元は難波村の薬師堂でしたが、寛文 10年(1670)に黄檗宗の僧・鉄眼 道光和尚を招いて中興開山し、延宝 4年(1676)に慈雲山瑞龍寺と改号しました。鉄眼和尚の徳の高さから、鉄眼寺とも呼ばれています。鉄眼和尚(1630~1682)は肥後国
の生まれで、当初は浄土真宗を学びましたが、明暦元年(1655)に隠元隆琦に参禅して禅宗に帰依。寛文4 年(1664)に『大蔵経』の刊行を発願し、全国行脚して施財を集めますが、2度、洪水や飢饉による大坂難
民の救済に施し、3度目に集めた浄財で、ようやく一切経の木版6956 巻32万頁を完成させました。延宝 6年(1678)のことで、「鉄眼は一生に三度一切経を刊行せり」と、その
偉業を讃えられ、昭和4年(1929) には昭和天皇より宝蔵国師の名を下賜されました。境内には「鉄眼禅師荼毘処地」の碑があります。 |