熊野古道・伊勢路 第3回目 JR紀勢本線・相賀駅~JR紀勢本線・二木島駅 |
●12月09日(日) 第1日目(晴) 相賀駅発 ~ 馬越峠 ~ 尾鷲 ~ 民宿:柴山 7.5km
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前回の大内山駅から船津駅までのコースは長楽寺のスマホスタンプ探しに手間取ったり、一石峠での藪漕ぎと振り返ってみると笑い話の多いコースでした。長楽寺のスマホスタンプの実情を三重県東紀州振興課に連絡を入れると2日後には対処した後の写真と詫び状が届きました。わかって頂けて嬉しいです。
今回も船津駅を通過して相賀駅からスタートすることにしました。(列車の到着が正午になるため国道歩きの5.0kmの距離を縮める作戦)
尾鷲市(おわせし)は、三重県南部の熊野灘に面する市。全国的に見て降雨量が非常に多い都市のひとつと言われています。 面積の90%は山林で、海岸はリアス式海岸、黒潮の流れる熊野灘に面し、背後を山に囲まれていることから、南からの暖かく湿った空気が流れ込みやすい春から秋にかけて、雨雲が発達しやすく、日本国内で見ても非常に雨が多い。年間降水量は3,848.8mmだそうです。降水量は多いですが、晴天時も多い。(どっちやねんっ!笑)そんな尾鷲の町にある宿を基点に伊勢路歩きをスタートしました。 |
相賀駅11:55⇒真興寺12:10⇒権兵衛洞門12:28馬越峠登山口12:50⇒河童岩13:58⇒馬越峠14:10⇒登山口ゴール15:00⇒民宿柴山16:00 |
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車内は閑散としています |
相賀駅到着 |
相賀駅です |
いよいよ相賀駅を出発 |
相賀の町を歩きます |
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相賀神社に参拝 |
眞興寺を目指します |
眞興寺 |
JR紀勢本線・相賀駅から出発です。馬越峠は、馬越峠紀北町と尾鷲市の境をなす峠です。尾鷲桧の美林に,約2キロにわたって石畳道が続き熊野古道伊勢路の中でも特に人気のある峠道です。
相賀駅をスタートしてすぐに相賀神社があり旅の安全を願い手を合わせました。昔の人もきっと同じ気持ちで手を合わせたことでしょう。相賀神社の創始については不詳ですが鎮座地は古来より変わらず現在に至っていて、相賀の村に坐す神社。相賀村の人々の生活と共にある村の鎮守神的な社であったものと考えられています。それは現在でも脈々と伝わって来ている祷屋祭によって証明することができます。明治時代に相賀地区の数多き神社を合祀している神社です。 |
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眞興寺本堂 |
はまぐり石 |
梵鐘 |
雲祥寺、真興寺と続きます。真興寺は武将・真田幸村の子「大助」に縁のある寺の様で境内の「はまぐり右」は巡礼手引観音と言われ、巡礼者を奉るとともに、熊野詣や西国三十三ケ所巡礼の道標となっていた石仏です。 |
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相賀の住居 |
銚子川を渡る |
やがて銚子橋が見えて来ました。銚子川沿いに歩き道の駅「深山」を目指して歩いていくと「種まき権兵衛洞門」が続いており愉快な壁絵と説明文が彫り込んでありました。「権兵衛が種まきゃ、カラスがほぜくる 三度に一度は 追わずばなるまい ズンベラ、ズンベラ
ヨー」で有名な権兵衛さんゆかりの地。 |
道の駅でスマホスタンプをゲットしたのちは国道を歩いて行くと馬越峠の大きな看板が見えてきました。ハイカーらしき2人組が馬越峠へ向けて出発準備をしていました。 |
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道の駅・海山 |
宇山の集落と高丸山 |
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昔は馬子で峠越え 今は車でひとっ飛び |
国道42号から馬越峠に入ります |
長い長い石畳みが続き、時代がタイムスリップした気がしました。石畳み歩きは雨ならば滑りやすいかも知れませんが晴天の中を歩いて動画撮影のために行ったり戻ったりと愉快に快適に進んでいきました。 |
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石畳に入っていきます |
夜泣き地蔵 |
大きな立派な看板が見えました。夜泣き地蔵の看板です。元々は旅人の無事を祈る石地蔵だったと言われていますが、いつの頃からか子供の夜泣き封じを祈り「夜泣き地蔵」と呼ばれるようになったそうです。自然石のお地蔵様です。 |
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石橋 |
ここの石畳は綺麗でした |
やがて一枚岩の立派な石橋がお目見えしました。馬越一里塚があり、いよいよ馬越峠への誘いがはじまりました。馬越峠は1/22の道標から始まりますので2200mあることがわかります。 |
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石畳と石橋 |
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急な登りと石畳を登り河童に似た岩「河童岩」を見つけることができました。名前と石とを見比べて「なるほど、なるほど」と感心するのも楽しいものです。 |
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青い実 |
河童岩 |
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木の根道 |
馬越峠に到着です |
古道はヒノキと杉の巨木の出迎えを受けさすが歴史の道を歩いているなぁと一歩一歩を大切に歩きました。やがて休憩所、ここでしばらく休憩をとりしばらく登ると馬越峠325mに到着です。馬越峠には、かつて岩船地蔵堂向いに馬越茶屋が建っていたそうです。また江戸末期の俳人「可涼園桃乙・かりょうえんとういつ」が、熊野巡礼の旅の途中、ふもとの夜桜見物の際に読んだとされる句が刻まれた句碑がありました。 『夜は花の 上に音あり 山の水』 |
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馬越峠の避難小屋 |
桜地蔵 |
桜地蔵、行者堂を過ぎると馬越公園がありました。トイレもついていて、しばし休憩。 |
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見晴らし台から見た尾鷲の町 中央のなだらかな山が、明日越す八鬼山 (647m) です |
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峠の入り口の杖 |
石だたみ道の碑 |
やっと下りてきました |
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くつわ虫 道に這い出る 馬古世坂 桃乙 |
「 鰤は港に 杉桧は山に 紀伊の尾鷲は よいところ」 雨情 |
馬越の茶屋を過ぎると野口雨情の詩碑があり墓地の間の階段を進んでいきました。六地蔵、庚申さん、名号碑、津波供養塔もありました。 |
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山茶花の花がとても綺麗で、咲くもよし、散るもよしで赤い絨毯を敷き詰めているみたいでした。 |
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六地蔵と庚申さん 徳本上人名号碑 |
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北川橋 |
熊野古道の案内板 |
尾鷲観光物産協会 |
金剛寺、尾鷲神社と続きます。樹齢1,000年ともいわれる大楠が立派な尾鷲神社と、奈良時代作の仁王像が出迎えてくれる金剛寺が並んでいました。尾鷲神社では、勇ましいかけ声とともに男たちが激しくぶつかりあうヤーヤ祭が毎年2月1日〜5日まで行われるそうです。
車道のガード下をくぐると八百屋さんがあり、商品は全て店の中に陳列「猿が持ち逃げするので中にどうぞお入り下さい」と、ユニークな張り紙がしてありました。
街道の右手に尾鷲観光物産協会があり、そこのスタッフの方が親切に招いてくださり、熊野古道の話や、民宿:柴山さんへの行き方など教えてくださいました。短い時間でしたが楽しいひとときでした。ありがとうございました。 |
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民宿:柴山さん |
さあ今日の安全を宿して…カンパーイ! |
グレの煮つけ…これは絶品 |
●ひ め |
第1日目はわずかな距離で宿に到着です。お風呂が男女兼用で、しかも小さいため、ひとりづつしか入浴することができません。順番に入浴を済ませ煮魚の良い匂いに誘われて夕食場所へと急ぎました。釣り船の船長をしているという宿の旦那さんが釣ってきたという鮮度抜群の魚(名前忘れた~)を刺身や煮つけで頂きました。「美味しいですっ!」と言うと中からおまけのお刺身が出てきました。ごちそうさまでした。夕食後は時間も早いため「忘年会」と称して男部屋に集合。ウッチー会長しか飲み人おらずでしたが次回の打合せなどをして午後8時解散です。(明日はかなりきつい峠だからね)思えば2017年1月から紀伊路、中辺路、大辺路そして伊勢路とよく歩いたものです。 |
●JON |
大阪上本町を7時10分の近鉄電車宇治山田行の乗って、松阪駅で参宮線に乗り換え、さらに多気駅で紀勢本線に乗り換えて相賀駅で下車。この時11時49分。長い長い片道です。ここから歩き始めるのですから老齢と言えども元気そのものです。何事もないからスケジュールを消化していけるものの、何かあったら大変です。
合計年齢364歳、無茶ともいえる年齢です。10年前なら60キロくらいの人なら背負えましたが、今はもう無理気を付けて歩きたいものです。
馬越峠の石畳は最高に良かったです。熊野古道は中辺路の滝尻から熊野本宮間が人気コースですが、なんのなんの「伊勢路を知らずして熊野古道を語るなかれ」です。 |
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