淀川区の十三といえば、キタやミナミと並び称される歓楽街…だけではありません! いつもの横丁を曲がってみれば、こんなところに熟練・凄腕の職人さんが! 夜の帳に 薄ぼんやりの赤提灯ではなく、きらりと光る名人芸で、あなたを酔わせます。
▲十三大橋の案内碑   ▲交通安全地蔵
今回は十三の中心となる国道176号の十三交差点が出発点となりますこの交差点から西に延びる 十三フレンドリー商店街へと入っていきます。
▲十三フレンドリー商店街振興組合 
十三といえば、大阪でもキタやミナミと並び称される歓楽街ですが、昼と夜の顔が対照的な街でもあります。十三フレンドリー商店街は、昼の顔の一翼を担っており、そんな十三へのアクセスとして利用される阪急電鉄神戸線、宝塚線、京都線の合流駅になっている十三駅の西側、国道176号線を越えたアーケード街の入口にある商店街です。平成8年に改築したモダンなアーケードと平成9年に整備した自然石舗装の中で、ファッション雑貨や飲食店を中心に約50店ほどが営業しており、昔ながらの洋品店などに混じって、新進の花店ケーキ屋さんが立ち並び、何とも趣のある風情をかもし出しています。 是非とも一度、私たちの商店街にお立ち寄り下さい。 と十三フレンドリー商店街振興組合は話しておられます。
この商店街と十三バイパスの交差するあたりに樽加商店さんがあったようなのですが今回見つけることができませんでした。
 ▲十三フレンドリー商店街振興組合   ▲樽加商店はこのあたりだったでしょうか
商店街から少し入ったところに古い佇まいで、店先には 桶板などが天日干しされ、ショーウィンドウ に、桶、櫃、半切りなどが並んでいます。「1枚1 枚の木を、カマ(木の定規)にあてて、外の光に すかして勾配がピッシリと合うまで削ってい く」とは、この道50年以上の2代目店主。さまざまな種類のカンナやノコギリが 約100種。「長いこと安心して使うてもらいた い」と竹クギも手製、接着の糊は化学糊ではな く、ご飯を練って作ります。(現在は見つかりませんでした。)
 この商店街と十三バイパスの交差するあたり、商店街の北側に長安寺があります
富坂賢太郎歌碑(長安寺境内) ▲商店街の裏通り
富坂賢太郎歌碑(長安寺境内) 古着商を営みながら歌に生きた富坂賢太郎 (1891~1962)の歌碑(1968年「あけび歌 会」建立)です。兵庫県出石郡出身で昭和2年 (1927)に、十三で古着商を起こしました。家 庭も仕事も苦労の連続、空襲で店が全焼、本人 も大晦日の夜に商売で奔走中に交通事故で亡 くなるという薄幸の人生でしたが、どんなこと があっても絶望せず、だまされても人を信じた という賢太郎の歌は格調高く、訪れる人の心に 灯をともしてくれます。 「扉をあけて 阿弥陀如来も みそなはせ う き世の春の 花のさかりを」
 商店街から一筋下がって南側の通りを東に向かうと平和地蔵が祀られています
平和地蔵   ▲第七芸術劇場入口
 平和地蔵からもう少し東へいくと通りの南側に▲第七芸術劇場があります
 ▲第七芸術劇場のあるビル
▲十三交差点
ふたたび十三交差点に戻り十三駅前西商店街に入っていくとすぐのところに見返りトミー君があります そのまま駅の横を抜けていきます
▲見返りトミー君   ▲阪急電車:十三駅
 波平通り   (十三駅前西商店街)
阪急十三駅西口徒歩8秒(!?)にあ るのが、通称「波平通り」で親しまれ る十三駅前西商店街。その頭上にそ びえるのが「鉄腕アトム」と「波平さ ん」を合体させたシンボルマーク 「鉄腕波平」。かつて十三の露店で人 気を呼んだ「鉄腕波平」人形をヒン トに、また「手塚治虫は北野高校出 身」ということで、商店街が手塚プ ロ、長谷川町子美術館からOKをも らい、大阪市にも日参して難産の末 に生まれました。「波平は、並平。特 別の人やない、庶民の並平さんに愛 されて、十三の玄関口として、次代 に誇れる商店街にしたい」と居酒屋 の大将で画家の堀口博信さん。大阪 じゅうの並平さんも、サザエさん も、いらっしゃ~い!
阪急電車の下を通ります ▲商店街を直進 ▲車道に出た左に神津神社
神津(かみつ)神社
十三の道標 十三戎社
神津(かみつ)神社
江戸時代には「小島の八幡神社」と呼ばれていた 十三の氏神さん。中津川(新淀川)のほとりは何度となく合戦場となったので、弓矢の神様・八幡 大菩薩を祀って戦勝祈願したと言われていま す。戦後は商工業が盛んになってきたので、今宮戎神社から分霊をいただいて「十三(とみ)戎」を 合祀しました。また毎月13日には地元のタウン誌『ザ・淀川』が関わる「十三市(じゅうそうい ち)」と「よどがわ川柳」が行われます。野菜、骨董 品、雑貨など、お買得品がいっぱい。(十三市は8 月13日と雨天時は休み)。
 神津神社を車道を出て東へ進み、淀川区役所を過ぎて3本目の東北角のブロック塀の中に島左近、島道悦の墓所がの中にあります。そして次の信号が能勢街道の交差点です。南の角には能勢街道の碑もあります。
島左近、島道悦の墓
能勢街道の地図 大阪・中津方面(南)から来た能勢街道
島左近、島道悦の墓
関ヶ原の合戦で石田三成の軍師とし て活躍し、あわや徳川家康の本陣に 迫るかと思われた瞬間に、小早川秀 秋の裏切りで討死にした島左近の墓 です。左近は合戦直前に2人の娘を 乳母の知人のいる木寺村(現・木川 東)に隠し、娘のひとりは大坂天満宮 へ嫁ぎ、もうひとりは土地の有力者 と結婚して、中津川治水事業に命を かけた島道悦の母になりました。墓 は子孫が建立したものです。  
 さらに東へ進むと通りの北側に猪飼弓具店があります
能勢街道の碑 猪飼弓具店
猪飼弓具店
昭和16年(1941)に戦国時代からの 京弓の伝統を継ぐ19代柴田勘十郎に 弟子入りして、滋賀県で弓師として独 立した猪飼秀重さん(2010年現在で 93歳!)が、昭和32年(1957)に十三 で創業しました。大阪唯一の弓具専門 店で社員6名、家族を含むと10名が 弓道有段者です。「弓道に関すること なら何でも聞いてや」(英一社長)と高 校生からシルバー世代まで、大阪府一 円の弓道愛好家が出入りしています。
ふたたび戻って能勢街道を北へ進みます
北へ向かう能勢街道 猪飼弓具店での買い物帰り
 折れ曲がった能勢街道を進んでいくと阪急電車能勢街道踏切道へ出ます。この踏切の北側に山井かつら店があります
阪急電車京都線:能勢街道踏切道 山井かつら店
 阪急電車能勢街道踏切道から南へ下り本町商店街西口を西へ折れます。ここがつばめ通り(十三東本町商店街) です
▲つばめ通り(十三東本町商店街)
北岡神祭具店
神棚から社殿まで「手のひらに乗 るようなものから、体が入るよう なものまで作っています」と北岡 和彦さん。戦後の混乱期に工業高 校に通いながらお父さんの仕事を 手伝って、この道60年のベテラン 宮師です。妻のカヨさんを秘書役 に、神鏡台、ぼんぼり、燈台、玉串 筒、神棚、灯籠、手水舎、地蔵堂、大 鳥居など、製図から細部の彫刻ま で、すべて一人で手がけています。 
 つばめ通り(十三東本町商店街)
朝夕は通学路、昼は主婦の井戸端会議で賑 わうのが「つばめ通り」こと十三東本町商店 街。米屋、果物屋、酒屋、布団屋、喫茶店、古本 屋、貸スペースなど、昭和30年代の佇まい と空気感が残っています。毎年、南国からツ バメが帰ってきてヒナを生み育て、また巣 立っていくので、この愛称がつきました。春 には地元のお医者さんが作った「つばめの ピーチャン」の歌が流れ、毎月13日は「十三 の日」で大売出しも行っています。
 まっすぐに進んでいきますと踏切の一つ手前の北角に柿渋西川があります 
(株)大阪西川
(株)大阪西川 元禄時代に京都伏見で創業。「大正 末期、祖父の代に十三に店を構えま した」(現取締役社長・西川道雄さ ん、妻・雅子さん)という大阪府内唯 一の柿渋店です。「柿渋」(かきしぶ) とは、渋柿の天然果汁。古来、民間薬 や天然塗料、酒類の清澄剤、防虫・防 水・防腐剤など、さまざまな用途に 使われてきました。愛媛、岐阜、京都 などで渋柿を採取、搾汁して自社蔵 で何年も発酵・熟成させると、琥珀 色の上質な柿渋が誕生します。天然 のポリフェノールが豊富で、近年は 健康飲料としても注目されていま す。また柿渋染めの手作り小物など も好評です。 
 そのまま踏切まで進んで左折すると十三東駅前商店街に入っていきます そのまま商店街を直進すると阪急電車:十三駅です
 十三東駅前商店街
 
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 美智子  
は平成12年(2000)に完成した東横堀川水門は、道頓堀 川水門と対になっている閘門です。①門の前後で水面の 高さが違う時に水門内で水位の調整を行い船舶を航行さ せる、②大雨や高潮で水位が上昇する時は水門を閉めて 浸水被害を防ぐ、③潮の干満を活かして門を開閉して水 質をきれいにする、という役割があります。水門が開閉す るときに船の信号がわりに出る噴水は、大阪市章「みお つくし」のかたちをイメージしてつくられたそう