに入り込んで突っ切ってしまいました。「女将さーん 道に迷いましたお迎えお願いしまーす」ハイエースで飛んできてくれました。
何かアクシデントがあると回想するのに便利です。(笑)
 ▲▲▲▲▲▲ 一石峠 ▲▲▲▲▲▲
 三浦峠 (熊ヶ谷道) 
紀伊の松島の宿から佐甫道を通り 三浦峠への道は海を見ながら快適でした。切り通しの三浦峠を下り山中に架けられた2000万円の橋には立派すぎておったまげました。
 ▲▲▲▲▲▲ 三浦峠 (熊ヶ谷道) ▲▲▲▲▲▲
 始神峠 
三浦から発電所のパイプラインを越える明治道は始神峠まで通行止め、また始神峠から原の池に下る江戸道も通行止めになっていました。
▲▲▲▲▲▲ 始神峠 ▲▲▲▲▲▲
 
馬越峠
馬越峠は権兵衛さんの種まきの看板を見ながら国道を歩いているといきなり綺麗な石畳。ここならハイカーでも楽しめるだろうと思いました。石畳は馬越峠が一番長くて美しい印象です。伊勢路の峠道を歩いてみたいと言う人が居られましたら、お薦めしたいのが馬越峠ではないでしょうか。
 ▲▲▲▲▲▲ 馬越峠 ▲▲▲▲▲▲
 八鬼山越え
八鬼山峠・・スマホスタンプを貰いに古道センターへ遠回りし「何でコース外れにスタンプ押印箇所があるねんっ!」と怒った覚えがあります。苔むした石畳の「ごっとん石」で遊んだことも懐かしいです。八鬼山峠が一番距離が長く、つらかったです。何よりも木立にペンキで書かれた「世界遺産反対」に心を痛めました。
▲▲▲▲▲▲ 八鬼山越え ▲▲▲▲▲▲
 
 三木峠
三木里から賀田に通じる賀田湾沿いの道には、三木峠と羽後峠の二つの連なった峠がある。三木峠を左にとって少し登ると、眼下に広がる賀田湾の美しい風景が望めます。湾の中なので波穏やかなため大きな湖のようにも見えました。 
▲▲▲▲▲▲ 三木峠 ▲▲▲▲▲▲
 
 羽後峠
羽後峠・・猪垣は昔の人の動物との共存の知恵に感心しました。美しい石垣を歩き終えるのは未練が残ります。スマホスタンプも順調に、そして峠のスタンプも順調に押印できています。羽後峠から賀田へ下っていく途中には、猪から作物の被害を防ぐために作られたのであろう猪垣が見事な姿で残っていました。
▲▲▲▲▲▲ 羽後峠 ▲▲▲▲▲▲
 
 曽根次郎坂・太郎坂
「ホトトギス 鳴くや 曽根次郎 曽根太郎」 の句が何故か心に残っています。苔むした石畳の美しい道でした。鯨石の凄さは圧巻です。鯨石はシロナガスクジラのように見えました。
 ▲▲▲▲▲▲ 曽根次郎坂・太郎坂 ▲▲▲▲▲▲ 
     
 
JR紀勢本線・二木島駅から山肌を這うように設えた熊野古道。沿岸と 山間に距離が少ないためこうせざるを得なかったのでしょうが、二木島の集落辺りはかなり窮屈な感じで歩きます。
 ▲▲▲▲▲▲ 二木島峠 ▲▲▲▲▲▲ 
 逢神坂峠
熊野市の二木島と新鹿を結ぶのが、二木島峠と逢神坂峠です。捕鯨の里として知られる二木島から古道にはいると杉と桧の山林を縫うように、この区間は綺麗な石畳道が通じており、適度なアップダウンがあり楽しめました。
逢神とは伊勢の神と熊野の神が出会う場所という意味のようです。またかつてはこの辺りに狼が出没したことによるとの説もあります。
 ▲▲▲▲▲▲ 逢神坂峠 ▲▲▲▲▲▲ 
 波田須の道
不老不死の仙薬を求めて中国からやってきた徐福が上陸した里。二木島駅から通して歩いていたため結構辛い歩きだった覚えがあります。波田須駅で予定していた電車の時間に間に合わず寒いホームで1時間30分 震えながら次の電車を待ちました。暗く狭いホームを通過していく特急列車の轟音と風圧は怖かったです。
 ▲▲▲▲▲▲ 波田須の道 ▲▲▲▲▲▲ 
大吹峠
     
大吹峠は猪垣の中にあり切れた猪垣の間を通って峠の中に入ります ここからは大観猪垣道を通って泊観音を目指しました。道具の無い時代にどうやって石を運んだのかまたどうやって石を積み上げたのか、この辺りの猪垣には圧倒されました。
▲▲▲▲▲▲ 大吹峠 ▲▲▲▲▲▲ 
 
観音道
泊観音から観音道を下ります 無数の観音様に手を合わせ、古に心を馳せながら 巡礼にでもなったような気持ちで歩きました。
 ▲▲▲▲▲▲ 観音道 ▲▲▲▲▲▲
  
松本峠
 車道からすぐ松本峠の登山口があり三角の石畳が心に残っています。きつくて長い石畳を無言で登りました。
松本峠から少し南に入ったところにある東屋、此処から望む七里御浜は美しいのですが残りの旅の長さが解るだけに少々つらいものがありました。
 ▲▲▲▲▲▲ 松本峠 ▲▲▲▲▲▲ 
横垣峠
松本峠からは紀伊市木、浜街道、紀伊井田から耳切坂を通って熊野速玉大社にゴールしました。
そして6月丸山千枚田が美しい季節となり残りの横垣峠、風伝峠、通り峠と歩きました。この峠は短くてアッと言う間に制覇した気がします。何と言っても「虫おくり」は待った甲斐があったと満足しています。
伊勢路・本宮道は熊野市の立石道標から山間部に入っていき最初の峠が横垣峠です。ここは数か所の崩落のためしばらく通行止めになっていたところです。最近、林道阪本神木線の一部を迂回路に使いどうにか亀島の石灯篭に繋がりました。横垣峠から林道に降り林道を少し歩いて細い山道を登った所にある坂ノ峠にスタンプ押印所がありました。熊野古道・伊勢路手形ラリーの押印所の中でここが一番わかりにくかったかも知れません。
▲▲▲▲▲▲ 横垣峠 ▲▲▲▲▲▲ 
 風伝峠 
風伝峠へは車道を進むのではなく上記写真の中央辺りを登っていきますが標識が無いためまっすぐ車道を入ってしまいました。道がやや下りになった時、左手に風伝峠と示した小さな案内板がありましたので、それに沿って登るとわずかな時間で風伝峠に到着です。そこから反対側に下ってみると左の写真の小道に出ました
 ▲▲▲▲▲▲ 風伝峠 ▲▲▲▲▲▲ 
     
通り峠
風伝峠から国道311号に降り、標識に従って進んでいくとトイレがありそこから右手の山の中に通り峠道がありました。細い石畳の道でしたが手入れが行き届いていて歩き易かったです。登りきったところに子育地蔵さまが祀って有り、反対側の斜面に東屋もありました。ここが最後の押印所です。
 ▲▲▲▲▲▲ 通り峠 ▲▲▲▲▲▲ 
浜街道
七里御浜は熊野市から熊野川の河口まで続く砂浜ですが、浜街道は紀伊井田から山の手に入り耳切坂から粥森様を通り広川の渡しに通じるショートカットルートです。熊野川を渡れば伊勢路のゴール熊野速玉大社です。
 ▲▲▲▲▲▲ 浜街道 ▲▲▲▲▲▲ 
ひとまず熊野古道の旅は終わりました これがすべてとは思いませんので いろいろと調べてみたいと思います。