4月特別例会
4月2日(金)に歩いた琵琶湖疏水ウォーキング…今日は琵琶湖疏水を船で下ります
桜の花の満開の頃一度は乗ってみたいと思っていたクルーズ船に念願かなって乗船できる日がやってきました。大津を13時15分に出航して蹴上には1時間後に到着予定です。集合場所を京阪石山阪本線・三井寺駅改札口にして参加者6名勢ぞろいしました。(電車が同じなので車内で合流出来ました)

4月のリーダーはポッチー担当です。滅多に行きたいところを自分から言い出すこともなく(金魚の糞の如く、水の流れの如く)参加しておりました。しかし今では体力的にそれも無理となり歩行距離の短いコースを見つけ参加、それが「琵琶湖疎水クルーズ船」だったのです。私達の山行には滅多に無い観光ムードの企画を楽しみました。
▲京阪電車石山阪本線・浜大津駅
4月2日には同じコースを歩いてきました。その時の様子は「№1」をクリックしてご覧いただけます。その時にはサクラは満開でしたがクルーズ船乗船時には残念ながら葉桜になっていました。
『琵琶湖疎水は「水の恵みを京都へ」と言う思いから始まったと言います。琵琶湖の水を京都へ引くことは、昔から京都の人々の願いでした。しかし、土地を正確に測って図面を作成したり、長いトンネルを掘るには充分な技術がありませんでした。そんな中、琵琶湖から水を引く計画を実現させたのです。幕末の戦災と明治維新による東京遷都により衰退した京都を復興させるため、今なお現役で活躍する「琵琶湖疏水」の建設を計画し、その結果、水源確保で京都に活気を取り戻したのです。』
▲京阪電車石山阪本線の車両の中で 
▲三井寺駅で降りると びわこ疎水船のりばは直ぐ   ▲乗船場に入るとすぐに体温チェック ▲前の公園で昼食を済ませました 
▲大津上下船場の中へ   ▲乗船公式ガイドブックをいただいて ▲動画を見せていただいて 
 ▲ソーシャルディスタンスをとって ▲新型コロナ感染症に対応します  ▲本日の横山ガイドさんの紹介
三井寺駅に到着したものの受付門は閉まっており近くにあった公園で軽食を済ませました。30分前に開門が確認されましたので消毒、検温を済ませ待合室で説明を受けました。私達を含めて12名の乗客です
▲本日のクルーズ船 ▲乗船時のお願いを説明中
▲へいせい号  ▲れいわ号 ▲ めいじ号
船は「めいじ号」「へいせい号」「れいわ号」の3隻があり私達は最新の「れいわ号」に乗船できました。ピンクの座席シートが可愛らしい。
▲ハンサムなガイドさんから乗船中の諸注意を聞きました…大丈夫!あなたのおっしゃることなら何でも聞きますよ …と、おばば連中
スタッフの見送りを受けハンサムなガイドさん付きで大津閘門を出航しました。サクラを見ながら時々花吹雪を浴びながら乗船するはずでしたが今年は1週間早く散ってしまったそうです。しかし、まばゆいばかりの新緑が出迎えてくれ、疎水の情緒は充分楽しめました。 
▲テープもなく、銅鑼の音もなく、蛍の光もなく、静かに出航です ▲大津閘門に別れを告げて 
 ●大津閘門(大津乗下船場内)
水門を開けて舟を通したり、水位を調整する役割を果たすところ。当初の扉は木製、開閉は人力で、4人がかりで動かしていました。門扉開閉のハンドルも残っています。
建設当時わが国では北上川の木造のものがあっただけで、大津閘門は、れんが造りの初めての本格的な閘門として注目を浴びました。
▲出航して 直ぐのところに有る 第一トンネル東口へと進みます…奥に見える出口の光まで2.4kmもあるとは?
▲ 第一トンネル東口洞門 ▲伊藤博文揮毫の扁額 「気象萬千」 ▲ 第一トンネル東口に入る
●第一トンネル東口洞門
 各トンネルの入口には「扁額(へんがく)」と呼ばれる石の額が掲げられています。いずれも明治を代表する政治家らが揮毫した歴史的に大変貴重なもので、一つひとつ意味が異なります。 
 ▲東口から300m地点の印 ▲洞門の中に有る  北垣国道揮毫の扁額 ▲ 第一トンネル中央の印
●北垣国道 扁額
 第三代京都府知事に就任した北垣国道は、明治維新後の東京遷都により衰退した京都の産業を復興するため、様々な近代化策に取り組み大きな功績を残しました。
 そのもっとも代表的なものが琵琶湖疏水の計画と建設です 
▲第一トンネル第一竪坑 船から仰いでみる ▲第一トンネル第一竪坑の地上部
●第一トンネル第一竪坑
 当時日本最長、全長2,436mのトンネルを掘るために山の両側から掘り進むほか、山上から垂直に穴を掘り、そこからも両側に掘り進めて工期を早める「竪坑方式」を日本で初めて採用。しかし堅い岩や大量のわき水に悩まされて工事は難航。苦労の末、地上部直径5.5m、深さ47mもの竪坑が完成します。 
▲第一トンネル西口洞門 ▲陸路ではなく船路って素敵です … 脚力が要らない
●第一トンネル西口洞門
 第1トンネルの西口洞門には、初代外務大臣の山県有朋が揮毫した扁額が掲げられています。この洞門のデザインは、米国トロイ~グリーンフィールド鉄道のフーザックトンネル(明治7年(1874年))のデザインに酷似しており、田邉朔朗が設計の際に参考にしたと思われます。 
▲だんだん緊急遮断ゲートが 近づいてきます
ガイドさんが疎水の説明をしながら、蹴上方面に向けて快適に走行していきます。見どころが来たら船長さんがエンジンを止めてくださったり、速度を落としてくれたりと至れり尽くせりでした。沿道に向けて手を振るのも楽しいものです  
▲緊急遮断ゲート近くの小枝ではホオジロくんが 水際ではキセキレイくんが 疎水船を見守ってくれていました
▲藤尾橋 ▲船から見た藤尾橋の赤レンガと石造りの土台
●緊急遮断ゲート・藤尾橋
 阪神淡路大震災の経験から、大地震による堤防決壊時に水流を自動停止する緊急遮断ゲートが平成11(1999)年に設置されました。その先の藤尾橋は疏水工事で最初にできた橋。赤レンガと石造りの土台は当時のまま今も現役です。 
●安朱橋界隈
 安朱橋は、毘沙門堂の参道にかかる橋です。春には桜と共に、地域の方々が丹念に育てた菜の花が咲き誇る花の名所。その先では、疏水の下を安祥寺川が流れています。元々ここを流れていた川と立体交差しているのが特徴です。
 ●四ノ宮舟溜・諸羽トンネル(山科乗下船場)
舟溜(ふなだまり)とは、荷のあげおろしや人の乗り降りなどのためにつくられた舟の停泊スペースのこと。大津側からひとつ目の舟溜で、周辺は桜の名所です。JR湖西線工事で昭和45(1970)年に新設された諸羽トンネル(520m)の入口があります。
▲ カルガモちゃんが2羽 先導してくれているのでしょうか
●本圀寺正嫡橋
鮮やかな朱塗りの橋が疏水上を斜めに渡る様が印象的。青紅葉の映えるこの橋は、日蓮上人ゆかりの本圀寺に向かう橋。本圀寺は元々は「本国寺」と書きましたが、徳川光圀(みつくに)の帰依を得て現寺号になりました。
●第二トンネルは航路上のトンネルの中では最も短い、延長124mのトンネル。
第一疏水のトンネル洞門に掲げられている扁額の中で、最も文字数が多いのが、第二トンネル東口に掲げられた、初代内務大臣井上馨揮毫の扁額「仁以山悦智為水歓」。一見すると2行にわたって横書きに書かれているように見えますが、実は縦に4列で書かれているところが特徴的な扁額です。西口は、洞門の口が他のトンネルのように半円ではなく、少し尖ったような形に仕立てられており、初代海軍大臣西郷従道揮毫の扁額「随山到水源」が掲げられています。
●第11号橋
一見何の変哲もない橋ですが、実は日本最初の鉄筋コンクリート橋です。明治36(1903)年に田邉朔郎がつくったもの。そばに石碑があり「本邦最初鐵筋混凝圡(コンクリート)橋」と当て字混じりの碑文が刻まれています 
 ▲第三トンネル東口  ▲第三トンネル西口 
●第三トンネル
第11号橋からほんの少し下流にある第三トンネルは延長850m。
東口には、初代大蔵大臣松方正義揮毫の扁額「過雨看松色」、西口には、内閣制度発足後の初代内大臣三条実美揮毫の扁額「美哉山河」が掲げられています。
 西口のすぐそばには蹴上乗下船場があり、次にご紹介する旧御所水道ポンプ室も、航路上の大きな見どころのひとつとなっています。 
▲ゴールです 「降りたくない!もっと乗っていたい! なあ
●旧御所水道ポンプ室
 防火用水として御所に水を送る専用の水道が「御所水道」。ポンプ室は、御所で一番高い紫宸殿の屋根より高く放水できるよう、背後の山上の貯水池に水を圧送する施設でした。設計は京都国立博物館等で知られる建築家・片山東熊(とうくま)で、宮内庁が建設。
翌日は雨と言う予報で「降らないだけで満足!」と思っていました。新緑の中、水しぶきを上げながら進んで行き、いよいよ最後のトンネルを抜ける時には「降りたくない!もっと乗っていたい!」と名残り惜しく、船を降りてからガイドさんと記念写真を撮って頂きました。
 
蹴上迄の歴史クルーズの旅を終えて、皆口々に「良かった!良かった」と感想を口にしながら地下鉄に乗り三条駅迄移動し下見をしておいたお店に入りました。このお店はコロナ対策もしっかり出来ていて安心して「遅い昼食&早目の夕食」を静かに、それでいて和やかに済ますことができました。
 食事を済ませて、東海道53次の出発点である三条大橋のたもとにある「弥次さん喜多さん」の像の前で記念写真を済ませ四条にある吉野葛の美味しいお店まで腹空かしウオークをしましたがお目当てのお店は定休日「なんて日だぁ!」
 京阪線に乗る靖ちゃんを見送り我々は阪急線で梅田に返りました。ホームには特急電車が発車待ちをしていました。駅のトイレに入ったjunkoちゃんとジョンさんの出てくるまで電車のドア部に足を掛けて発車妨害をして待っていました(笑)。車掌さんと目が合い、腕時計を見たので指でまだ2分あることを合図しました。あの車掌ピースサインと間違えてるかも知れないわ。
 (最後に)
例年ならばサクラ満開時期に予約をしたはずでした。しかし自然界と言うところは、わがまま気ままで私達の思い通りには行きませんでした。新緑の美しさもしっとりと落ち着いており見ごたえあったと思っています。企画をする段階では予想もしなかった出来事があり、思い通りに行かなかったとしても、それなりに楽しめる余裕が人生を長く生きて来た私達にはあると思います。これは年の功というものでしょうか。