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行場巡り |
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日本三大山城巡り 其の2 「恵那・岩村城・・・海抜717m」 |
序章
日本三大山城巡りの最初は高取城を歩きました。今回は恵那にある岩村城を巡ることにしました。(行場巡りやら、城跡めぐりやら忙しいのぉ)・・・笑
行先が決まると、まず費用的にどうすれば安く行けるのかを考えるのも旅の楽しみのひとつです。豪華な旅は金さえ出せば誰でも実行できます。しかし年金組はたっぷりある時間とわずかな年金を駆使して、いかに盛りだくさん楽しむことが出来るのかが企画者としての腕の見せ所です。そこで白羽の矢が立ったのは「湯快リゾート・恵那国際ホテル」の存在でした。往復のバス代1750円、宿泊代も安い、2泊するにはもってこいの条件です。ホテルから目と鼻の先には恵那峡谷遊覧船乗り場があり『乗らない選択肢はありません』。乗船料1500円乗りますよ~夕食後は部屋にてメンバーの「喜寿のお祝いの会」、ホテルに依頼してムラサキのチャンチャンコも予約しています。プレゼントも用意しました。勿論本人には内緒です。 |
●第1日目 10月28日(月曜日)晴れ |
湯快リゾート専属バスは10月28日午前9時、新大阪駅を出発し京都駅で乗客を乗せて、ほぼ満席状態で恵那に向けて発車しました。(平日なのに、まあ沢山乗っていること・・って我々もだけど)多賀でトイレ休憩後は恵那国際ホテルまでノンストップで走りました。高速道路の車窓は味気なくアッと言う間に到着した気分です。(そりぁウツラウツラしてるもんなぁ)午後2時前にはチェックインを済ませ、歩いて5分ほどのところにある恵那峡クルーズで関西電力のダム湖を周遊することにしました。寒くもなく、暑くもなくいい塩梅です。
五平餅の焼ける い~い香りがするのですが夕食前につき我慢、我慢・・・。 |
▼恵那峡クルーズ |
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紅葉にはまだ早いのですが軍艦岩、名無し岩、屏風岩などの巨岩の織りなす景色を堪能しホテルに戻りました。夕食後は「秘密のイベント」です。部屋を記念撮影の出来るように改造し、ホテルに依頼していた喜寿の衣装を本人に着て貰いみんなで記念撮影をしました。唐突な仲間からの祝福にちょっとびっくりしたような顔をしていましたが喜んでもらえたと自己満足しております。喜寿の年まで石鎚山の鎖場に登れ、みんなと同じ様に、何処までも歩けて、こんな素晴らしいことはありません。いつまでもお元気で仲良く山行を楽しみましょう!「Junkoちゃん喜寿おめでとう!」 |
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▲ 恵那峡ダム湖遊覧 |
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▲下船後は奇岩めぐりです |
▲笠岩 |
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▲紅岩 |
▲千畳敷岩 |
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▲この日はjunkoちゃんの?回目のお誕生日です▲ |
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●第2日目 10月29日(火曜日)雨 |
目覚めると雨が降っています。「雨が怖くて山に登れるかっ!」今回は山と言うほどのところではありませんので、朝食をサッと済ませて、前夜に予約しておいたタクシーで恵那駅まで行ってもらいました。ポッチーの城下町散策は雨のため中止らしいです。今回の旅の目的は日本三大山城・岩村城跡を尋ねる事でした。岩村城は「備中松山城」「大和高取城」と、ともに、日本三大山城に数えられています。
国道257号線に沿った岩村町は、昔から交通の要のため、岩村城を手中に治めようとした者は多く、この城には多くの悲しい物語が残っています。 特に、女城主としてこの地を治めた織田信長の伯母「女城主おつやの方」の悲哀の物語はあまりにも有名です。明知鉄道で岩村駅まで行くと駅には女城主であるおつやの方様の人形が鎮座していました。思わず隣に座り記念撮影を済ませました。 |
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▲恵那駅から明知鉄道に乗って岩村駅へ▲ |
▲女城主おつやの方様と▲ |
駅前にコミュニティバスが停車しており運転手さんによると20分の短縮になるらしい。雨も降っていることだし乗れ~乗れ~と「女城主酒蔵前」で下車。歩く事1時間ほどでしょうか。雨が醸し出す霧の発生でタイムスリップしたような景色に早変わりです。敵を欺くために曲がりくねって造られて石畳も歴史を感じることができました。途中の井戸には蛇の骨を井戸の中に放り込むと、たちまち霧が出て敵を惑わすことが出来たと書いてありました。菱形に作られた石垣は全国でも珍しいらしく城の偉大さが今も残っていました。多くの人達に訪れて貰い、女城主の歴史を知って欲しいと思いました。 |
▼岩村城跡を目指して▼ |
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城跡に到着した途端に霧が発生し一寸先も見えなくなりました。「何か起こりそうで不気味やなぁ」遥か彼方を見ると雲海が出て幻想的な景色と変わりました。美しいっ!100円投入するとテープが流れ城の説明と共に春日八郎の「ああ霧ヶ城」の曲が流れて来ました。 |
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▲雨で良かったと思います。晴れていたらこんな美しい光景を目にすることは無かったと思います。▲ |
『おつや物語』 |
1185年、源頼朝の家臣「加藤景廉」が遠山荘の地頭となり、景廉の長男景朝が 岩村城を築き、遠山氏を称しました。 戦国時代末期、城主の「遠山景任」が病没し、養子として迎えていた織田信長の五男「御坊丸」がまだ幼少であったため、その夫人(織田信長の叔母)が実質的な城主として、領地を 治めていました。いわゆるおんな城主「おつやの方」です。 おんな城主は大変聡明で美しく、領民に慕われていたそうです。 1572年、武田信玄の 24 将のひとり「秋山虎繁(信友)」が侵攻してきました。 おんな城主は自ら采配を振るい、信長の支援を待って籠城作戦に出ました。しかし、この時、信長は長島の一揆などで前に進めずにいました。籠城は 3 ヶ月にわたり、城内の食糧も不足 して来たところ、虎繁から女城主を妻とすることを条件に無血開城を申し入れてきました。 おんな城主は苦渋の末、城兵や領民の命を守るため敵将との結婚を決意し、開城しました。 その後の数年間、おんな城主は虎繁とともに、城の普請や城下町の守備に勤しみ、平和な日々を 過ごしました。 しかし、御坊丸は信玄のもとへ人質として送られてしまい、岩村城も乗っ取られてしまった ことに信長は黙っていませんでした。 1575 年(天正 3 年)、長篠の戦いに武田勝頼軍が敗戦したことにより、武田と織田の勢力が 逆転し、信長の嫡男「織田信忠」率いる織田軍が攻め入りました。この時も半年に及ぶ籠城 で城を守りましたが、武田の援軍も望めず、信長からの条件を呑み、開城しました。その条件とは、領民を守り、おんな城主と虎繁の命を守るという約束でした。しかし、信長はこれを反故にし、夫妻は磔刑に処されてしまいました。
今は苔むした石垣しか残っていませんが、史跡を尋ねて訪れる人も多く、説明板を読みながら散策すると、往時の様子をうかがい知ることができます。』 |
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▲登城口まで下りてきました▲ ▼城下町散策▼ |
岩村駅から恵那駅に戻り、朝利用した々タクシーが偶然客待ちをしていました。「ご縁がありますねぇ!」雑談をしながらホテルに戻りゆっくり温泉に浸かり2度目の夜を迎えました。夕食後は登山初心者の正ちゃんのためのロープワークです。私達は復習(ほぼ忘れてるので初心者といっしょやけど・・・笑)遊びながらも勉強をすると言う恐ろしい集団です。 |
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●第3日目 10月30日(水曜日)晴れ |
▼木曽路 妻籠宿散策 ▼ |
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朝食後は荷物をまとめてロッカールームに預けました。午前9時集合でホテル手配のバスで妻籠宿への観光に出かけることにしました(裏ワザとしてカラオケボックスの予約をしておきました・・・笑)使っても良し、使わなくても良し。ホテルから1500円で妻籠宿か馬籠宿に行けるサービスがありました。曜日によって行先が決まるらしいのですが水曜日は妻籠宿行らしいです。流石に観光地らしく欧米人の人達が多かったです。(やっかましい他国の団体がいなくてホッ!) |
▼大阪・京都行のバス出発まで桃介公園散策 ▼ |
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のんびりと宿場町を散策しホテルに戻って心残りだった五平餅を食べに船乗り場近くの売店に行きました。こおばしい香りの五平餅やら団子を食べて京都・大阪に向けて帰ってきました。
充実した3日間でした。楽しかったです。ポッチーは坂道が来ると優しい皆さんに背中を押して貰って歩ける範囲で楽しんでおりました。 |
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ひめの感想 |
盛りだくさんの内容で少しあわただしかったかなと思いましたが終わってみれば充実した3日間であったと自己満足しています。マンネリ化しないように工夫したつもりですが、そろそろ湯快シリーズも飽きて、豪華なホテルが恋しくなったのではないかと心配しています。私は雨風が凌げて、一汁一菜があれば満足です。ただ・・・トイレの汚いのは御免です。
次なるはどこに?提案者はだ~れ? |
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junkoちゃんの感想 |
この度は「やまたび」の全員集合で祝って頂きお礼申し上げます。久しぶりのイベントに感激しました。これからの1日、一年をご一緒出来るよう頑張りたいと思います。ご迷惑でしょうがヨロシクお願いいたします。どうもありがとうございました。 |
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靖ちゃんの感想 |
今回も楽しかった!何時も 最高に楽しく(楽しい)、格安の旅は(楽しい)
誰のおかげ?(みんなのおかげ~)次回もよろしくお願いします。
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JONの感想 |
何年か越しに思いあこがれていた日本三大山城の一つ美濃岩村城。なかなか見ごたえのある城址でした。日本最高地にあるお城という割には登城口が高いところにあるため200mそこそこの標高差で楽に登ることができました。大和高取城は大阪から一時間程で登山口である壷阪寺駅へ行けますので過去3回登っています。高取城はここの倍以上は登りますので登坂力もいりますがここは雨でも楽しく登れました。残るは岡山県の備中松山城です。12月の初旬には行こうと考えています。 |
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正ちゃん |
恵那峡巡りでは、大変お世話になりましてありがとうございました。岩村では霧ヶ城の霧に包まれた幽玄の世界を感じた他、佐藤一斎などここから多くの偉人が輩出したことなど、学ぶこと多々ありました。次回も宜しく。 思いの他、格安で行けたのはラッキーでした。 |
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ポッチーの感想 |
みんなが岩村城跡に出かけている間、岩村城下町の散策の予定でしたが雨のためホテルでゆっくりとした時間を過ごしました。全行程皆さんと一緒に歩くことは出来ませんが無理のないコースだけ一緒に楽しめて良かったです。温泉気分もゆっくり味わえました。 |
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