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第7日目 5月6日 金曜日
 四阿の宿〜香精山〜塔ノ谷峠〜鼻折塚〜玉置神社〜大森山〜岸ノ宿跡
  ▲四阿ノ宿跡を出発  ▲菊ケ池  
大峰山奥駈道踏破も残すところ二日です。今朝は風が強く肌寒い感じです。
いつものとおり簡単な朝食を済ませてテントの撤収です。今日で3回目のテント生活、何もかも慣れてきました。簡単にたたんでパッキングをして出発です。
飲料水も昨日汲むことはできませんでしたが、何とか玉置神社までは持ちそうです。
食材も残り乏しくなってきましたが「玉置神社に行けば何か売ってるやろ」と慰め合い塔ノ谷峠に向かって出発です。
疲れて来ると転倒や転落の危険が増し、即怪我に繋がるため充分気をつけなければなりません。「ゆっくりで良いから確実に行こう」を合言葉に歩を進めていきます。
四阿宿跡から歩き始めて菊ケ池、拝み返しを通過すると、杉木立の中の道は急激に高度を下げていきます。疲れた足は、日に日に回復が遅れ、歩き始めは少々辛く感じます。
▲拝み返し ▲香精山山頂
▲香精山三角点で ▲大阪大学で研究をされているウクライナの青年と
今日最初の山になる香精山の上で写真を撮っているとき、後から人の気配がしたため道を譲ると「コンニチワ」何とウクライナ人の方と出会いました。大阪大学で研究をされているとか、「吉野から歩き今日で4日目です」とおっしゃいましたので「私達も吉野から歩いていますが今日で6日目です」と手で示しながら言うと
「コノ ラインハ ナナハク ヨウカノ ライン ダカラ ガンバッテネ」 と慰めてもらいました。
まさか大峰奥駈道で外国の人に会うとは思ってもいませんでした。
また孫のような年代の青年に、しかも日本の道で慰めてもらったのは ちょっぴり複雑な気持ちでした。
イギリス人は歩行速度が速いってよく耳にしますが、ウクライナ人も早いのでしょうか。 
 ▲檜之宿跡
▲ 貝吹金剛 ▲傾斜がきつく 杉落ち葉で靴のエッジが全く効きません
貝吹金剛を過ぎると杉木立の道は塔ノ谷峠に向けて急激に下っていきます。靴のサイドエッジを利かせてもそのままズルズルと滑っていくような感じです。昨日は塔ノ谷峠、ここまで歩くと決めて頑張りましたが、無理をせず、四阿宿跡で泊まって良かったと、二人で顔を見合わせ、早めのテン場探しをしたことに胸を撫で下ろしました。   
▲金剛童子 塔ノ谷峠
▲古屋ノ辻 ▲古屋ノ宿跡
▲蜘蛛ノ口   上葛川分岐で ちょっと休憩
▲花折塚辺りは林道と登山道を行き来します
▲花折塚 
 如意宝珠山のピークを踏み、蜘蛛ノ口で上葛川への道を分け、ブナ林や杉木立の景色を楽しみながら、稚児ノ森や横峰金剛の靡を通過していくと京ノ谷大谷林道と接しながら歩くようになります。2回接して3回目を入って花折塚です。
片岡八郎は、大和葛下郡片岡(今の王寺町)の人で、後醍醐天皇の元弘元年大塔の宮が賊をさけて山伏姿となり十津川に来られたときのお供9人のうちの1人です。宮の玉置山通過の際に熊野別当の命を受けた玉置庄司の兵が道を塞ぎ、戦いとなって戦死、これを他のお供が宮に伝え難を逃れました。八郎の屍は、この所に葬り墓前を通る人々が八郎の忠節を偲び花を折って供えたところから折華塚(おりはなづか)、後に花折塚と称せられるようになりました。明治15年十津川村が碑を建て供養祭も行われているようです。 
▲花折塚を過ぎ三たび車道に出たときでした。一台の乗用車が私たちの前に止まりました。 
「何処から歩かれているのですか」     「吉野から歩いています」
「私は四日市の者ですが来年あたり奥駈をやろうと思って下見がてらきています」    「ぜひなさってください」
「お尋ねしたいのですが、玉置神社には売店はありましたでしょうか」
「駐車場に自動販売機はありましたが、境内に売店は無かったように思いますよ。どうされましたか」   「食料が残り少なくなって不安を感じています」
「そりゃあ大変ですね。ちょっと待ってください」 そういって車内に体を入れると、みかん、お菓子、ジェリーなど沢山持たせてくださいました。
嬉しいけど申し訳なく思っている私たちに、やさしく   「困ったときはお互い様だから気にしないでください」
「来年、奥駈をされるときはぜひサポートをさせてください。この場所で補給をさせていただきます」        そう言ってお別れをしました。

私たちは路肩の空き地に座り(へたり込みと言った方が正解)夏蜜柑の皮も実もいただきました。甘酸っぱくて美味しくて、嬉し涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら頂いていると、先ほどの乗用車が引き返してきて再び私達の横に停まりました。
「まだお茶が2本ありましたのでお持ちしました。遠慮なく持って行ってください」
「ありがとうございます。申し訳ありません」
「お気をつけて頑張ってください」
そう言葉を残して去っていかれました。しばらく二人とも呆然としていました。このお茶は熊野本宮まで大切に頂くこととなりました。
四日市の小山社長さん。いろいろなものをどっさり頂いて…ありがとうございました。来年奥駈をされるときはぜひご一報ください。ぜひサポートさせてください。 
後日、小山社長さんから丁重なるメールを頂戴しました。
久田美智子様
東海地方も本日入梅となりました。
お饅頭を頂きながらお礼の言葉が遅くなりましてほんとうにすみません。
本日奥駆けレポートを拝見いたしました。大変苦労をされたとともに良い経験をいたしましたね。私も奥駆けは挑戦したいと思っています。
私は現在四日市ですが紀州に遊びの拠点があります(魚釣り、山歩き、山菜取り、宴会、自転車、バイク、水泳、素潜り、山野草etc、、、)
機会があれば一度きてください、雨露は防げます。
久田様も山関係はかなりベテランのようですね、今後ともよろしくお願い致します。
仕事に追われてご返事が遅くなり大変失礼をいたしました。                                        小 山  
▲吉野からここまで、シャクナゲは見ませんでしたが玉置山が近くなるほどに花が大きくなってきます
▲餓坂 (かつえ坂) を登ります…ここを登りきると玉置山です 
 玉置山展望台近くには石楠花が咲いていました。先ほどの小山社長さんの思いやりに心が温かくなり、石楠花がより美しく見えました。小雨が降ってきたため東屋で合羽を着け、レーションを頬張って再び玉置山を目指します。車道から分かれて、かつえ坂を登り切るとそこは玉置山の山頂です。
▲玉置山の山頂です 
  ▲玉置神社 本殿と御神木
 ▲わー、もうすぐ15時 あと二山越えなきゃあ今日のノルマを達成できなーい
玉置神社にはなるほど売店も自動販売機も見あたりません。駐車場にはあるらしいのですが、飲み水は先ほど頂いたお茶で充分と考え、宮司さんにお断りしてお水だけ補給させていただきました。。
明日がゴールで今夜が最後のテント泊と言うこともあり、ご神酒と陀羅尼助を買い、とにかく大森山だけは越えよう、そうしないと日曜日の比良山縦走登山に間に合わないという気合いだけで歩いている気がしました。 
玉置辻を過ぎ再び大森山へと向かいます。右手奥に高い峰が見えます。まさかあそこまで登ることはないだろうと思いながら急な傾斜を登っていくと太平多山への分岐で、見覚えのあるツエルトを見つけました。そこには名張のお医者さんの顔がありました。
「やっと追いつきました」
「今日はここで泊まります」
「私達は後ろが決まっていますので頑張って、もう少し先に進みます」
そんな言葉を交わし大森山を目指しました。   
 ▲大森山 1078m ▲ 大森山三角点
  ▲頂上では大阪の篠原さんと出会いました ここでテントを張りましょうかもう少し先まで行こう…この時 16:40  
胃痛に悩むジョンの足取りが思うように進みません。「先に歩いてテン場を探せ」そんな指令を受け、少し先を歩きます。
時間は既に5時を過ぎています。雨が降りそうで木立の中を歩くと町中より夜が早く訪れそうで急な下りは捻挫でもしたら大変です。あせる気持ちと思うようなテン場が見つからず、やっと登山道脇にわずかな空間を見つけテン場と決めました。「テン場が見つかりました〜」
大きな声でジョンに伝えます。その声が届いたのか少し元気な足取りが伺えます。
▲さっきの所で張ればよかったなあ ▲テント張れたの 17:48 だった ▲この酒が悪かった
雨が落ちてくる気配で大急ぎでテントを張り、リュックを入れ、そのまま倒れ込みました。少し休憩をしてから食事の準備です。
食事といったところでお湯をわかし、ご飯を湯煎し目刺しを焼くだけなんですが山の中ではご馳走です。
今夜は篠尾辻(岸ノ宿跡)でテント泊です。
またまた登山道の傍らにテントを張っています。明日の天気が少々心配なのですが、残り明日一日ですので玉置神社で買い求めた銘酒・神代杉で乾杯したいと思います。「かんぱ〜い!」
疲れていたためか酔いも周りバタンキューとなりました。 
  しかし、ここからが大変だったんです。ジョンが酔いすぎてうなり始めました。それに「水はどうやって運ぶねーん?!」とわけのわからない言葉を発しはじめたのです。夢をみている様です「もう水は運ばなくていいよ」と言うと寝息をたてて眠ってしまいました。
奥駈にとって水対策が一番大変なのです。
翌朝そのことを言うと、地蔵岳の岩場を水タンクを持って登っている夢を見ていたそうです。
テントを叩く雨音は、激しく、大きく、明日ゴールできるのかどうか心配ですが、とにかく熊野本宮までたどり着かないと いままでの苦労が水の泡になってしまいます。
第七日目 5月6日 金曜日 篠尾辻 (岸ノ宿跡) テント泊
 ジョンの一言
 山で疲れた体に酒は良くないです。生まれて初めて無茶苦茶酔っ払いました。完全に山行終了してから飲まないと大変なことになる場合があります。今回がその大変なことが起こったです。帰阪後まさか胃カメラの検査を受けることになるとは思っても見ませんでした。
でも名張の先生は 「痛みが取れなかったら胃潰瘍の疑いがあるから病院に行くように」 とそれが別れの言葉でした。
 後日、名張の先生からメールを頂きました。 
岡本 勝, 久田 美智子様
ご丁寧なメールを頂きまして、また写真もお送り頂きまして誠に有難うございました。ホームページを拝見させて頂いております。
岡本さんの病状はやはり潰瘍のようでしたね。久田さんのメールでは出血して貧血にまでなっていたとのこと。
最後にバテたとおっしゃっておりましたが、貧血も大きく関係していた可能性があったと思います。
潰瘍もいい薬が出ておりますので、内科的に問題なく治癒するかと思います。お大事にしてください。
そういう私の方も、その後完全には体調は戻っていません。長い大峰奥駆は身体に相当のダメージを受けることを実感しました。
今後、また山でお会いできるかと思います。それでは、また。 
文:美智子姫   
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