【その7】 第三章 行動開始 医者は余命を3年と言う。 その3年は、生活を楽しむことが出来る3年なのか、それとも病魔に冒され、身動きも出来ず、生ける屍としてこの世に命を繋いでいるだけの時間を含めた3年なのか。前者なのか後者なのか。それは医師にも予知できない…神のみぞ知ることなのか。 美智子は若い頃、自宅近くにある診療所の女医に誘われて、医療の勉強に通ったことがあった。 安岡という熟年の女医は 「これからはますます病気が複雑になる、その反面、人間は楽を覚え、贅沢な食事をし、運動もしなくなる。身体に急変が起きて救急車を呼んでも、救急車が来るまで持ちこたえられない身体を持った人間が多くなってしまう。一地域に一人くらいの割合で、正しい病気の知識を持つ人間をつくっていきたい。井戸端会議的な話でもいい、確かな情報を流してくれる人を育成していきたい」 女医は信念を持って地域医療に立ち上がっていた。 美智子も女医の言葉に賛同し、女医の開く講義には積極的に参加した。 かつて美智子の長男も、成長過程において引き付けを起こしたことが多くあった。その度に舌を噛まないように、タオルを無理矢理口に入れ、町医者の扉を叩いた。それは一度や二度のことではなかった。そんなことを思い出しながら週二回、夜六時から九時までの間、安岡女医の開く講習に通った。 半年に及ぶ長い講習だったが、それによって病気や怪我と直面しても、目を背けるようなことはなくなった。近所で発生した急患を、的確に処置をして、救急車を待ち、病院に送ることも出来た。近所のお年寄りが具合が悪いと聞けば、病院探しもする。不安だから付き添ってくれと言われれば、病院まで付き添ってあげたりもしていた。 ある土曜日の昼下がりだった。 「奥さーん。おばあちゃんが倒れた、何とかして」 声も荒々しく駆け込んできた面識のない中年の婦人。 どこの誰か、とっさに判断がつかないまま住所と電話を聞き119番。婦人の後について現場に走った。百メートルほど離れた家に着くと、框の上に顔面蒼白の老婦人が横たわっている。スーパーマーケットや近くの店でよく見かける人だった。嘔吐したのか口元が汚れている。周りには数人の婦人。 「あなたとあなたは表通りまで出て救急車を誘導して」 「この道一方通行やし、どの道を入ってもらったらいいのやろう」 と動揺を隠せず、訳の分からないこと言う婦人。 「救急車はどこでも走れるの、早く行って」 少し声を荒げて叱咤しながら、指は老婦人の口の中に入っていた。異物がつかえていないか確認をする。頬を顔に近づけてみる、呼吸はある。手首を握って脈を診ると大丈夫。 「ぬるま湯でタオルを濡らしてきて」 家人に頼む。 「おばあちゃん。解る。私の声聞こえる。今、救急車が来るからね。大丈夫よ。心配しなくていいわよ」 そう声をかけ、励ましながら、外傷がないかどうか観察していく。その辺りに血痕が無いか確かめる。大丈夫のようだ。家人からタオルを受け取ると、患者を動かさないように注意をしながら顔や手を丁寧に拭いてあげた。家人に 「いつ頃倒れられたの」 「解りません。買い物から帰ったら倒れてたんです」 「病院には通っておられたのですか」 「いいえ。いつも元気でした」 「あなた一緒に乗っていく用意をして」 そしてほどなく救急車の音が聞こえてきた。 「保険証がみあたらない、どうしよう」 その家の女は今にも泣きそうな形相で訴えてくる 「今は保険証はいらないから。小銭は持っておいてね、電話代がいるから。状況は細かく電話で入れてあげてね、残っている人が心配するから」 ストレッチャーが降ろされ手際よく搬送の体制に入る救急隊員。遠巻きにする野次馬達。そんななかで美智子は状況を説明していった。 「口の中に異物はありません。呼吸、脈拍ともに大丈夫のようです。倒れた時間は解りません。現在は通院はしていないようです」 「わかりました。身内の方ですか」 「いいえ。隣人です」 そのとき一人の救急隊員が近づいてきた、いつも救命救急の講習会で世話になっている救急隊の隊長だった。 「ご苦労さんです」 そう声をかけると姿勢を正し、最敬礼をして労をねぎらってくれた。 次の日。美智子は路地の片隅で近所の婦人達を相手に救急車の呼び方や患者の症状の確認の仕方など、井戸端会議の延長のように話していた。婦人達も「どうして先に119番しなかったんやろ」「救急車って緊急時はどこでも走れるよね」などと反省しながら話を弾ませていた。これぞまさに安岡医師が望んでいた医療の辻説法ではないだろうか。 幸いにして、老婦人はたいしたことはなく、症状は貧血だった。 会社でも、引き付けを起こした女子社員の手当や、旋盤に巻き込まれ、片腕切断寸前の若い社員を搬送したこともあった。社員の健康管理には、病院や保険組合と連絡を密にして対応し相談にものっている。 癌と聞いて、恐れ戦きはしない。怖がるあまり何もしないよりは、病気を正面から受け止めて、臆することなく、見つめていくことが出来るようになっていた。 兄が癌。一瞬我が耳を疑ったが、それは紛れもない事実、どう足掻いても治すことなどできはしない。願うは只一つ、痛みに苦しみ、のたうちまわって最期を迎えることの無いように、そればかりを祈るのみだった。私の力など、たかが知れている。しかし、美味しいものを食べ、行きたいところに行き、見たい物を見て、少しでも楽しい時間を過ごすことが出来るように力添えをするぐらいならできる。妻や子供達のまねは出来ないが、妹の立場で接することは、私にしか出来ないんだから。 そんなことを自問しているうちに、これから一刀水に費やす日々のあり方が見えてくるのであった。 |
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