上信越&北関東の日本100名山を辿って  第4日目男体山(2484.2m) 6月10日(水曜日・晴れ)
雨飾山・苗場山・奥白根山・男体山・武尊山・皇海山
 志津乗越05:40~避難小屋05:45~男体山08:30ー09:00避~難小屋10:55~志津乗越ゴール11:00
男体山(なんたいさん)は栃木県日光市にあり、中禅寺湖の北岸に位置します。関東地方有数の高山であり、古くから山岳信仰の対象として知られ、山頂には日光二荒山神社の奥宮があります。男体山は、円錐形の大きな山容を有して裾野が広く、栃木県はもちろん群馬県や埼玉県の平地部、特に空気の澄んだ日には南関東からも独立峰のような堂々とした姿が臨まれ、また山麓部にあたる日光市街や中禅寺湖畔、また戦場ヶ原や奥日光の山々からも容易に見ることが出来、同じ日光表連山の女峰山、大真名子山、小真名子山等と並び、日光連山を代表する山となっています。
志津乗越をスタートです
志津乗越は駐車禁止であると書いてありましたが林道歩きもつらいしイチかバチか行き止まりまで車を走らせました。既に2台の車が駐車してありました。志津乗越は10台ほどの駐車スペースがありますが二光院神社の所有地であり駐車禁止の看板がいたるところに立っていました。駐車場から歩き始めて数分で林道から登山道へと入っていきます。しばらく行くと避難小屋があり多くの神様が祀られていました。そこからいよいよ登山開始です。
ゆるい傾斜の登山道を登って行くと1合目の標識と出合います。さらに登り詰めて行くと2合目標識、このルートにはしっかりとした合目標識が設立されていました。3合目あたりで2人の若者と出合いました。背中には柵の様な物を背負っており「作業員の方ですか?」と聞くと「宇都宮大学の研究員で鹿の生態研究をしています。若い木々が食べられてしまうのでシラネアオイは鹿のせいでほとんどみられることが出来なくなりました。将来は鹿の駆除も考えることになると思います」と丁寧に説明をしてくださいました。背負っていたのは鹿除けの柵だった様です。 
女峰山方面
このころから足元は非常に悪くなりぬかるみ状態の中を踏んで行きます。5合目あたりから針葉樹林帯を抜けて行き、7合目すぎには大崩れをした崩壊場所に出くわしました。崩壊場所の中に登山道らしい道をみつけ、これ以外の道が見当たらないため崩壊場所へ行って見ると踏み跡はあるものの細すぎて再び引き戻して7合目あたりまで戻ることにしました。その中に直登する1本のルートを見つけました。このあたりは木の根が多く踏み跡はありません。急登していくと登山道に出ました。「ようわからん道やなぁ」8合目の標識を見てしばらく行くと見晴らしも開け岩稜帯へと変わってきました。
二荒神社奥宮
そして9合目の標識。頂上はまだかと水平移動をしてゆくと長い刀剣のモニュメントがありました。「頂上だぁい!」直下には社務所らしき建物がうかがえます。
ここで昼食を済ませ下山の途に就きました。
 志津乗越ゴールは午前11時です。今日は余裕です。
 志津乗越
途中にある尾瀬市場に立ち寄りイワナの焼いたような臭いにつられて店に入るとパンを焼いたところだと言います。パンを姫に渡し「持って行きな!」と、気前のよいおじさんでした。「明日お山に登るので遠慮なく頂きます」と言うとゆで卵を2個「これも持っていきな!」とプレゼントしてくれました。途中ジョンが睡魔に襲われ運転を交代して走っていると「100円風呂」と書いた大きな看板をみつけ急停車「ひゃ・・ひゃ・・百円だって!」大きなりっぱな風呂屋さんです。しかし・・・100円は26日だけのサービスみたいで10日は対象とはならず900円支払って入浴を済ませました。この日は武尊山登山のための川場谷キャンプ場に向けて車を走らせました。キャンプ場とは名ばかりで廃屋状態、。1台だけ車が止まっており夕食を済ませた午後6時を過ぎてもまだ戻ってきませんでした。すると足音が聞こえてきて登山者が戻ってきました。情報収集をしなければと思い朝何時に出発したのか、雪はあるのかないのか矢継ぎ早に質問を浴びさせてしまいました。朝5時過ぎに出て13時間もかかっている・・・やはり武尊山は手ごわいみたいです。「とにかく夜が開けたら出発しよう」ロープをシュリンゲに替え、12本アイゼンを軽アイゼンに替え限りなく荷物を軽くして出かける用意をして就寝しました。もちろん車中泊です。
文:美智子姫