古代朝鮮半島との交流を伝える比賣許曽神社から、経営の神様・松下幸之助が起業した「世界のパナ ソニック」発祥の地、上方落語の縁まで。路地裏を曲がれば、一体、なにが飛び出すのかわからない、バ ラエティ豊かな鶴橋ワールドを巡ります。ディープ大阪の下町文化ここにあり!  
 ▲鶴橋国際マーケット
鶴橋地区では空襲による火災の延焼を防ぐ ため、昭和19年(1944)2月から同20年 (1945)6月までの間に数次にわたって鶴 橋駅付近の建物の疎開が行われ、戦後その空 き地に闇市ができました。のちにその跡地に 店舗が立ち並び、これが現在の国際マーケッ トとなっています。 
▲大軌 ( 現・近鉄)   鶴橋停留所跡
大阪電気軌道は大正3年(1914)、 上本町―奈良間が開通。同時に鶴 橋 停 留 所( 現・近 鉄 鶴 橋 駅 の 東 150m、軌道と鶴橋本通りが交差 する地点。1932年移転)が設置さ れました。路面を走る地上線でし たが、国鉄城東線(現・JR大阪環状 線)を跨ぐところだけ高架になっ ていました。城東線の鶴橋駅は昭 和7年(1932)になって、大軌連絡 駅としてようやく開設されたもの です。
▲ 大小橋命胞衣塚
大小橋命胞衣塚(おおおばせのみ ことえなづか)は、式内社・比賣許 曽神社とゆかりの深い大小橋命の 胞衣を納めた所と伝えられ、後世、 この塚に植えられた柳が、子供の 夜泣き封じに効能があると伝承さ れ、俗に「よな塚」と呼ばれ、人々か ら親しまれてきました。
▲比賣許曽神社 (ひめこそじんじゃ)
比賣許曽神社は、下照比賣命 を祀る延喜式内の名神大社 で、旧社地は小橋の産湯稲荷 の地にありました。天正年間 (1580年頃)の石山合戦で兵 火にあい現在地(東小橋村)の 牛頭天王社に合祀されまし た。『古事記』では新羅から渡 来した赤留比売命を祀ったと 記されています。
▲亀の橋跡
亀の橋はかつて東小 橋村と猪飼野村との 境を流れていた旧平 野川に架けられてい ました。旧平野川は昭 和15年(1940)に埋 め立てられ、長さ9m・ 幅3.6mのこの石橋は 廃橋となり、現在八木 酒店の前に親柱の1本 が残されています。
 ▲陣堂道と梁石日『血と骨』の舞台あたり
明治42年(1909)、片江(現 在の生野区小路一丁目)の豪 農・井上和三郎氏が村の発展 のため、片江から亀の橋を経 て天王寺区舟橋町に至る延長 2.8km・幅3.6mの道路を独 力で作りました。その後、材木 商の石田寅吉という人がその 沿道に長屋を建てたために、 この付近一帯は割合早い時期 から宅地化が始まりました。 
作家・梁石日(ヤン・ソギル、本名梁正雄、1936年生 )は大阪市東成区中道で生まれ、戦後両親とともに 同区大成通(現・玉津2丁目)の在日コリアン密集地 域であるこの地に転居。平成10年(1998)、類いま れなバイタリティを持つ実父をモデルに、小説『血 と骨』を書き、第11回山本周五郎賞を受賞。平成 16年(2004)、崔洋一監督・ビートたけし、鈴木京 香主演の映画『血と骨』は日本アカデミー賞監督賞 の最優秀賞など数々の映画賞を受賞しました。同 映 画 に 出 て く る 市 電「 大 成 通 一 丁 目 」停 車 場 (1969年廃止)周辺では、『サンデー毎日』創刊時 からの看板、昭和8年(1933)創業の食堂など、昭 和初期にタイムスリップ! 
▲松下幸之助 起業の地
世界のパナソニックの創業者・松下幸之助 は大正6年(1917)6月、自身が考案した 「松下式ソケット」を製作するため、それま で勤めていた大阪電燈(株)を退職。当時住 んでいた猪飼野の借家、四畳半・二畳の二 部屋のうち四畳半の床を落とした作業場 で、妻「むめの」やその弟の井植歳男(三洋 電機の創業者)らとソケット作りを始めま すが、作ったソケットは皆目売れずに困 窮、そこにたまたま舞い込んだ扇風機碍盤 の注文で窮地を脱し、翌年の3月、さらな る飛躍を求め福島区大開町の少し大きい 借家に引っ越しました。
▲大阪セルロイド会館 ( 国の登録有形文化財)
大阪セルロイド会館は昭和6年 (1931)に建築され、昭和12年 (1937)に増築されました。列柱 構成と町家風のデザインとを組 み合わせたこの建物は、平成13 年(2001)に文化庁により登録 有形文化財(建造物)に指定され ました。この地域がセルロイド産 業の中心地であった時代の息吹 が感じられ、産業史跡としても重 要です。
▲4代目桂米團治 顕彰碑(東成区役所敷地内)
この碑のある場所は、4代目桂米團治(1896~1951、 本名:中濱賢三)が営んでいた中濱代書事務所があっ た場所です。碑に刻まれた「4代目桂米團治」の文字 は、4代目自身による署名を写し取ったもので、同じ く碑に刻まれた「儲かった日も代書屋の同じ顔」は、4 代目作の川柳であり、この碑のために5代目桂米團治 が書いたものです。この碑の除幕式は、5代目桂米團 治はもとより4代目桂米團治の弟子である人間国宝・ 桂米朝や4代目桂米團治の親族も参列して、盛大に行 なわれテレビや新聞にも報道されました。米朝も「こ の場所に通った」ことや当時のエピソードを話しまし た。この代書事務所での体験を題材にした落語「代書」 (1939年初演)は、4代目桂米團治の創作による傑作 です。また説明板の右上にある割り印の「割印で代書 罫紙に箔をつけ セイホ」も4代目自身によるものを写 し取ったものです。
東成区役所   (市民協働ステーション   「ふれ愛パンジー」) 平成19年(2007)10月、市税事 務所設置に伴って各区役所に空 きスペースが生まれました。そこ で庁舎の一部を翌年3月にリニュ ーアルして、区民のための協働ス ペースとして無料で開放しまし た。区の花である「パンジー」に因 んで「ふれ愛パンジー」と名付け られて、地域活動に取組む各種団 体・区民のミーティングや展示・ 発表などに活用されています。
 
     このページのTOPへ     
 美智子   
は平成12年(2000)に完成した東横堀川水門は、道頓堀 川水門と対になっている閘門です。①門の前後で水面の 高さが違う時に水門内で水位の調整を行い船舶を航行さ せる、②大雨や高潮で水位が上昇する時は水門を閉めて 浸水被害を防ぐ、③潮の干満を活かして門を開閉して水 質
をきれいにする、という役割があります。水門が開閉す るときに船の信号がわりに出る噴水は、大阪市章「みお つくし」のかたちをイメージしてつくられたそう