▲JR大阪環状線 桃谷駅 
  江戸、明治時代に桃畑が続いて「桃山」「桃谷」と呼 ばれたことが駅名の由来です。当初は桃山駅でし たが、明治38年(1905)に伏見桃山駅と混同す るので改名しました。太古の昔はこのあたりは河 内湖が広がって大陸の交易船が行き交ったとい います。桃も中国の舶来植物ですが、大陸文化の 香りを感じる駅名です。
▲桃谷商店街
桃谷駅から疎開道路(太平洋戦争時に爆撃の延焼を 防ぐために建物を疎開して作られた道路)まで続き ます。創業50年以上を誇るイカ焼き発祥店「桃谷い かやき屋」など下町風情が満載の商店街として親し まれています。途中で交差する猫間川筋の猫間川 (現在は暗渠化)は「高麗川」が訛ったものという説 があります。
▲桃谷商店街 東端
つるのはし跡
『日本書紀』の仁徳天皇14年の条に「猪甘津に橋わた す。すなわちその処を号けて小橋という」(為橋於猪 甘津即号其処曰小橋也)と記されていますが、これが 文献上、日本最古の橋です。湿地帯の河内湖はよくツ ルが飛来したので、いつしか「つるのはし」と呼ばれ ました。江戸時代の猪飼野村明細帳には「全長20間 (36.4メートル)幅7尺5寸(2.3メートル)の板橋」 と記載されていますが、大正12年(1923)に現平野 川が開削され、昭和15年(1940)に旧平野川が埋め 立てられて廃橋となりました。「しのぶれど 人はそ れぞと 御津の浦に 渡り初めにし ゐかい津の 橋」という小野小町の歌碑があります。
 ▲猪飼野保存会 と平野街道道標
 猪飼野保存会 もとは猪飼野若中会と称しましたが、昭和48年 (1973)の住居表示施行によって猪飼野の地名が 消滅するので、由緒ある地名や史跡・地車などの文 化を伝承しようと改称しました。猪飼野の地名は猪 飼野新橋や猪飼野橋停留所など、いくつか残されて います。
平野街道道標 「右 八尾 久宝寺 信貴山」「左 大阪」と刻まれています。「慶応二年丙寅二月建之 鐘講」とあるので幕末で騒然としていた慶応2年(1866)に建てられたものとわかり ます。信貴山の毘沙門天は「寅年寅月寅日に出現した」という伝承がありますが、「丙 寅」年に道標が建てられたのは、そういった時代背景や信仰の影響が感じられます。
▲木村権右衛門家屋敷跡・ご神木
「猪飼野から生駒の山すそまで他人の土地を踏まずに行けた」という富豪・木村 権右衛門邸宅跡です。戯作者・太田南畝(蜀山人)の『葦の若葉』(享和元年・1801 年刊)には「橋(つるのはし)の向かいに屋高く作れる家見ゆ。何がしの守の御苑 にやと問うに、権右衛門といえる農夫の家なるよし。素封の類なるべし」とあり ます。現在は駐車場ですが、樹齢400年の椎の木のご神木と、立派な石灯籠、庭 石が残されています。木村家は木村重成(大坂夏の陣で討死。享年23歳)の姉婿・ 猪飼野左馬助の子孫で、ご神木は重成公のお手植えと伝えられています。
▲大東邸
笠屋儀兵衛と称した大東家のお屋敷で、かつての猪飼野村の面影を偲ばせ る貴重な存在です。とくに土蔵の外壁材は古い船板を使って風格がありま す。大東邸の北向かいにも木村姓の旧家がありましたが立ち退いて、現在 では桃谷南公園になっています。
▲鶴栖山 安泉寺
 鶴栖山(鶴の栖む山)という山号の浄土真宗寺院で猪飼野村の総氏寺 です。創建不詳(江戸初期?)ですが代々のご住職の苗字は「猪甘」と いいます。大正14年(1925)に本堂を改築して、竜宮城を思わせる 立派な鐘楼門を建立しました。第18代木村権右衛門(源尚敏氏)が独 力で寄進したもので、大晦日になると、参拝者は鐘楼門の鐘をつい て、猪飼野に年の暮れを告げます。
▲御幸森(みゆきのもり)天神宮
御幸森(みゆきのもり)天神宮 よく仁徳天皇が鷹狩りで行幸したので「御幸の森」と呼ばれ、反正元年(406)に猪飼野の人々が 天皇のご神霊を祀ったことが神社のはじまりです。境内に遙拝所があって「仁徳天皇腰掛石」が あります。本殿や拝殿等は登録有形文化財指定。樹齢700年を超えるムクの木も市指定保存樹 林です。 
▲本殿の東側に<難波津(なにわづ)の歌>
本殿の東側に<難波津(なにわづ)の歌>の歌碑があります。「難波津に咲くやこの花冬 ごもり今を春べと咲くやこの花」-約1600年前、百済から渡来しわが国に論語や千字文(せん じもん)を伝えた「王仁(わに)博士」が仁徳天皇のご即位を祝して詠んだとされている<難波津 の歌>を万葉仮名・和文・ハングルの3種類の文字で刻んでいます。
▲御幸通商店街
日本最大のコリアタウン。キムチやチヂミなどの定番韓国グルメ、色鮮やかなチマ・チョゴリ専門 店、豚足や豚頭も並ぶ精肉店など、約120の店舗があって3分の2が在日コリアン経営の店舗です。 大正11年(1922)に大阪・築港~済州島に定期船「君が代丸」が就航したことで済州島出身者が多 く、韓国伝統の帽子(モジャ)をかぶる済州島の守り神「トルハルバン」(石製の爺さん)が置かれてい る店も見られます。
▲弥栄(やえ)神社
文禄年間(1592~1596) に出雲の熊野坐神社(現在 の松江市・熊野大社)より 勧請しました。社殿は熊野 大社の原寸を計って、それ を縮尺して建設した大社 造です。長く牛頭天王社と して素戔嗚尊が祀られて い ま し た が 、明 治 4 3 年 (1910)に旧・岡村の御館 神社(現・弥栄神社お旅所 ご祭神・仁徳天皇)を合祀 しました。御館神社は仁徳 天皇の御弓場(的殿)跡地 と伝えられています。
▲ 鶴橋商店街ほか
桃谷商店街、御幸通商店街 と並んで「いくのトライア ングルタウン」の一角を形 成しています。焼肉店が多 く、夜は焼肉の匂いと煙が 充満しますが、「鶴橋駅周 辺のにぎわい」として環境 省の「かおり風景100選」 に選ばれています。韓国民 族衣装や雑貨などを扱う 店も多く、エキゾチックな 雰囲気が漂っています。ま ち歩きのあとは美味しい アジアン・グルメに舌鼓を 打ちましょう!
 
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 美智子  
は平成12年(2000)に完成した東横堀川水門は、道頓堀 川水門と対になっている閘門です。①門の前後で水面の 高さが違う時に水門内で水位の調整を行い船舶を航行さ せる、②大雨や高潮で水位が上昇する時は水門を閉めて 浸水被害を防ぐ、③潮の干満を活かして門を開閉して水 質
をきれいにする、という役割があります。水門が開閉す るときに船の信号がわりに出る噴水は、大阪市章「みお つくし」のかたちをイメージしてつくられたそう