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天保山運河と上潮樋門&船溜まり |
海遊館で賑わう天保山の近くに、こんな運河が有るなんて大阪人でも多くの人が知らないかと思います。大阪港内湾運河には至る所にこんな船溜まりがあります。
橋を渡り見渡せばこんなに綺麗なところがあるんです。 |
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千歳橋と大正内港 |
大正内港(たいしょうないこう)は、大阪府大阪市大正区に位置する人工港湾であり、大阪港の一部をなす。沿岸部には多くの工場が立地している。
大阪市西区、港区と大正区との境界を成しながら南西に流れる尻無川(淀川水系下流の分流)が大正区鶴町4丁目付近で大阪港と大正内港に分かれる。大正内港に入ると、途中福町掘を分けるが、その後合流、木津川運河に注ぎ、同じく大阪港に注がれる。
1940年代前半まで、大正区の土地の大半は海抜0メートル以下にあった為、昭和9年(1934年)9月21日には室戸台風が襲来し、大正区のほとんどの土地が冠水、当区は死者119人(行方不明者を含む)、被災者123,000人、建物の浸水等被害22,535戸にも及ぶ甚大な被害を受けた[1]。また当時は、付近に貯木場が集中していたので、貯木場から流されてくる丸太により、道路が塞がれ、建物が壊されるなど、多くの被害を受けた。その後も、昭和20年(1945年)の大阪大空襲により区の大半を焼失し、昭和25年(1950年)のジェーン台風による被害(大正区の83%が約1.9メートルの高さまで浸水、被災者は区民の96%に当たる57,000人で、行方不明者を含めて死者は13人、建物被害は10,654戸[2]。)など、大正区民はたびたび起こる高潮や戦災に悩まされていた。そのため、大阪港復興計画の一部として、大阪港に注ぐ河川の拡幅や大正内港化が昭和22年(1947年)に決定された。掘り起こした土砂で大正区を全面的に盛り土し、区画整理する工事が同年に開始され、昭和50年(1975年)には完了した。この工事の際に、大正運河に連絡していた貯木場や材木市場は閉鎖され、住之江区平林に移された。この頃、港区では同じくして弁天埠頭が完成した。 |
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港大橋 |
大阪市港区(大阪港・天保山地区)と住之江区(大 阪南港・咲洲)とを結ぶ全長980メートルのトラス 橋です。中央径間510メートルは日本最長で、世
界でも第3位の長さを誇ります。上下2層のダブル デッキになっており、上段が16号大阪港線、下段 が5号湾岸線です。橋下を4万トン級の大型コンテ
ナ船でも航行できるように、海面から桁下まで50 メートル以上の高さを確保しています。昭和49 年(1974)建設で、土木学会田中賞を受賞してい
ます。また1995年の兵庫県南部地震の影響で耐 震連結装置に損傷が発生したので耐震補強工事 を実施。最新技術を駆使してコスト削減にも成功 し、2007年に2度目の土木学会田中賞を受賞し
ています。 |
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千歳橋と鶴町住宅 |
鶴町
明治30年(1897)から始まった大阪市の築港計
画の埋め立てで造成され、大正8年(1919)3月に
鶴町として誕生しました。町名は聖武天皇時代の
難波宮近くの光景を田辺福麻呂が詠んだ「潮干れ
ば 葦辺に騒ぐ 白鶴(百鶴とも)の 妻よぶ声は 宮
もとどろに」(万葉集)が由来です。 |