2016
 写真は津軽海峡フェリーの甲板です
長い年月を経て、やっとこの日を迎えることができました。本格的に百名山を目指し始めて有に15年の歳月がかかっていると思います。最初の頃は好きな岩山ばかり何度も登っていました。「さて次はどこに行こうか?と考えた時、偶然にも今まで登った山が日本百名山だったのです。ならば残りを制覇しようかと言うことになり、かなり遅れての百名山ハンターデビューでした。前回利尻岳8合目で強風に遭い、身の危険を感じた為、初めてのビバークを体験し撤退となりました。悔しさよりもあんな恐ろしい目に二度と遭いたくないと震えたものでした。月日が経ち百名山達成を目前にした時「何か、どっか違うなぁ」と感じたのです。そうです!。利尻岳の頂上を踏んでいないのです。人は「それでも行ったことに間違いないし、いいじゃないか」と言うかも知れません。私達の心のモヤモヤを察知した岳友達も「見届けの山行」に付き合ってくれることになりました。そんなこんなで準備を整え利尻岳に向かうことになったのです。しかし前回は元気に登ったポッチーが、今回は病の悪化で頂上を踏むことができなくなりました。一緒に出掛けて麓で温泉に浸かったり散策を楽しみながら下山を待ち、岳友達と解散後、1週間かけて、のんびり帰ろうかと提案すると目がキラキラと輝きました。病は気からではありませんが利尻岳下山後は同行者の一服劔さんにご理解頂き(彼は勤務の都合もある)復路を新千歳空港から飛行機で帰阪してもらうことにしました。あとは気の向くままハンドルの向くままに大阪へ向けて帰ろうと言うことになりました。その話を耳にしたjunkoちゃんが「利尻岳は登らないけど、ブラリブラブラの旅は魅力的、行きたいなぁ」と即決。往路は5人、復路は4人の珍道中の始まりです。さぁ出発のドラの音は大阪・ヨドバシカメラの前で車のクラクションに負けじと大きく響き渡りました。
●さあ初日 9月16日(金)の始まりです。大阪ヨドバシカメラ 北側 (吉野家前)   7時00分出発です
Fitの車内は少々狭く感じるかも知れませんが安全運転を宣言してスタートしました。(ポッチーは退院後間もないこともあり往路は飛行機で利尻島まで行くことにしました。)青森港までの長旅なので概ね2時間経過すれば、ジョン、一服劔さん、姫の3人で運転交代をすることにしました。青森港にナビをセットすると1200㎞15時間と出ました。
大阪梅田を出発して新御堂筋で千里中央へ、そこから中央環状線を利用して名神・吹田1Cで名神高速の乗り換え一路米原JCTを目指します。そこから北陸道へ入り富山から新潟中央JCTで磐越道に乗り、会津磐梯山を左手に見ながら郡山JCTへ、ここから東北道に入り青森を目指します。安達太良山、岩手山を見ながらただひたすら走ります。東北道・青森ICを出てからは津軽海峡フェリー乗り場を目指します。
 この津軽海峡では62年前に洞爺丸事故(とうやまるじこ)が起こっている。日本全土の気象状況も1954年この時と似ているようなところもある。
(昭和29年)9月26日に青函航路で台風第15号により起こった、国鉄の青函連絡船洞爺丸が沈没した海難事故である。死者・行方不明者あわせて1155人に及ぶ、日本海難史上最大の惨事となった。 タイタニック号に次ぐ大きな事故と言われる

この洞爺丸台風事故から、かなりの時間が経ちました。現在では、事件の名前が洞爺丸と付いている為に洞爺丸の沈没が有名になっていますが、この洞爺丸以外にも4隻の連絡船が沈没しています。この事から、当時はタイタニック号沈没事故に次ぐ未曾有の海難事故として日本中が震撼しました。

洞爺丸
乗 客 (総数1,167人、死亡1051名、生存116名)  乗組員 (総数111人、死亡73名、生存38名)  公務職員(総数36人、死亡31名、生存5名)
総 計 (1,314人中、死亡1155名、生存159名)

洞爺丸以外の遭難船
連絡貨物船の「十勝丸」(2,910t)は葛登支灯台から西方の海上で沈没。  連絡貨物船「日高丸」(2,930t)は西防波堤の西方海上で沈没。
「北見丸」(2,920t)は南口灯台の西方海上で沈没。  「第11青函丸」(3,140t)は函館灯台の西南の海上で沈没しています。
いずれも貨物船であった為に乗客はいませんでしたが、乗組員のほとんどが死亡しています。
名神で滋賀県内を通過時には「いってらっしゃい」と言いたげな近江富士(三上山)に挨拶。車窓からは黄金色に実を付けた稲穂や風にたなびくススキを眺めていると「秋」を感じます。渋滞の無い名神を走り、賤ヶ岳PAで休憩、名物「焼きサバ」も食べずに出発。
高速道路はあちこちで工事が行われており片側一車線や対面通行で走りにくいです。工事なのか事故なのかわかりませんが会津若松では強制的に高速を下ろされ迂回させられてロスタイム45分、猪苗代湖沿いに走っていると野口秀英博士の生家や資料館などが車窓からではありましたが見物することができました。
再び高速「会津磐梯山高原」で乗り直し、安達太良山SAで「ずんだ餅」を購入しました。それも5個も・・・(笑)ここの「ずんだ餅」はジョンさんのお気に入りで寄らずに通過するといつまででも恨み節を聞かねばなりません。「ちょっと買いすぎたかな?」と言っていましたがペロリと食べつくした様子でした。ひたすら青森港に向けて走り続けました。何しろ1200㎞なんですから・・。青森インターを出てしばらく走り、フェリーターミナルに到着です。乗船手続きを済ませ、青森港発22時25分、函館着は翌朝の午前2時に到着予定です。洞爺丸事故のことは忘れて、しばしの間、仮眠することができました。 
●さあ2日目 9月17日(土)です。
仮眠時間も束の間で、午前02時05分、函館港に到着しました。真っ暗で右も左もわかりません。ナビだけを頼りに、約9時間かけて稚内に向けてひたすら走ります。夜明けになると北海道の雄大な景色が目に入ってくるはずです。道路は限りなく真っすぐです。信号もあまりありません。全国交通安全週間が実施されていて他府県の車は特にターケットになり易いので速度超過には充分気を付けて走行しました。
大沼公園入口で高速に乗り有珠山から室蘭あたりで大雨に遭遇しました。全く前が見えません。時速40㎞まで速度を落として走行、何とかサービスエリアに飛び込み小雨になるのを待ちました。『北の大地に降る雨は雨粒までもがデッカイドー』小雨になり再び車を走らせていると車窓から「白老の村」の看板を発見しました。ここにはアイヌ民族が集団で生活をしておりアイヌ文化の保存に力を注いでいる村だそうです。
岩見沢で朝食タイム。岩見沢には10年前まで、岩見沢競馬場があり、1947年-2006年までばんえい競馬の開催されたところです。気温17度肌寒むさを感じます。
美唄辺りの広大な景色から、北海道に来たと言う実感が湧いてきます。青空も見えてきました。所々立ち寄って観光したいところですが、最終便のフェリーに乗り遅れると大変なことになってしまいます。ひたすら稚内を目指します。
深川西ICで道央道を降り国道233号を留萌に向かいます。留萌からは国道232号、40号と乗継、何とか稚内に到着。16時40分の鴛泊港行のフェリーには間に合います。
大黒4丁目の西條百貨店で今夜の夕食7人分を買い込みましたが、大きな荷物がさらに大きくなり、フェリーのタラップが上がれるかどうかわからない状態です。この時宇都宮チームから電話が入りました。
既に新千歳空港に到着し、ポッチーと合流でき、利尻空港行の便を待っているのですが、悪天候で視界が悪いため利尻空港に着陸出来ないかも知れない、稚内空港に着陸する場合もある。また新千歳空港に引き返すこともあるとアナウンスがあったらしいです。電話を受け取った姫も少々パニック状態です。
最悪の場合は稚内空港に着陸し我々と同じ最終便フェリーに乗ることになるかも知れません。最悪の場合新千歳へ戻れば買いすぎた食材はどうするの、利尻岳への登頂は姫、JON、イダっちの3人で登るの?。電話をくれた智っちも、「稚内港までタクシーならどれぐらいかかるかなあ」と色々な方法を考えている様子。
「飛んでくれよ~」祈るような気持でした。(結果的には無事に利尻港に着陸)
稚内港北防波堤ドーム
Fitチームは稚内港に到着し「稚内港北防波堤ドーム」を見学することにしました。北防波堤ドームとは、大型の防波堤で稚内港の防波堤としての役割および、桟橋から駅までの乗り換え通路を兼用するため、1931年建設されました。防波堤の外観としては異色となるドーム状の形態を取っていることから命名されたそうです。高さ約14メートル、長さ427メートル、古代ギリシア建築を彷彿とさせる70本のエンタシス状の柱列群は、斬新な印象を与えていました。 
昼食はJR稚内駅に隣接するレストランで、ウニ丼、海鮮丼、カニ丼、海老カレーとそれぞれが好物を食べ、いよいよ利尻島に向けての旅が始まりました。Fitは稚内港の駐車場に利尻岳の山行を終えるまで駐車しておきます。(前回来た時には無料駐車場があったのになぁ・・・今回は有料だって・・・)稚内港16:40発のフェリーに乗り18:20分に鴛泊港に到着しました。
利尻島は雲の中です…ここ一週間ずーっと天気は悪かったそうです。
港の作業員さんも、船の甲板員さんも、タクシーの運転手さんも明日の天気に対して太鼓判を押してくださいましたが、前回のこともありますし、天気に対する不安は大きく広がるばかりです。
天気は大丈夫だろうが、頂上直下の崩落が始まっている登山道の状態が、ここのところの大雨でどうなってるか気になるところだね。
鴛泊のタクシーの運転手さんがボソッと言います。今回はロープを携行しているけど、やはり心配。
船上で見た夕焼け空の移ろい
稚内港待合室 稚内にフェリー入港 船旅楽しんでるかい? 鴛泊港到着
鴛泊港にはタクシーが1台も停車していません。とても寒くて立っていることもできないくらいでした。観光案内所に行きタクシーを呼んでもらい宇都宮チームとポッチーの待つ「利尻島ファミリーキャンプ場・ゆ~に」に向かいましたす。入口ではリジュ君とトモちゃんが「こっち!こっち!」と寒空にもかかわらず出迎えてくれました。
キャンプ場の「ゆ~に」は2泊ともケビンの6人用を予約しました。近くには温泉もあります。ケビンだと雨に遭う心配がありません。勿論寝具も6人分ついています。7人目の寝具は寝袋を持参しました。ケビンだと高く感じますが人数割りにするとテントとあまり差がなく、盛り上がりも大きく期待出来、しかも早期予約でしたのでスムーズに大きなケビンが利用できました。少し狭くもありましたが我慢が出来ない狭さではありません。スーパーで買い込んだ食材を広げて「多いわ~っ!こんなに沢山食べれない・・・」と言いつつもペロリと完食。温泉に浸かり長旅の疲れを癒し翌日の利尻岳登山への期待に大きく胸膨らませて就寝となりました。 
文:美智子姫