2011
七色分岐〜八木尾〜三軒茶屋〜熊野本宮大社
強風に悩まされた夜が明け、本日もすがすがしい天気の様です。リュックを包んでいたツエルトも飛ばされずにすみました。やはり、準備の段階で手間がかかっても、あらゆる気象の変化を想定をして一手間かけておかなければならないことを学びました。
朝は久しぶりに美味しいお粥とキューリの漬け物で五臓六腑に染みわたります。山の中での贅沢は許されませんが手間暇をかける贅沢は格別の味です。しかしお粥を炊き上げるには一合の米に3リットル以上の水が必要となるため水場の無い山中での食事には不向きと感じました。
食事の後はシートを広げ、テントの中の荷物を全部出して撤収作業にとりかかりました
3日もテントを張っていれば上手になり動作も機敏になってきました。今日が最後というのが少し寂しい気もしてきます。大木の隙間にテントを張ったことに胸を撫で下ろしています。三十三観音の9番の観音様が守って下さったのかも知れないと思うほど神秘的な朝を迎えました。
▲西国三十三観音・丁石観音様にてを合わせながら八木尾をめざします
▲誕生石 ▲二十丁石
▲街道から少し上にある石仏 ▲林道出合
朝7時に歩き始め、1時間もかからないうちに八木尾バス停に出ましたが三十三観音の1番を見つけるのに大変苦労をしました。事前調査によると「見つけにくい」と書いてありましたがルートとは別の道で、やっと苦労して探し当てました。あとは車道を通り、道の駅「ほんぐう」に到着、洗顔、歯磨きを済ませ三軒茶屋へのルートを歩いていると村人が「三軒茶屋まであと10分!」ガンバレよと言わんばかりに声をかけてくれました。村人から見ると大きなリュックを背負い本宮目指している様子なので、いっちょ励ましの声ぐらいかけとこかみたいな、村人とのうれしいふれあいでした。
  ▲平岩の分岐  ▲九鬼ヶ口関所跡から本宮・滝尻方面に延びる中辺路ルートへ向かいます
 ▲熊野古道・中辺路ルートに架かる橋 
 ▲九鬼ヶ口関所跡   ▲九鬼ヶ口関所跡から本宮方面の延びる中辺路ルート
 村人が言ったとおり、10分ほどで見覚えのある三軒茶屋に到着です。ここは以前、仲間達と滝尻王子から本宮大社までの中辺路コースを歩いた時の合流地点です。あの時は、この茶店のおじさんに頼んで体調不良者を軽トラに乗せてもらい、祓戸王子まで送っていただきました。ジョンと私は前を行く仲間に追いつこうと、必死で走って本宮大社を目指した苦い思い出のコースです。あの時は祓戸王子でやっと追いついた記憶が蘇りました。
ここからは中辺路ルートを通って 熊野本宮大社を目指します
 ▲ 熊野本宮大社 本殿   ▲熊野本宮大社 参道  ▲八咫烏のポスト
歩き始めてから3時間で熊野本宮にゴールです。感動も大きく傍らにあったベンチにヘナヘナと座り込みしばらく動くことができませんでした。八咫烏の黒いポストを見て、本宮に手を合わせた時、完歩した喜びは、体中に電流が流れる如く、併せて「東日本・早期復興祈願登山」を無事終えたことに更に大きな喜びを感じることができました。境内では東日本大震災早期復興祈願記帳所がもうけられておりました。  
 ▲大斎原
神が舞い降りたという大斎原。近年はパワースポットとして多くの人が訪れています。
熊野本宮大社はかつて、熊野川・音無川・岩田川の合流点にある「大斎原(おおゆのはら)と呼ばれる中洲にありました。
当時、約1万1千坪の境内に五棟十二社の社殿、楼門、神楽殿や能舞台など、現在の数倍の規模だったそうです。
江戸時代まで中洲への橋がかけられる事はなく、参拝に訪れた人々は歩いて川を渡り、着物の裾を濡らしてから詣でるのがしきたりでした。
音無川の冷たい水で最後の水垢離を行って身を清め、神域に訪れたのです。ところが明治22年(1889年)の8月に起こった大水害が本宮大社の社殿を呑み込み、社殿の多くが流出したため、水害を免れた4社を現在の熊野本宮大社がある場所に遷座しました。かつて多くの人々の祈りを受け止めた大斎原には、流失した中四社・下四社をまつる石造の小祠が建てられています。
大斎原は、現在の熊野本宮大社から500mほど離れています。熊野本宮大社から道路を隔てて、大鳥居(高さ約34m、幅約42m)が見えます。その背後のこんもりとした森が大斎原です。。
お参りを済ませ 白浜行きバス停にリュックをデポし、熊野古道の終着点と言われる「聖地・大斎原」まで足を延ばしました。八咫烏にちなんだ真っ黒い鳥居をくぐり大洪水に遭う前に熊野本宮が建立されていたと言う大斎原まで往復してきました。

こうして、長くて、つらくて、それでいて厳かで、意義ある熊野古道・小辺路の祈りの旅は怪我もなく、トラブルもなく無事幕を降ろすことができました。
ありがとうございました。

近い日に、今度は吉野から大峰奥駈道を通って熊野本宮大社を目指したいと考えております。ただこの参詣道は一部、五番関から大峰・山上ヶ岳を通り阿弥陀の森までが女人結界の地になっているため私は満行とはいきませんが、山岳修行の道に8日の間、身をおいてみたいとおもいます。
行者でも修験者でも無い私ですが、祈りの道を歩くことで、東日本災害復興の祈願ができればよいと思っています。
12時40分発の白浜温泉行き特急バスは定刻どおり発車、渡瀬温泉を経由して中辺路ルートに沿って走ります。近露王子、滝尻王子などの説明をうけながら約1時間ほどで白浜駅前に到着です。ここで大枚1200円を払ってコインロッカーにリュックを3個入れてタクシーで、とれとれ温泉に入りにいきました。4日分のアカがでるわでるわ。
温泉を浴びた後、とれとれ市場で 「お造り三昧」 久しぶりのごちそうでした。
 【 あとがき 】
 高野山から熊野本宮への二大聖地を結ぶ小辺路コースを挑むにあたり、3泊4日分の荷物の重さが問題となりました。
常々の登山に於いて必要以上の荷物を背負い、歩荷トレーニングを積み重ね、ある程度の自信がついたため、実現と言うことになりましたが不安がなかったわけではありません。、1000メートルを越える5つもの大きな峠を、ひたすら登ったり、ひたすら下ったりは、想像以上に過酷な体力が必要でした。4日間とも同じ体力維持するのは到底無理な話で、私は既に2日目には足の動きが鈍くなり、かと言って引き返すこともできず、途中で出会ったコロと言う犬に励まされてなかったら熊野本宮のゴールは踏めてなかったのではないかと思うほどでした。人・動物・自然ともに素晴らしい出会いを満喫することができました。

世界遺産・神域と言われるだけあって、まだ手つかずの自然が多く残り、神秘の世界もまた私の人生に素晴らしい足跡を残してくれました。力強いリーダーのもと、私達夫婦だけでは到底体験することのできない熊野古道・小辺路はアルプスの様な高い山の制覇にはない、地道な日々の繰り返しでした。

多くの人達へ、ぜひ足を運んでもらいたく、道中を振り返り書き綴りました。民宿等を利用する場合は第1日目は大股集落、第2日目は三浦集落、第3日目は十津川集落で宿泊するといいと資料に書いてありました。
しかし途中、気象変化や体力不調などのアクシデントが発生した場合、民宿泊まりは、何が何でも予定地までの到着を余儀なくされます。テント泊はその点、気が向いた場所を見つけて気が向くままに宿泊地を決めることができるので私は今後も選択を迫られる場合はテント泊を選びたいと思います。それほどに快適です。
文:美智子000