高野七口 その1  高野七口 その2 高野七口 その3   高野七口 その4 高野七口 その5  高野七口 その6 高野七口 その7 
2020.5.17
定福寺~五軒畑岩掛観音~明神ヶ田和~わらん谷~市平橋~カツラの木~旧久保小学校~茶堂跡~粉撞峠~黒河口女人堂跡
高野七口 最終回 其の⑥ 黒河道
「熊野古道・高野七口」最終回となりました。泣いても笑っても今回が最後です。今回はかなり長丁場で、しかも健脚向きコースです。「黒河道」を歩き高野山宿坊「無量光院」で宿泊し静かに朝を迎え翌日は女人堂を歩き午後からは語り部さんにお願いして高野山奥の院をたっぷりと案内して貰うことにしました。(何度も高野山を訪れているのに、ちっとも詳しくは知らないため語り部さんに奥の院を案内して貰いましょう~) 
午前6時に自宅を出て、南海電車・大阪難波発7時04分橋本行の車内でメンバー全員が合流。濃厚接触を避けて、それぞれ散り散りに席に着きました。
1時間弱で橋本駅に到着です。最後の最後に難所と言われている黒河道(くろこみち)を約20km歩く覚悟でスタートしました。
前回の大峰道では1日に朝夕2本しか走らないバスに乗るために苦労しましたが、今回はバスの利用が無いので気分も心なしかゆったりしています。しかし距離の長さは半端ではありません。標準時間8時間とありますので私達の速度だと高野山で太陽が沈むかも知れません。(大丈夫だぁ、今夜は大阪には帰らないよ~)

橋本駅を8時にスタート、橋本駅に、なつかしい「まことちゃん」の像がありました。漫画家の楳図かずおの出身地は橋本市だったんですね。マスク姿のまことちゃんと記念撮影を済ませ午前8時15分いよいよ出発です。
橋本市は楳図かずおさんが幼き日に五条市で育ちこの辺りでも遊んでいたようです 橋本市の道路原漂
『橋本から高野山への近道とされ、大和国からの参詣人が多いことから「大和口」とも呼ばれました。黒河道は、9世紀に伝わった真言密教と関わりがあり、人々の祈りの場として多くの人が参詣道を登った。真言宗をひらいた弘法大師(空海)の伝説も多く残っている。黒河道は険しいので、多くの参詣客は西の京大坂道を利用し、この道は周辺の村々の産物を高野山に届ける「雑事(ぞうじ)のぼり」で使われたとみられている』
右から読んでも橋本橋 左から読んでも橋本橋 だって 爽やかな朝の空
健脚向きと地図に書いてあり気合を入れて「前から読んでも、後ろから読んでも橋本橋~」と駄洒落を飛ばしながら橋本橋を渡り定福寺へ向かいました。九重の塔は鎌倉時代の1285年と記されていました。庫裏は高野山の里坊として建てられたとも考えられるそうです。定福寺でまずはスタンプを押印、定福寺を基準にして500mごとに番号道標が立てられておりました。(中辺路で見た懐かしい道標です)
 定福寺
定福寺「世界遺産道標1」を出てから車道と合流「番号標識2」に石仏がありました。しばらく歩くと「世界遺産道標3」に五軒畑岩掛観音がありました。展望が開けていて橋本の町が一望できました。
「いままでで一番良い道やなぁ」アップダウンはあるものの木立の中に時折、風が吹き抜けて気持ちの良い事、幸せを感じながら出発してから2時間ほどで「世界遺産道標4」鉢伏弘法井戸に到着しました。

弘法大師の加持水と伝えられています。1961年の第二室戸台風で被害を受け、永らく枯れ井戸となっていましたが、近年、湧水がよみがえりました。井戸の横には常夜燈と石仏を安置する祠がありました。
「世界遺産道標」 明神ヶ田和(みょうじんがたわ)
橋本市清水にある峠。標高は443m。紀伊續風土記には「明神ケ彎」と記されている。「彎」とは、弓に矢をつがえて弦を引くこと、弓のような形の曲線を描いてまがることを意味する。「たわむ」から田和と変わったと言われています。1時間ごとに熱中症対策の給水休憩を取りながら元気に進んでいきました。
「世界遺産道標9」わらん谷の滝
わらん谷に位置する滝。わらん谷は藁谷あるいは蕨谷とも書く。落差5m程度でわらん谷で最も大きな滝。わらん谷の赤石は、わらん谷の滝の100m南にある巨岩。標高230mほどのところにあるらしいです。この岩の200m南に橋本市・九度山町境がある。
「世界遺産道標11」 市平橋にさしかかると工事車両が橋をふさぐように停まっていました。山の中で人に会うのが嬉しくて「こんにちわ~!お仕事ご苦労様ですぅ!」と大きな声で挨拶を交わしながら、「世界遺産道標12」カツラの木の表示板まできました。民家をすり抜けるように進むと柿の木の手入れをしているご夫婦に出合いました。「こんにちは!」
市平の春日神社のカツラの木をみつけました。石の階段があり上を見上げると立派なカツラの木の下にお社があります。少し回り道になりますが傍まで行って石段を利用して昼食休憩を取ることにしました。12時から30分間美味しい空気もご馳走です。

市平春日神社にある大カツラは樹高35m、胸高直径1.1m、根の回り8m、樹齢推定300年以上。3月末から4月中旬のわずかな期間に桃から緑、そして黄色に変化する姿が知られ、九度山町指定天然記念物。標高は288m。カメラに収めきれないほどの大きさでした。
カツラの木を出発して林道に合流「熊に注意」の看板が目に入ります。「熊に襲われないようにしないとね」「大丈夫充分お喋りしているから熊が逃げて行くわ・・笑」
「世界遺産道標15」 美砂子峠(びしゃことうげ)・戦場田和(せんばたわ)
ここから久保田和にかけて太閤坂を経由する道と戦場山(阡場山)を経由する道に分岐、私達は久保小学校跡を目指して進みます。
 「世界遺産道標19」  久保田和の石仏  くどやま森の童話館(旧久保小学校)
「世界遺産道標19」久保田和の石仏
弘法大師像と観世音菩薩像が安置され、左手側面に「右 かうや」「左 まんに道」、右手側面に明治14年2月21日と刻まれている。東郷経由で九度山町河根方面と久保鉱山跡方面を結ぶ道が交差する。スタンプ帳に押印を済ませました。

くどやま森の童話館(旧久保小学校)
九度山町大字北又字久保に所在する。1876年(明治9年)の創立、2006年(平成18年)休校。かつて近くに久保鉱山があった。1873年(明治9年)に植樹したという2本のヤマザクラがあり、開花時は見事である。2017年10月1日より「くどやま森の童話館」としてリニューアル。「童話と絵本コーナー」「植物・昆虫図鑑や真言密教専門書コーナー」が設置されている。ここから奥の院そばの一本杉にかけて雪池山(銅嶽)を取り巻く道と黒河峠を経由する道に分岐する。2019年の台風被害を受けて黒河道は通行止めのため粉撞峠ルートをとります
くどやま森の童話館から1kmほど進むと茶堂(おめん茶屋)跡らしき場所に到着しました。看板も何もありませんが多分合っていると思います。茶屋跡から鉄製の茶釜と弘法大師像のお札が発見されたそうです。

「谷底まで下がったかと思うと下がった分だけ登り返す」を何度か繰り返し、無言の3kmを黙々と登り続けました。地面に汗を落としながら「世界遺産道標26」粉撞峠(子継)峠に到着です。この峠の祠にある孚証地蔵が決め手となって、単なる生活物資を運ぶ道としてだけではなく高野参詣道(高野七口)の一つとして使われていたことが証明され、世界遺産の認定へとつながりました。この峠から黒河口女人堂跡までの区間は女人道と重複しています。時間は午後4時30分・・・やばいです。日が暮れそうです。
粉撞峠  クリンソウ
 天軸山公園バス停からゴール予定の高野幹部交番までのアスファルト歩きはまだ4km残っています。とりあえず天軸山公園バス停までを目標にして速度を上げて歩かねば、宿坊のチェックインは午後5時です。到底間に合うはずもありません。ここで大きな誤算が生じました。山にアクシデントはつきものですが天軸山公園バス停に着いたときは既に5時を過ぎており、最終バスの時刻は3時!全員力が抜け落ちました。(前回と言い、今回と言いバスには縁がないみたいです)
無量光院・宿坊に到着です
途方に暮れていたところ1台のワゴン車が自宅に帰り着いたところでした。まだブレーキランプが赤く点滅していました。「よしっ!あの人にタクシー会社の電話番号を聞こう!」そう言って姫は敷地内に入って行きました。事情説明をしてタクシー会社を聞いたところ「高野山は午後5時でタクシーの運行は終了です」と言われました。その時は、既に5時を過ぎていました。仕方ない、歩くしかないか・・・みんなの待つバス停に帰りかけたその時「送って行きましょう!」そう言って頂きました。私には天の声に聞こえました。5人いる事を告げると2往復してくれると言います。偶然出会ったご親切な方は金剛峯寺の職員で小西さんとおっしゃる方で宿坊のすぐ傍まで私達を送って下さり、残りの2名を迎えに引き返して下さいました。おかげで宿坊にも迷惑かけることなく30分誤差でチェックインすることが出来ました。ありがとうございました。
 
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