東横堀川に架けられています。架けられた時期は不詳ですが、江戸時代初期の慶安~万治年間(1648~1661)の絵 図には既に描かれています。橋の西側は九之助町と呼ばれていました。このあたりには銅吹所を始め、鋳物屋、鍛冶屋な
どが多くあり、町名や橋名の「九之助」も、もしかしたら金属関係の人名かも知れませんが詳細は不明です。町橋であっ たため、橋筋の町を中心に町々からの資金によって維持されてきました。また橋近くには淡路屋太郎兵衛という豪商が
おり、天王寺の五重塔を一建立(一人の力で奉納)したといわれています。また橋東側の瓦屋町の町名の由来は、大坂城 落城後、徳川家の御用瓦師・寺島宗左衛門がこの地を与えられ、代々、瓦を製造したことによります。
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