2016
●第10日目 9月25日(日)   日本三景 陸奥の松島   活魚の宿 こちら丸特漁業部泊
 福浦橋
萩の花の咲き乱れる道を下り道の駅で、またまたりんごさ買って、かぶりつきながら振り返ると岩手山、早池峰山が遠くになっていきます。東北道をひたすら走り続け松島海岸出口をでて午後1時には宿泊先に到着しました。駐車場の場所を聞くと「3時になったらもう一度来て下さい。チェックインの時に駐車場をご案内します」と言われました。仕方がないので有料駐車場に車を停めて陸奥の松島周遊観光船に乗ることにしました。遊覧船の中は大漁節が軽やかに流れており島めぐりへと出発しました。春夏秋冬いつ来ても変わらぬ美しい日本三景と出会うことができました。遊覧船を降りて瑞巌寺へ。正式名は「松島青龍山瑞巌円福禅寺」ずいぶんながったらしい名前です。平安時代の創建で、古くは松島寺とも通称されたそうです。毎年、月には芭蕉祭が行われています。また、大晦日の火防鎮護祈祷である「火鈴巡行」と一般も撞ける除夜の鐘が有名である。勿論私も完全復興を願ってひとつきしてきました。
五大堂を見物の後 遊覧船仁王丸で松島見物に行きます 
 今夜のお宿 活魚の宿「こちら○特 魚業部  五大堂
松島は小さな島々が点の様に浮かんでいました。 松尾芭蕉の「松島や ああ松島や 松島や」で有名ですがじつは・・芭蕉の作品は「松島や さて松島や 松島や」だそうです。松島はなんと260余りの島にはすべて名前が付けられているそうです。松島は、仙台平野を南北に分ける松島丘陵の東端が海にまで達し、それが沈水して出来たリアス式海岸がさらに進んだ沈降地形で、溺れ谷に海水が入り込み山頂が島として残った多島海で知られており日本三景のひとつです。2011年3月11日の東日本大震災が発生し、その直後に襲来した大津波によって被害が発生しました。しかし被害は軽微で済んでいます。その理由として、津波は浅い海に入ると速度が落ちて急激にエネルギーを失うのと、松島湾内に点在する島々が緩衝材となり、津波の勢いを弱めたと見られています。
♪♪松島の サーヨー 瑞巌寺ほどの  (ハ コリャコリャ)   寺もないとエー
アレワエーエ エトソーリャ大漁だエー
前は海 サーヨー 後は山で  (ハ コリャコリャ)小松原とエー
アレハエーエ エトソーリャ大漁だエー♪♪
瑞巌寺へ参詣しました
ここの参道は津波の爪痕が深く残り修復工事が行われていました。境内スレスレまで水が押し寄せてきたそうです。寺の関係者らしき人は「松島に助けられました」と言っていました。点在する小さな島が防波堤の役目を果たし、押し寄せる波を防いでくれたのだそうです。私達に出来る事は多くの人々が松島を訪れ財布の紐を緩めることも松島の町の復興のお手伝いになるのだと痛感しました。
活魚の宿 こちら丸特漁業部泊
松島の観光を終えて午後3時過ぎに「活魚の宿・こちら丸特漁業部」何とも不思議な名前の宿にチェックインしました。すると「ご予約承っておりません」との回答でした。「なぬ~っ!?」そんなことは無いとスケジュール表を出し予約日を間違えるはずがないことを強調しました。「しばらくお待ちください」本当にしばらくの間待たされた結果ホテル側のミスであることが発覚用意できましたので」とルームキーを渡されました。(ホッ)予約時は必ず担当者名を聞きメモしておくことを強く感じました。部屋は松島湾を見下ろせる4階のゴージャスな部屋でした「お詫びのつもりかなぁ?明日の支払いが怖いね」大きな部屋が2部屋ありベットが4台、大型テレビが2台もありました。風呂もなかなか良いではありませんか。夕食は刺身の船盛やアワビ、牡蠣鍋など活魚の宿と言われるだけあって海の幸満載でした。今回の旅で最もみんなが喜んだ宿ではなかったでしょうか。夕食を済ませ4階の窓から松島湾の夜景を見ながら「2度とこの街に津波がやってきませんように」と祈らずにはおらませんでした。この宿の1階部分も被害に遭ったそうです。 
「宿の満足度 風呂5、部屋5、料理5」 これから能登半島の和倉温泉へ向けて出発です  
文:美智子姫