10月30日(金)
ポチがサスケクリニックの診察を終えて戻るのを待って、忘れ物のないように確認をして四万十号を走らせました。
人は「えっ〜軽自動車で〜?群馬までー」と驚きますが、ベンツでもワゴン車でも軽自動車でも、目的地に到着するという役割はちゃんと果たせてくれます。名神、中央道、長野道、中越道を休憩を取りながら「松井田妙義IC」を出て目的地の道の駅「みょうぎ」には午前3時11分に到着しました
10月31日(土)
午前5時すぎには目が覚め車の中で朝食を摂ることにしました。標高430メートルの道の駅「みょうぎ」の外気温は5度、ブルッと身震いがするほどです。登山用の駐車場には後から後から車が入ってきます。11月3日は紅葉祭りとあって今がこの地方のシーズン真っ只中の様です。天気も申し分のない晴天です。コックピットの中の朝食を終え、身支度を整え午前6時40分に妙義神社登山口をスタートすることとなりました。
白雲山一帯
白雲山、金洞山、金鶏山の三つの山からなる妙義山は、四国小豆島の寒霞渓、九州大分の耶馬溪と並んで日本三大奇勝の一つと云われ、又群馬県を代表する赤城山、榛名山、と並び表されて上毛三山と呼び親しまれています。石門郡、大砲岩、ローソク岩、不気味な穴が開いている星穴岳など奇岩、奇石が織成す大自然の造形美は見る者に深い感銘を与えてくれる。そんな妙義山の紅葉に魅せられての今回の登山となりました。
30メートルのロープ2本にクライミング道具を装備として安全登山に挑みます。
今日のコースを「表妙義コース」と言い妙義神社から白雲山頂から大天狗、相馬岳から茨尾根、女坂分岐を経て鷹戻しの頭から中之岳から中之岳神社に下りて妙義神社にもどるコースを取る予定です。
山は紅く黄色く色付き、松の緑と空の青さが応援隊となり、頻繁に現れる岩場の鎖も快適に通過でき「大の字」には1時間もかからないペースで到着です。前は勿論ですが後ろを向いても「絶景やな〜」の連発です。30メートルのロープを持参していますので懸垂下降もしたり、とにかくロッククライミングの穴場の様なルートでワクワクと胸がときめき続いていました。妙義山のひとつ「白雲山」山頂には9時5分に通過、天狗岩、相馬岳(1104メートル)には多くの人達が腰を下ろしていたため我々は通過する事にしました。相馬岳からは初級コース、中級コースも合流地点となっているようです。時間も10時30分とまだ弁当には早いため茨尾根の下りへと進むことにしました。地図に「ザレた山腹」「落石多し」と書いてあり落石を起こさぬ様に細心の注意をしながら下ることにしました。
見晴らしで思わずバンザイ
突然、上の方から「ラクーッ!ラクーッ!」と大声がして谷筋を赤ん坊の頭ほどの大きな石が3個ほど落ちていきました。「あれが当たったらヘルメットかぶっていても死ぬなぁ」と言いながらとにかく危険地帯を一秒でも早く抜けなければなりません。ジョン、ポチ、姫の順に下りていたその時、同じ登山者の大声で落石を知らせる声が響きました。とっさに落石を避ける状態で木の枝につかまったのですが不安定な足場とリュックの重みが右肩にかかり宙吊りになってしまいました。「やられたっ」一瞬の出来事ではありましたが肩の激痛で骨折か脱臼であることが素人でもわかりました。落石を起こした登山者の特定が出来ず、宙吊りになったことは自己責任故に、足場の悪い中での応急手当がはじまりました。ジョンは若い頃に柔道を経験していて脱臼も何度も体験しているようで抜けた肩を元に戻そうと努力をしてくれましたがどうにもなりませんでした。プライベート登山と言うこともあって三角巾の携帯もなく悔やまれて仕方がありませんでしたが、シュリンゲやジャンバーなどを使って三角巾の代用をすることができました
「下るか登り返すか」の選択に下りのコースの「ホッキリ」通過は足場も悪く鎖場も多いことから登り返し「国民宿舎」に抜ける裏妙義コースを取ることにしました。ポチがロープを上で引っ張りジョンが後ろでサポートの形をとって登り返しました。1104メートルの相馬岳のほぼ並びにいて、ここからの下山は気の遠くなるほど。それに加えて痛みが加わり、10歩進んではうづくまり、また歩くの連続でした。途中で4人のヘルメット装備の登山者に出合いましたが手助けの声掛けはなく、むなしく横を通過していかれました。長い鎖場は左手だけでハーネスにかかっているシュリンゲのテンションを信じて、それはもう今思い出しても震えのくるほどの恐ろしさです。2時間を過ぎた当たりから激痛が走りロキソニンを服用するも「もう歩けない」と弱音を吐きたくなる時もありました。「一歩でも前に足を出せば必ず到着する」と言うジョンの励ましの声を頼りに国民宿舎の屋根がみえるところまで下りてきました。「あとどのくらい?」「あと1時間はかかるぞ」この1時間は本当は30分ほどでしたが私に長めに言うことで到着したときの喜びを味あわせるための励ましの様でした。10歩進んでうづくまる回数が、5歩進んでうづくまるに変わり額からは冷や汗が流れ落ち続けていました。体力の限界です。土曜日と言うことと土地勘がないことでポチに先に国民宿舎に走り救急車の要請をすることにしました。有に3時間30分、痛みとの闘いで下山したことになります。

国民宿舎「裏妙義」の位置は群馬県安中市松井田にあり山の中のため救急車の出動も20分以上かかるのですが、ポチが先に走り救急車の要請をしていましたので10分ほどでサイレンの音が妙義山にこだまし始めました。「来たね」そう安堵してからも長い時間が経過した様に思いました。救命救急員の方が「歩けますか?」と声をかけてくれたときに「助かったんや〜」とヘナヘナと腰の抜ける様な気分がしました。ジョンが付添い、ポチはタクシーで駐車場まで行き四万十号で病院にくる手はずになりました。携帯電話の電源確認とアンテナ確認も良好です。救急車の中から収容先の病院に電話をするのですが「受け入れダメです」「じゃあ次のここはどうや」「ここもダメです」これが問題の診療拒否かと思い「あのぉ受け入れ先がない場合はどうなるのですか?」と訊ねると「大丈夫ですよ近い場所から探していて、どんなに遠い場所へでも搬送しますから安心して下さい」安中消防署郷原分署の高橋救命救急士はやさしく声をかけ続けてくれました。運転役の方は震動を避け、助手席の方は受け入れ先への電話と必死に動いて下さいました。5軒目の群馬県富岡市富岡町「公立富岡総合病院」で受け入れてもらえることになりました。「緊急を要するので高速を使います」所属の消防署へ無線で連絡後、初めてサイレンを開始しました。
救急車の中では状況の聞き取り、血圧測定、脈拍測定の器具がはめられ移動中の体調の変化を、しっかりと確認しながら私への声掛けは忘れませんでした。「もうすぐ高速出口ですよ」「あと5分ほどで着きますからね」「この病院は公立ですから安心できますよ」

救急車からの連絡で病院では車椅子を準備して待機して待ってくれていました。妙義山の頂上から自力で下りてきたことに医者は驚きの表情を見せました。付添のジョンにも説明があり脱臼を治す方法として
@10キロの負荷を自力で持ち治す方法。
A医師が力任せに引っ張る方法、
B全身麻酔で治す方法(入院)
の3通りがあり患者の痛みの少ない負荷をかけた方法からやってみましょうと言うことになり、まずはレントゲン撮影となりました。医師である「松原圭介先生」も一緒にレントゲン室にやってきて「完全な脱臼です。いまからここで治療をはじめます」腰につけたハーネスを見て「本格的な登山ですな」と装備で、にわか登山者でないことを評価してくれました(怪我したら一緒かなぁ・・・・)
ベットにうつ伏せになり右手に10キロの重りをぶら下げて肩を入れようとしましたが「この人は、筋肉質で初脱臼にもかかわらず入らない」たいがいの人はこの方法で治るらしいのですが私の場合は、うまく行かず医師が力任せに引っ張る方法を取ることになりました。「痛いけど我慢できるかな?」入院だけは避けたいと思っていましたので「大丈夫です。3時間半の下山の痛みに比べたら何でも耐えられます」と言い、歯を食いしばりました。レントゲン技師1名、看護師1名に身体を押さえられ医師が右脇の下に足むを入れ、力の限り引っ張りました。うなり声は廊下で待つジョンにも聞こえたそうです。「ボキッ」と言うたか「ポキッ」と言うたかは定かではありませんが2度の手応えがありました。「よっしゃ〜もう一度レントゲン撮ろう」その結果、一部不完全箇所が残り、再び押さえつけられて完全にもとの戻していただきました。この頃にはポチも車で駆けつけて来ました。旅先の事ゆえにと言うことで3万6千円の自費払いは後日保険証扱いにしてくださった上に、レントゲン3枚をロムに焼き付け、紹介状をつけて大阪の病院にかかるようにとの事でした。耳元で囁く看護師さんの「よかったですね。松原先生は、この病院でナンバー2なんですよ」のやさしい笑顔にナースの鏡を見せてもらい、とても安堵した次第です。この夜は道の駅でテント泊の予定でしたがアクシデント発生のため、国民宿舎に連泊することとなりました。国民宿舎の粋な計らいで一般客の入浴が終了後、入口に鍵をかけてポチとジョンに一諸に入ってもらい、下山時に流した冷や汗をきれいに洗ってもらいました。