大江山の酒呑童子(しゅてんどうじ)退治や、京都の一条戻り橋で羅生門の鬼の腕を切り落と した勇将・渡辺綱が愛馬を繋いだ「駒つなぎの樟」に、天皇を苦しめていた鵺の遺骸が流れ着 いたという伝承を持つ「鵺塚」などを巡ります。いざ、摩訶不思議な都島妖怪譚の世界へ!
都島区
都島区の主婦が運営する地元密着情報ホームペー ジ「都島.com」の事務所。NPO法人mamaコムと 共同で運営する、子育て支援施設マナパークも併 設。毎週月曜日午前中は「マナパークおもちゃライ ブラリー」を開催。障害のある子もない子も沢山の おもちゃで遊べるスペースとして多くの親子でにぎ わっています。 http://www.miyakojimaku.com
都島神社
旧・沢上江村(または滓上江村)の鎮守社で、平安後 期、後白河法皇が生母・待賢門院(たいけんもんい ん)の菩提寺・母恩寺に行幸したときに、鎮護の神社 として創建されたと伝えられています。天照大神・応 神天皇・宇賀御魂神など十五もの神を合祀したので 「十五神社」と称していましたが、のちに「都島神社」 と改称しました。境内に嘉元2年(1304)銘の石造 三重宝篋印塔(ほうきょういんとう)があって、大阪市 内最古の石造遺物として、大阪府の有形文化財に指 定されています。
母恩寺(ぼおんじ)
仁安3年(1168)、後白河法皇が高野山行幸の折 に、風光明媚な淀川沿岸の景色を好まれて、生母・待 賢門院の供養のために創建しました。寺宝として後 白河法皇と待賢門院の画像などがあります。浄土宗 の尼寺として代々皇女が住持を勤め、南東約500m のところに「鵺塚」がありますが、かつてはそこも境 内で、多くの荘園と伽藍を有する大寺院でした。残 念ながら相次ぐ淀川の氾濫や戦乱のために衰微し ました。『摂陽群談』によれば、本尊の阿弥陀仏は恵 心僧都の作で、尼僧が手づくりした綿帽子は「滓上 江(かすがえ)の綿帽子」として名物になっていたと いわれています。
渡辺綱・駒つなぎの樟(くすのき)
かつてこのあたりは善源寺荘と呼ばれ、大江山 の酒呑童子退治で有名な源頼光が支配する荘 園でした。長徳年間(995~999)に武神・八幡 大神を祀ったさいに頼光自らが樟(クスノキ)を 植えて、家来の渡辺綱は、必ず樟に馬をつない で参詣したので「駒つなぎの樟」と呼ばれまし た。樹齢1000年、周囲約12メートル、高さ約 30メートルもの大樟で、昭和初期には大阪府の 天然記念物第1号に指定されましたが、残念な ことに戦災によって枯死。しかし枯死しても倒れ ずに立ち続けて、現在でも多くの地元住民の崇 敬を集めています。
株式会社 ミルボン 中央研究所
日本でも有数のプロの美容師さんが持っている 最先端の技術(パーマ・ヘアカラー・スタイリング 等)を解析し、得られたノウハウを基に商品を開 発していく独自の戦略によって、日本中の美容 師さんから最も信頼されるヘア化粧品業界の NO.1メーカー。ミルボン中央研究所から発信 するトレンド情報は、都島から日本全国へと波及 し、美容業界全体の成長を支えています。
磯じまん株式会社
私たちが大正15年に初めて発売した商品は「磯じまん」。それは、今でも私たちの社名となっています。これは、商品に自信があるから、できること。伝統を大切にしているから、できること。私たちはこれからも、磯じまんです。
磯じまんの佃煮は、創業以来、変えないことがある、続け. 変えないこと、それは100% 国産海苔を原料とすること。 続けていること、それは海苔を贅沢に使う製法であること。 こうして創業以来、守ってきた味が、磯じまんの伝統の味です。 それは海苔佃煮の正統の味です。
冨久屋
河合刷毛ブラシ有限会社
冨久屋
昭和27年(1952)都島で開業。「母恩慈」「毛馬 の水門」「青湾」「櫻の宮の櫻」など、都島の名所・旧 跡にちなんだ和菓子が都島みやげとして人気で す。とくに「蕪村もなか」はオススメ!
河合刷毛ブラシ有限会社
創業安政3年(1856)の老舗で、知る人ぞ知 る刷毛ブラシの専門店。刷毛・ブラシ・書道筆な ど、こだわりの逸品からデイリーなものまでな んでも揃います。とくに「なにわ刷毛」は大阪府 知事指定伝統工芸品にも指定されています。
農業用水門
かつて都島一帯は田園が広がって、井路川と呼ば れる農業用水路が淀川から寝屋川方面に幾筋も 流れていました。水門は水量を調整する施設で、 洪水の防御など必要に応じて開閉していました。 この水門は、都島が淀川の恵みを受ける、ゆたか な田園地帯であったことの象徴として、近くの旧 家に残されていたものを昭和49年に都島本通 交差点の緑地帯に整備復元したものです。
鵺 塚 (ぬえづか)
平安末期に、御所に毎晩のように黒煙とともに不気味な鳴き声が響き渡って、帝が恐怖のあまりに病に伏せるという奇怪な出来事が ありました。そこで弓の名人・源頼政が、妖怪退治で有名な先祖・源頼光より受け継いだ弓で待ち伏せて、いつものように不気味な黒煙 が覆い始めたときに矢を射ると、悲鳴とともに何かが地上に落ちました。近づくとサルの顔、タヌキの胴体、トラの手足、ヘビの尾で 「ヒョーヒョー」という気味の悪い声で鳴く妖怪「鵺」(ぬえ)で、頼政の家来が取り押さえて、とどめを差しました。鵺の遺骸は京都から 淀川下流に流されて、この地にたどり着き、祟りを恐れた村人たちは母恩寺住職に弔ってもらい、鵺塚を建てました。明治時代に鵺塚 は取り壊されかけましたが、鵺の怨霊が地元住人を悩ませて、慌てて鵺塚が修復されたという伝承もあります。また、鵺は大阪の水辺 と縁が深く、人智を超えた力のある存在として、港を支える役目を担ってもらおうと現在、大阪港の紋章デザインのモチーフとして使 われています。
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美智子
は平成12年(2000)に完成した東横堀川水門は、道頓堀 川水門と対になっている閘門です。①門の前後で水面の 高さが違う時に水門内で水位の調整を行い船舶を航行さ せる、②大雨や高潮で水位が上昇する時は水門を閉めて 浸水被害を防ぐ、③潮の干満を活かして門を開閉して水 質
をきれいにする、という役割があります。水門が開閉す るときに船の信号がわりに出る噴水は、大阪市章「みお つくし」のかたちをイメージしてつくられたそう