紀伊山地の霊場と参詣道:熊野古道 大辺地 7 紀伊浦神~紀伊天満 2018.05.06
●大辺路第3回の1日目 : 5月6日(日) 晴
熊野古道:大辺路 二河川を渡る
紀伊浦神~紀伊天満 (13km)
紀伊浦神駅前11:39→海蔵寺11:46→大原神社13:13→諏訪神社→市屋休憩所13:46-13:53→市屋峠14:10→二河峠14:55-15:00→
ゆかし潟15:33→駿田峠16:24→紀伊天満駅17:00(17時25分発の電車で古座へ)旅館 やまさき屋 (泊)
大辺路は雄大な熊野灘に導かれるように、全区間を通じて大きな峠越えはないものの、本州最南端の眩い大海原が印象的なコースです。
天王寺駅から前回と同じ特急「くろしお」に乗りました。連休最終日とあってか和歌山駅の「お出迎え隊」の人数は30人もいました。列車の中の車掌さんのサービスも行き届いており
「おお~これが特急料金のサービスか」
と感動した次第です。切目駅を過ぎたあたりからは
「速度を落として走行しますので景色を楽しんでください」
と車内放送がありました。駅舎の壁絵や外の風景を楽しんでいるうちに古座駅です。
やはり特急は早い。3時間で古座駅到着です。予約していた古座川タクシーに乗り、前回ゴールの紀伊浦神へ移動しました。11時39分、ここからスタートです。
浦神の地区を歩き熊野古道の案内標識に従って左折すると
塩竃神社 があります
▲塩竃神社
▲紀勢線の踏切を渡ればすぐのところに「海蔵寺」があります。境内にイチョウの巨木があり、晩秋には鮮やかな黄色に色づくそうです。
なだらかな上り坂を歩いて行くと番犬が
「不審者来たり!」
とでも言いたげに大きく吠えます。
▲炭焼き小屋
のような家があり軽トラが停まっています。人影が見えたので挨拶を済ませ次へと進みます。
浦神峠登り口から高低差150mほどの浦神峠へと向かいます。
▲浦神峠に到着です。ここは「休平」の名前のほうが有名なようです。
休平でひとやすみ
▲峠を下ったところに道標地蔵があり「右ハ山みち」「左ハ大ヘチ」と刻まれていました。
▲大原神社
▲弘法大師像
集落の中に入って案内板に従って歩いて行くと「大原神社」に到着です。ここの境内には享保4年(1719)、文政7年(1824)、文久2年(1862)といった古い石灯籠が立っていました。民家もありますがほとんどが廃屋の様です。しかし主がいなくても庭の花々は季節が来ると綺麗な花を咲かせていました。道標はありませんが、草木の中に「弘法大師像」と地蔵尊が祀られていました。見落としそう・・・。ひっそりとした佇まいです。
▲大泰寺のツブラジイ
▲諏訪神社
▲太田神社
大辺路街道 市屋休憩所、太田神社と続き
「▲大辺路街道市屋休憩所」
があったのでここで休憩を取ることにしました。レーションをと水分補給をたっぷりとり、市屋峠へと向かいます。
▲峠の頂上は掘割になっており、市屋峠地蔵様が祀られていました。平維盛(たいらの これもり)がここで一夜を過ごした事から名付けられたといわれています。
山を下っていくと
▲与根河池(よねごいけ)
が見えました。この池は江戸時代に灌漑用に作られたもので、池を掘るのに3年、溝を作るのに10年かかったと伝えられています。かたわらに二体の「与根河の地蔵尊」がありました。
▲与根河の地蔵尊
▲与根河池
▲二河峠へ登っていきます
▲二河峠
▲沢沿いに下ります
▲二河峠押印所
▲二河川を渡ります
▲二河川を渡ります
「ゆかし潟」が広がっておりました。大きな水たまりの呼び方として、淡水では湖、沼、池と3種類あり汽水域では潟と湖と2種類あります。湯川温泉の脇にある「ゆかし潟」は、淡水と海水が混じりあった周囲2.2kmの小さな汽水湖。「
▲ゆかし潟
」の名は、春は桜、冬場には水鳥がその景観に幻想的な美しさを与えることから、郷土の詩人・佐藤春夫が名づけたそうです。
『なかなかに 名告ざるこそ 床しけれ ゆかし潟とも よはゝ呼はまし』
この潟の周囲を回るようにして進むと「呼ばずの坂」の説明板が立っていました。明治の初めのころ、この村にやってくる郵便配達員が坂を下る手間を省くため、坂の上から村人を呼んで取りに来てもらっていたそうです。そのため、この坂の辺りでは郵便屋と間違われないように大声で人の名前を呼ばなかったそうです。
ゆかし潟を過ぎると湯川温泉が見えてきました。湯川温泉は約1500年前、伊勢から来た二人の老人が土地の人々の親切なもてなしに応えて、榊の枝で土地を撫でると温泉が湧きだし薬師如来の石像が現れたことに始まる由緒ある温泉です。その後、熊野詣の湯垢離場として栄え、良質の湯で懐かしい気分をゆったり味わうことができるそうです。
「ゆりの山温泉」
です。ここは熊野詣の天皇や上皇、武人や宮人がここで湯垢離をとったといわれる古い温泉です。
▲13代 亀山城主の墓所
▲湯川 諏訪神社
▲湯川隧道 車道トンネル
▲湯川隧道 歩道トンネル
▲製材所の中を駿田峠口へ向かいます
▲駿田峠 押印所
那智勝浦町中心部と湯川温泉を結ぶ旧県道の
山道に大きな掘割があり、▲ここが熊野古道大辺路の駿田峠(するだとうげ)
です。掘割の山側に参道の石段があり、少し登ると「加寿地蔵(かすじぞう)」の祠があります。その昔、熊野詣の途中に亡くなった三姉妹の長女、歌子姫を祀った地蔵と伝えられ、下半身の病に効能があると信じられています。そして石段の途中の小さな地蔵は妹を祀ったものと言われています。
▲加寿姫坂のお地蔵様、近年建立されたようです
▲妹を祀ったもの
▲加寿地蔵(かすじぞう)」の祠
▲加寿姫坂
▲紀伊天満駅前の天神社
▲紀伊天満駅
駿田峠を下ると大きなホテルの建物が見えて来ました。ゴールの紀伊天満駅はもうすぐみたいです。ここで気を抜くと電車に乗り遅れては大変です。宿の女将さんには「午後6時頃伺います」と言ってあります。後ろを気にしながら少し速足で歩きました。
「ここらへんが駅だと思うんやけどなぁ
」と思いながら、近くを歩くおばさんに駅を尋ねると
「そこそこ」
と・・・。目の前が駅だったのです。駅らしくない可愛い駅で見落とすところでした。25分待ちで予定の電車に乗ることができました。
(急がせてゴメンね)
ゴール後は電車を利用して古座駅まで戻り、待ち受けてくれていた馴染みのタクシーに乗りお気に入りの宿「旅館・やまさき屋」に2度目の宿泊です。
旅の感想文
●
ひ め
順調な1日でした。荷物は限りなく軽く工夫をして、天候もよく快適でした。前回はイタドリに気を取られて大忙しの歩行でしたが(笑)今回は落ち着いて楽しめました。熊野詣がいかに大変であったか身に沁みて体験することができました。途中で息絶えた人々がお地蔵様となり今の世でも地元の人々に丁重にお祀りしていただいていることもわかりました。距離を稼ぎ歩くだけではなく「熊野詣とは」と考えると高貴なお方が通ることにより村が栄え、茶店が賑わい、旅籠が繁盛する。
私達もいま熊野古道を歩きながら、わずかではありますが地元への感謝の消費をしつつ歩いています。
●
junko
昨年一月の松の内に大阪天満橋八軒家から始まり、今回大辺路紀伊天満で終了した。奇しくも天満の文字の入った地名で終了したのも「完了」という二文字を思った。
1. 大阪天満橋八軒家から稲葉根王子
2. 稲葉根王子、滝尻王子、継桜王子、熊野本宮大社
3. 熊野那智大社からのかけぬけ道、大雲取り越え、小雲取り越え、長尾坂。潮見峠、赤城越、大日越、川の参詣道速玉大社
4. 紀伊田辺からの大辺路
徳本上人、弘法大師の足跡をたどり無事歩き終えた。膨大な資料を提供して頂いた姫さん、ジョンさん、留守部隊のとっちゃん、ありがとうございました。
山歩きではなく一つ、一つ遺跡を探しながらの路歩きは今までにない楽しみがあった。一月に始まり正月の賑わいを住吉大社で、和歌山に入ってからは梅が咲き、ミカンのなる道を、そして梅がなる、この地方が梅とミカンの産地であることを思った。
今年五月、ミカンの花の香る道を歩いた。
中辺路、大雲取り越、小雲取り越、舟の川の参詣道はこんなところに重いリュックを背負った外人が?と思うほど外人が多かった。
季節は春、姫さんの大好きな「ゴンパチ(いたどり)」のお土産も忘れられない。宿泊先もいろいろあり思い出すと楽しい。気に入って2回泊まった古座の「やまさき屋」、何回も泊まった那智勝浦の「湯快リゾート・越乃湯」、お終いは留守部隊のとっちゃんも参加、開業まもない「大江戸物語・南紀串本」で盛大に打ち上げパーティー、泊まった翌日は串本観光、橋杭岩の弘法大師に感激、樫野崎灯台の旧官舎、この地方を訪れなかったら行けなかったであろう「無量寺・芦雪の龍虎図」。湿度の多い日には入れなく雨の切れ目で入館できた。JR紀勢本線の駅名、紀伊田辺から大阪までの「JR高速バス」も馴染になった。
長い期間、目的を持ち楽しい旅を与えていただいたお二人に感謝いたしております。 横 川
●
JON
この回は、正午にスタートしたため少々気忙しい行程でした。4つの峠越と細い橋の川渡りは往時の雰囲気を醸し出していて楽しいものでした。それぞれ謂れがあるなかで市屋峠の掘割は印象深いものがありました。また駿田峠の加寿姫の言い伝えには裏悲しい物語があり、その辺りを事前に知って峠越えしていくと大辺路行脚もさらに意義深いものになると思います。
ただ良いコースであるにも関わらず訪れる人が少ない感じです。3月に1日目に田辺~草堂寺、2日目に草堂寺~周参見、3日目に周参見~江住と歩きましたがハイカーに出会ったのは2日目の富田坂で男性の単独行者と女性の単独行者に出会っただけでした。4月の2泊3日の行程では一人も会わず、今回の初日にも誰にも出会いませんでした。明日は雨の様相、たぶん誰にも出会うことはなさそうです。日本で10番目に登録された世界遺産、一度歩いてみられてはいかがでしょうか。
文:美智子姫
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は平成12年(2000)に完成した東横堀川水門は、道頓堀 川水門と対になっている閘門です。①門の前後で水面の 高さが違う時に水門内で水位の調整を行い船舶を航行さ せる、②大雨や高潮で水位が上昇する時は水門を閉めて 浸水被害を防ぐ、③潮の干満を活かして門を開閉して水 質をきれいにする、という役割があります。水門が開閉す るときに船の信号がわりに出る噴水は、大阪市章「みお つくし」のかたちをイメージしてつくられたそう