熊野古道・伊勢路 3 栃原~三瀬谷 2018.10.04

 
熊野古道・伊勢路 第2回目 JR参宮線・田丸駅~JR紀勢本線・伊勢柏崎駅
●10月4日(木) 第2日目(雨) 旅館:岡島屋発 ~ バカ曲がり ~ 三瀬の渡し場跡 ~ JR三瀬谷駅前 14km
旅館:大黒屋 泊 (三瀬の渡しは台風21号の被害で船が山の上へ)
旅館「岡島屋」08:00⇒大台町立川添小学校10:57⇒観音寺11:36⇒八柱神社13:08⇒
三瀬の渡し13:20⇒慶雲寺13:43⇒道の駅「奥伊勢おおだい」14:22⇒旅館「大黒屋」14:40
熊野古道と一言で言っても、世界遺産に登録されている地域とそうではない地域があり、大台町を通る熊野古道は残念ながら登録されていない地域になるそうです。旅館岡島屋を出てわずかな時間でバカ曲がり入り口がありました。看板には馬鹿曲がりの説明文が書いてあります。
『栃原と神瀬との境界、不動谷は、宮川にせり出した山々によって作られた深い谷で、そこを通る道は昔からの難所であり、谷間伝いに大曲がりを余儀なくされたことから「バカ曲がり」と呼ばれた。この谷間沿いの道はわけあい平坦であったが寂しい道で、途中に昼間だけの茶屋が一軒店を開いていたという』
覗きはしたものの水量が多くて歩行不可と判断し三瀬の渡し場跡を見に行くことにしました
事前に宿の主人から連絡があり三瀬の渡しを利用するなら予約をしてあげるとの事でお願いをしました。ところが折り返しすぐ連絡が入り「台風21号の影響で強風のため舟が山の上に飛ばされて乗船不能」とのことでした。
今日は昨日とは打って変わって荒れ模様です。変電所の横を過ぎると間もなく「バカ曲がり」がやってきます。ここは県道を右側に下り、鉄製の階段を使って川底に降ります。今日は折からの雨天のため増水を予測しながら降りてみると案の定です。ハイカットの登山靴でも水が入ってきそうなほど道路が浸かっています。
ここは県道、JR紀勢本線、国道42号の下を通るため通常でも渡渉を余儀なくされることがあるようなので、早々に古道歩きは諦めて県道を歩いて、「バカ曲がり」の反対側に行ってみることにしました。
馬鹿曲がりのう回路を通り神瀬の集落手前から左側の谷に降りてみると、バカ曲がりの反対側も荒れていて、馬鹿曲橋は通行止めになっており川原に降りて渡渉して対岸を登ってみるが、倒木またぎの連続で楽しさ半減、撮影スポットと記した看板もありましたが、雨の中、靄っていてよく見えないありさま。「駄目だあこりゃあ」誰言うとなく引っ込み思案。あっさり引き返すことになりました。 気を取り直して神瀬の多種神祠へ向かいます。
神瀬の多種神祠
馬鹿曲がりの古道から国道42号を渡り神瀬の集落に入り神瀬の多種神祠までやってきました。左から庚申、津島天王、皇大神宮、山の神と並んでいます。
熊野古道猿木坂から歩いていたら橋の無い川に出くわしてしまいました。多分台風や大雨で流されてしまったんだと思います。辛うじてワイヤーで繋がれている鉄製の橋を見つけました。迂回も考えましたが流れた橋架け工事をすることにしました。ジョンとウッチーが鉄製の橋を持ち上げ、女性群はワイヤーに絡まった杉の枝を外す作業をしました。「よしっこれで渡れるだろう!姫が先に行けっ!」「おっとろしや~!川岸まで橋が届いていないよぉっ!激流に飲まれたら水没どころじゃないなぁ」と思いながらも渡るしかありません。橋の足らずの部分は飛び越えて何とか川岸に到着しました。大きな石を抱えて二度三度往復し川岸補強工事を終えました。ウッチー会長のシュリンゲ2本がロープの役割をしてくれて、安全にみんなが渡渉完了です。渡り終えて上の方に目をやれば神瀬橋。通称「めがね橋」が見えていました。明治40年につくられたレンガ作りの立派な橋でした。
無事に神瀬の眼鏡橋の下の谷川を渡りみーんなルンルンです。みーんな年齢を考えてくださいよ…爺
線路を渡り「行き倒れの墓」に手を合わせます。その昔、熊野詣に行く途中(あるいは帰り道)疲労で行き倒れた人を村人たちが丁寧に埋葬したのではなかろうかと思います。踏切を渡ったり国道を歩いたりと進んでいると下楠の常夜灯と六字名号碑がありました。常夜灯は夜通し灯りをつけて熊野詣の人達の安全を守るための大切な道案内だったことが伺えます。また祈りの灯りでもあった様です。
 旧旅館:阿波屋  七福神の瓦
旧旅館:阿波屋は今は営業していない。その昔にはこの向かいに、いろは屋、小松屋などの旅館が軒を並べていたそうです。
この旅館の東西の屋根の上に七福神の瓦があると言うので見上げてみました。なるほど、なるほど・・・。あるある。
 道標地蔵  天王さんと庚申さん
 (左)道標地蔵 粟生からの旧道はここ樋口橋で北側から、高瀬道は墓地下で南側から合流して坂瀬に向かう。地蔵には右高瀬道 左山田松阪道と記されている。
 (右)天王さんと庚申さん 台座には享保年間の銘を見ることができます
 集会場敷地内の道標  旧川添郵便局  熊野街道の案内柱
 大福人さん  JR紀勢本線:川添駅  橋のモニュメント  秋明菊
川添えという集落に辿り着きました。大台町立川添小学校を通過し茶畑を通過し観音寺、八柱神社あたりで雨がきつくなってきました。この日はあまり見る物も無く雨のため黙々と歩くだけです。ショートカットできるなら電車に乗ったり、タクシーを利用してもいいのではと思うコースでした。しかし都会と違いタクシー等走っているはずもありません。電車とて2時間に1本しか走っていないのです。
道中安全祈願地蔵 道中安全祈願地蔵 (石龕地蔵) 弁慶石
(左)道中安全祈願地蔵 熊野詣でを行う人々が道中の安全を祈り願ったお地蔵様。天保11年「1840」銘 道中安全衆難悉除 と記さてれいる。
(中)道中安全祈願地蔵 熊野詣でを行う人々が道中の安全を祈り願ったお地蔵様。三界万霊 右さんぐう道九里 左さいこくなちさん二十八里 天保年間1830~43銘 と記   さてれいる。
(右)弁慶岩 その昔、武蔵坊弁慶が紀州からの旅の途中、腰を掛け、疲れを癒したと伝えられている岩。土地の人はべんけい石と呼んでいる。
古道の面影を今に残しています 八柱神社
 三瀬の渡し  道 標  慶雲寺
 三瀬の渡し
米配場を代表する双子岩から約500m下ったところに通称トウケンと呼ばれている大きな岩が有りこの付近が三瀬の渡し場である。滝原宮の三大祭りに、伊勢神宮の幣使の一行(約百五十人)は対岸三瀬川に渡る時、宮川を眺め一服した腰かけ岩が渡し場の上方にあった。渡しの料金は一人六文、三瀬氏の収入源とされていた。
三瀬の渡しに行って見ると・・・なるほど川から程遠い場所に打ち上げられた一艘の小舟を発見しました。「はは~ん、あれが噂の舟か」保存会の皆様のご苦労を思うと笑ってはいられませんが思わず苦笑せずにはいられませんでした。  イッヒッヒ… 笑うなあ、舟に乗られへんかったやろう (影の声)
まもなく旅館に到着という手前に道の駅「奥伊勢おおだい」がありました。時間は2時過ぎのためまだチェックインには早かろうと、道の駅の見学も兼ねて少し長めの休憩を取りました。旅館・大黒屋は駅のすぐそばにあるのですが(見えてるのにっ!)道の駅から駅に行くにはグルリと遠回りしなくては行けそうもありません。どこか近道はないものかとたずねたら親切に階段上まで案内してくれました。近道はないこと、面倒でもグルリと遠回りをして行かねばならないことを丁寧に説明してくれました。あとちょっとと言うところでガソリン切れのポンコツ車モードになってしまいました。無理もありません。みんな15㎏ほどの荷物を背負って、しかも雨の中1日中歩いてきたのですから。
旅館・大黒屋に到着し部屋の鍵を貰い、玄関先で雨具を脱いでいたらjunkoちゃんが悲鳴を上げました。スパッツが血だらけになっているのです。そしてjunkoちゃんの血を吸って満腹状態になったヒルがポトリと落ちました。「ヨルやのにヒルやっ!‥笑」そんなこと言ってる場合ではありません。全員がヒル検査をしましたがこの日はjunkoちゃんだけが被害に遭ったみたいです。お部屋は2間続き(しかもキッチン付き)の、ゆったり目で部屋にそれぞれ風呂が付いており、ゆっくり、のんびり入浴を済ませることができました。まずは明日の朝のタクシー予約をすることにしました。和歌山地方なら5人乗りがありましたがここではないそうなのでジャンボタクシーを予約しました。ひとり300円ちょっとで4km・1時間が短縮できるのです。前日に歩いた道の引き返しのためタクシー利用も効果的です。
お姉さま方は洗濯をして廊下に干しています。(逞しいですっ)荷物を軽くするにはこの努力が必要なんだと感心しきりでした。夕食は別棟にある居酒屋で豪華なご馳走がでました。食べて、泊まって6500円とはリーズナブルでっしゃろ?夕食後は「語らいの時間」が始まりましたが何と言っても渡渉の際の橋かけ工事で盛り上がりました。
 クリックしていただくと動画がご覧いただけます
レポートと合わせてご覧ください
   
  感   想
 ●ひ め
アクシデントが大好きな私としてはこの日の渡渉はなかなか経験のできないことでした。力を合わせたからこそできたことで単独山行なら右往左往せざるを得ない所でした。今後の山行には「シュリンゲ2本、カラビナ1個」は必携です。重たいから持って行かないは無しね。
(私が一番に言いそうだわ~笑)アクシデントでは知恵を出し合う事の素晴らしさを体感し宝物を貰った気がしました。

 文:美智子00