【その12】

2002年の春、一刀水の従兄弟達との再会が実現することになった。義兄一刀水の病気をきっかけに一つでも多くの思い出をつくろうと美智子が頼んで企画してもらっていた。
従兄弟の健一は音楽教師の奉職を全うし、定年退職後は此処蒜山の高原に音楽スタジオを兼ねた丸太作りの別荘をつくり、月のうち半分は本宅で暮らし残りの半分を此処で音楽活動を続けていた。
テラスに設えた大きなテーブル。その辺りを開拓するにあたって切り倒した材木で作り上げたものだった。その上に並ぶ料理の数々。タラの芽、コシアブラ、ヨモギ、などの山菜に加えて多くの畑野菜が並んでいる。それらの量に負けないくらいの肉類。鹿肉、いのしし肉、鴨肉と食べきれないと思えるような量の肉類が並んでいる。それだけではない、イワナ、アマゴ、ヒメマスと言った渓流の恵みもふんだんに食卓にのぼっていた。
これを12人で食べるのか。従兄弟の一人は言う。
「これも一刀水に食べさせたい。これはあいつの好物やった。これも旨いからぜひ、そんなこんなで買い込んでいたらこんなになってしもうた」
「そうや。それぞれの一刀水に対する思いがこれだけ食材を揃えさせたんや。残ったら残ったでええ、頑張って食べよう」
焼肉あり、すき焼ありの豪華パーティがはじまった。
「ちょっと待って」
オーナーの健一はやわら電動カンナを提げてテラスにたった。何をするのかと思いきや
「そんな俎板の上でで切った物を一刀水には食べさせられん」
そう言って、分厚い一枚板の俎板に電動カンナを走らせた。ブウーンという音とともに木屑が飛び出ていく。見る見るねずみ色の古板は新しい木目を現していった。
「綺麗になった。これで良いやろう。一刀水よ、これでええやろう」
「おおきに、おおきに、気を遣わせてすまんなあ」
「これくらいせんとお前の親父とお袋に合わす顔がないけんねえ」
「おおきに。いただくわ」

まだ陽が高いというのに蒜山の森が突如賑やかになった。
健ちゃんの計らいで何十年ぶりかの出合だと言う従兄弟達も集合していた。
一刀水に「小さい時に泣かされた」という従妹、「子守の間にお尻をつねられた」という従弟の話しなど語らいは一刀水を中心にはずんでいった。
テラスから大山や烏ケ山をみながらのバーベキュー。それぞれに酒の量が進んでいった。一刀水はアルコール類を一滴も口にすることは無かったが陽気に振舞い自ら話の輪の中に飛び込んでいた。
それぞれに思い出話に花が咲く。
健一はグラスを片手に遠い昔のページをめくるように語っていた。
健一は苦学生の頃、夏休みになると高知を訪れ、夏休みの間、美智子の両親もとに滞在していた。
「お前の親父の道義は鬼みたいな人やったぞ。ワシをあさ5時にたたき起こすんや、それも毎朝、晴れていようが雨が降ろうが同じ時間に叩き起こされたんや。小さな小船を操って四万十川にウナギ漁に出かけるんや。コロバシにしかけておいたウナギを獲りにゆくのが仕事やったんや。まだ若い頃やし眠たいときや。ワシはこの家の「奴隷」かと思うほどに働かされたわ。何の恨みがワシに有るんやと思うほど働いた。まあ、ただ飯食ってるんやからしょうがないかと思うようにしていたけど、割り切れんもんがあったなあ。それがなあ。夏休みが終わりに近づく頃や、高知を後にする日、お前の親父の道義はウナギを売ったお金の全額をワシに持たせてくれたんや「お前が一生懸命働いた金や大事に使えよ」と言って握らせてくれたわ。金額は覚えとらんけど、サラリーマンの一か月分の給料以上は有ったと思うわ。その瞬間一ヶ月の苦労は全部吹っ飛んでしもうた。でもなあ人間て面白いもんやなあ。次の年にまた行って同じようにウナギ漁や投網漁をするんや。また奴隷の日々と思ってしまうんやなあ。夏休みの一ヶ月は道義の顔が鬼に見えるんや。そして帰る日に大金渡されて次の夏高知に来るまでは仏の道義さん。高知にいる間は鬼の道義や。そんな夏休みが4年続いたなあ。今はこうして呼び捨てにしながら話しているけど、口では言い切れんほど美智子の親父には世話になった」
「そうやったん。私ら小さかったから、お父ちゃんのことはよう覚えとらんけど、良え話聞かせてもらいました」
「なあ一刀水よ。おまんは養子に行った身やけど、福田の親父はようしてくれたやろ」
「ああ。ようしてくれたよ。勉強せんで怒られたけどな」
「そりゃあおまんが悪いよ」
その一言にテラスは蜂の巣を突っついたようになった。楽しいひと時である。

陽が落ちてしまうと山間のテラスは寒さに震えるほどになっていた。
「中でやろう」
健一は中で宴を続けるために段取りを付けていった。一人の者はテラスの火床から熾きを中の囲炉裏に運んでいる。もう一人は薪ストーブに火を入れている。食材を運び込むもの、食器を運び込むものそれぞれの動きは気持ちがいいくらいキビキビとしていた。

丸太を半割りにしたもので組み上げた大きな囲炉裏は、窮屈ながらも12人全員が座れるほどであった。
「もう呑めんぞ」と言いながらさらに杯を干していくもの。
「もう何も喉を通らん」と言いながら箸を運ぶものなど、様々な人模様が繰り広げられていく。仕事談義に花が咲き、趣味の話に花が咲く。一昔前の田舎なら年に数回はこんな光景が見られただろうに、今の社会では中々このような光景を目にすることがなくなっていた。
この空間に身を置く一刀水は病気のことなど何処か吹っ飛んでいた。
美智子もまた一刀水を此処に連れてきたことに満足をしていた。

「もう一つ良え話を思い出したわ」
健一は、グラスを片手にふたたび話し始めた。
「美智子のお母さんの話しやけどなあ。イサオさんにも随分世話になったよ。して貰った事に甲乙つける気は無いけど一番嬉しかった時の話や。東京の大学に行ってる時の事や。何で東京まで来たのかその辺の経緯はよう覚えとらんのやけど、ワシの下宿を訪ねてくれたんや、そりゃあ吃驚するし、あわてるし、何分汚い下宿で足の踏み場もない状態やった。元気なワシを見て嬉しそうに見つめていた笑顔を未だに忘れることができん。『ちゃんとご飯食べてるか』『風邪ひかんようにしてるか』『家に手紙を書いてるか』『ちゃんと勉強しているか』そりゃあ矢継ぎ早の質問やったけど嬉しかったで。丁度昼頃やったから昼飯でも食べさせてやろうと思ったんやろうなあ。『何か美味しいものでも食べに行こうか』そう言ってくれたけど、わざわざ来てくれたんやし、『其処の角に大衆食堂があるからいきましょう。ご馳走させてください』そう言って案内したんや。『ほなご馳走になろうかなあ』そう言いながら食堂の暖簾を潜ったんや。金属脚のテーブルに丸椅子が並んでいたわ。隅の棚の上にあるブラウン管の角の丸いテレビがチャップリンの映画を放映していた。それを見ながらイサオさんは『さすが都会の食堂は洒落ているなあ』と大喜びだったわ。貧乏学生のワシも表は通っていても食堂に入るのは初めてやった。親子丼を二つ頼んで食べたんや。下宿の飯と違って旨かったよ。イサオさんも美味しそうに食べてたワ。昼時で少々混んでいたけど、長話しをして別れたんや。それから何処に行ったのか、どんな予定だったのか全然おぼえてないんや。ただなあ、別れる時になあ『今日は突然来て驚かせてすまんかったね。元気そうな顔見てホッとしたよ。大学生活ももう少しやさかい頑張りや。今日は親子丼ご馳走してもらってありがとう、美味しかったよ』そう言ってくれてなあ、別れる時に千円札2枚握らせてくれたんや。そりゃあ嬉しかった。二千円言うたら日雇い労働者の日当が300円くらいの時やったから貧乏苦学生にしてみれば大金やった。ワシがご馳走した親子丼たぶん百円もせんかったと思う。それに比べたら2千円もの大金に…涙を流して喜んだわ」

健一は昔のことを回顧しているようだった。

話しにひとくぎりついたところで、少し外の風に当たろうと一刀水はテラスに出てしじまの中に浮かぶ夜空の星を目で追っていた。従兄弟達っていいもんだなあとつくづく感じていた。自分にも兄弟は多くいるが一堂に会することは殆どなかった。兄弟にはしがらみが付いて回るが、従兄弟はそれほど血が濃くないせいか、合った時は語らい、楽しむことが出来る。またしばらく音信がなくても、元気かなあと思うくらいでそれ以上干渉することは無かった。従兄弟同士にも色々有るだろうが健一をはじめとするこの従兄弟達に嬉しいものを感じていた。

そんな一刀水を気遣ってか美智子もテラスに出て行った。
「どないしたん。疲れたんとちがう」
「大丈夫や。来てよかったなあ。思ってもみんかった従兄弟達にも会えたし、思い残すことはないわ」
「良かったなあ」
「ああ、良かった」
「私なあ、小さい頃からずーっと健ちゃんのこといつも羨ましいって思っていたんよ。お母ちゃんは自分が食べるもんも食べんと健ちゃんに仕送りしとった。私ら貧乏していたのに何でっていつも思っていたんや。でも今日すっきりしたわ。健ちゃんの思い出話聞いてお母ちゃんの良えとこがよう解かった。『蒔かぬタネは生えぬ』の言葉の意味がようやく解かった気がするわ」
「ああ、お前のお母ちゃんは厳しい人やったけど、情のある人やった。まるでお前は生き写しやなあ」
「そう」
「ああ。お前には今までどんなに助けてもらったか解からん。でもな、もうちょっとたのむわなあ」
「大丈夫や。水臭いこと言わんといて」
「こんどなあ、お前を連れて行きたい所があるんや、行ってくれるか」
「いつでもエエよ。喜んで付いていくわ」
「また連絡するよ」

それ以上会話が進むことは無かった。二人とも遠い夜空に眼をやって、それぞれの心の中に生き続けている両親に思いを馳せていた。


2002年の6月。それは尾瀬ウオークの帰りだった。100名の参加者は越後湯沢の温泉で夕食を摂りお酒も進んで宴たけなわという頃だった。義父が亡くなったという訃報が携帯電話に飛び込んできた。
89歳の祖父は足の骨折で入院していたものの、よもや死に至るなどということは微塵も無かった。
しかし今どうすることもできない。今居る場所は新潟県、それも山の中だった。
急いで一刀水に電話をした。今置かれている状況を話すと
「何も心配することはない。ワシがお前の代わりをするから、それ以上心配するな。甥っ子から電話もらってからすぐに仏さんのところに駆けつけているし、ややこしい話になったとしてもワシが矢面に立ったる。心配せんでエエ、明日の朝には帰れるんやから。さっきお寺さんにお参りしてもろて枕経も無事に済んだ。仮通夜も務めておくから大丈夫や」
「お世話掛けます。よろしくね」
「何水臭いこと言うとるねん。それ以上言うな」
「ありがとう。よろしくね」
この日の一刀水は病など感じさせず毅然としていた。

姑さんの葬儀以後に持ち上がったいろいろな問題、主人の兄弟との確執など辛い日を送ったことを一刀水は忘れてはいなかった。この夜、仏さんの横に座り続け灯明をあげ続けながら美智子をこの家に嫁がせた日のことを思い起こしていた。福田の跡取りとして家督を継いだものの満足のいく嫁入り支度をしてやれなかったことに対し、いつも不憫と感じていた。この時ぐらい美智子の役に立ってやらないと福田の親父やお袋に申し訳がたたないと思い、やがて訪れてくるだろう自分の姿をダブらせながら、夜を通して仏を見守っていた。