その14

坂出から帰った一刀水は入退院を繰り返すようになっていった。正月を目前にしたある日、美智子は病院を訪れた。
「お兄ちゃん明日退院だってね。おめでとう」
「アホか。全然めでたくないわ。顔で笑っていてもなあ、俺の心の中がお前にはわからんやろ。切ないんや」
その一言に、涙がとめどなく溢れた。一刀水も泣いていた。そうしてお互いが立ち直るのにしばらく時間を必要とした。

退院には二通りの種類があり、全快しての退院と、医者から見放された退院がある。一刀水は後者であった。
7年ほど前になるが、美智子の姑も医師から「畳の上で死なせてやって下さい」と退院を迫られたことがあったが死と直面するとことは辛いものを感じずにはいられなかった。
今、私に何が出来るのか。なんとかして一刀水の力になりたい。一刀水が「生きていて良かった」と言って、人生の幕を閉じられるようにしてあげたい。そう思うのでいっぱいだった。
お義兄ちゃん。頑張らなくてもいいから楽に生きて。そう願わずにはいられなかった。


2003年。年が明けて間もない1月15日のことだった。
義兄一刀水の妻和代から美智子に電話がかかってきた。病人一刀水がわがままについてのぼやきである。感謝の気持ちがない。病人より自分のほうが参っている。その事について娘も息子もやさしい言葉がない。経済的に苦しいなど。2002年の暮れに病院から帰るとき「あと3ケ月くらいですよ」と医師から死の宣告をされていたが、そのことまで本人には伝えていなかった。比較的小康状態の義兄は、姉の言うとおり少々わがままであるかも知れない。しかし美智子はそのわがままも病気のうちと考えていた。「あんたは一緒に住んでへんから、お兄ちゃんの肩ばっかり持つ!」とわめく姉に、じゃあ今、そっくり病人の立場を入れ替えたらどうや。同じことを要求するのではないかと諭すが感情が高ぶっているので始末におえない。
よくよく聞くと天皇陛下が前立腺癌になり治療の目安となっていたところに、同じ病気の深作欽二という映画監督が前立腺癌で亡くなり動揺しているらしいということである。
他人の病気や死を自分に置き換えることはない。いちいち病人の言うことを100%聞かず聞き流す訓練をするようにと言って強引に電話を切った。
私は病人のためにどうしてあげられたか、生きている間に、ひとつでも多くの思い出を共存できるかでいい旅立ちができるのではないかと思う。人は不謹慎というかもしれないが一刀水の旅立ち葬送曲は村田英雄の「男の一生」を一刀水自ら歌ったものを流して旅立たせてやりたいと思い計画を練っていた。 


2月にはいって底冷えのする日の午後だった、自宅療養を続けているものの最近は高熱が続いているという一刀水を見舞った。この日も姉は外出していた。
「今日は調子が良いんや」
「良かったわね。高熱続きやって聞いてたから心配してたんやけど、安心したわ」
「まあ、こういう日もないと病気も大変やで」
「調子の良い時には動いたらええやんか」
「うーん。ところで今日は早よう帰らんとあかんのか」
「いいや。旦那も出かけてるし電車が有る間やったらええよ」
「そうか。ほな陽が暮れたら出かけようか」
「どこに行くん。まあええわ。行ってからの楽しみにしとくわ」
「そうし。楽しみにしとき」


その日の夕方、暮れなずむ町を美智子は一刀水をかばう様にして歩いていた。しばらく家で横になる生活が続いたので足腰が弱っているようである。歩道の小さな段差を上がるのも大変な感じだった。夕方の買い物客でごった返すスーパーの近くを通るのを止め、少し遠回りではあったが遊歩道を通って駅前を目指していた。
時折立ち止まって肩で息をしている。相当苦しいのかもしてない。
「どう、痛む」
「いや、なーんちゃこっちゃない」
「ゆっくり行こう」
「うん、その角を曲がったところやから」
「もうじきやね」
「うん、でもまだやってないかも知れへんなあ」

二人は串木野の前で止まった。
「ちっとドア開けてみてくれ」
「開かん、まだ早いんとちがう」
「そうか。まだか」

店の前でそんなやり取りをしている時だった。
「ごめんなさーい。遅くなっちゃった。いらっしゃい福田さん。すぐに開けるわね」
大きな荷物を小脇に抱えた女将の姿があった。
女将は見せの灯かりを点けると二人を招き入れた。
「少しだけ支度をさせてくださいね」
二人の声を掛けると小気味の良い動きで段取りをこなしていった。
「お久しぶりね、お元気でした。お体の具合はいかがですか」
「うーん。一進一退というか。一退一退というところやね」
「またそんな冗談をおっしゃって」
いつものように、一輪の花が生けられた小さな水盤がそれぞれの前に置かれた。
一刀水の前に赤い実をつけた南天の小枝。美智子の前には花梅の小枝が生けられていた。
「はじめまして、ようこそいらっしゃいました。氷室説子です」
腰を二つ折りに屈めて挨拶する説子に対し、美智子も立って礼を返した
「鮎川美智子です」
「よくいらっしゃいました。妹さんの話はよく伺ってましたのよ」
「ありがとうございます」
「ビールでよろしいですか。ビンしか置いてませんが」
「ビールをお願いします」
オーダーを聞くといつものように軽やかな身のこなしで用意をすすめていった。

「今年になって初めて外に出たわ」
「そう、良く無くて」
「うん、ちょっと高熱が続いたんで」
「そうですか。それで今日は宜しいんですか」
「今日は朝から気分が良かったから、連れて来てもらいました」
「顔色も良く、お元気そうですね」
「うん、とにかく此処に来たかったけど体が動かなくてね」
「ご無理なさらないで」
「うん」
去年の何時頃からか積もり積もった話をした。近場の温泉めぐりをしている話、坂出の宿舎を引き払った話、篠山の味祭りを楽しんだ話など矢継ぎ早に話していった。
「この妹がいろいろ連れて行ってくれるんで喜んでいます」
「そうですか、良かったですね」
「うん。蒜山に行ったときに此処に連れて行く話をしたんやけど、今日になってしもうた」
「蒜山のお話は伺ってませんわ」
「そうだった。たしか去年の春やったからなあ。もう10ヶ月ほどなるわけやなあ」
「そんなに経つかしら。そんな感じはしないけど」
「そんな感じはしないね」

話が弾んでいる最中だった。女将はやわら引き出しを開けると一冊の本を取り出し表表紙に見入っていた。其処に刷られている活字と美智子の顔を見比べながら2度3度と目を追っていた。
「やっぱりそうだ。そうですよね。この本の主人公貴女ですよね。美智子さん」
「そうです。お恥ずかしいですけど」
「やっぱり。其処にお座りになってからずーっと気になっていたんです。気になっていたんですよ」
女将は本を胸に抱えると少女のように喜びはしゃいでいた。
「ご苦労なさったんですね。まさか妹さんがヒロインだったとはね。福田さん何―にも教えてくださらないんやから」
「たいした話じゃあないよ」
「そんなことはいわよ」
「げんに福田さんだってそれなりに幸せなんでしょう」
「うん、この子のおかげで幸せな日々を送らせてもらってます」
「そうでしょう。だったら『たいした話じゃあない』なんて言わないの」
「ごめん」
「解ればいいのよ。ねえ美智子さん」
「大丈夫です。義兄の憎まれ口は昔からなんですよ」
「そうね。此処でも随分憎まれ口たたいてたわ」
「二対一じゃあ勝ち目は無いね」
ひとしきり盛り上がったあと
「何か歌っていただけます」
「えっ、私ですか」
「そうですよ。本の中で歌われている場面が心に残ってますの」
「此処カラオケ置いてた」
「置いてますよ。でもあまり好きじゃあないから殆ど使ってませんの」
「何処にあるの」
「機械は本体は裏においていますの」
「へー、知らなかったなあ。此処で歌っている人をみたことないよ」
「ときどきはね歌ってますよ」
 
この夜は気分がいいのか、病状が和らいでいるのか次から次へと歌っている。
それに負けじと美智子はひばりの曲のオンパレードだった。
女将も記念の夜に一曲歌ってくれた。
一刀水が席を立ったとき、そっと女将に聞いてみた
「テープに録音すること出来ますか」
「出来ますよ。あまり使ったことがないけど大丈夫だと思いますよ」
「ぜひお願いしたいのですが」
「わかりました」
女将は一刀水が手洗いから戻る間にセットしてくれた。
「CD-ROMに録りますので後でカットしてくださいね。2時間連続で録りますから」
「はい大丈夫です。ありがとうございます」
「何かにお使いなの」
「義兄の葬送に流そうかと思いまして」
「それは名案ですね。素敵だと思いますよ」
「宜しくお願いします」

好きな曲【月の法善寺横町】【男の一生】【南国土佐を後にして】等を含む10曲録音した。思い出の曲としていつまでも保存しておきたいと思うのと同時にお別れの曲として使いたいと考えている。
一刀水も編集が終わった曲を聴きながら「儂が死んだらこれかけて送ってくれや」と言うほど気にいって
いた。