滋賀県
 ●近鉄てくてくまっぷ 「壺阪・高取コース」 奈良ー20
こんなに暑さが戻って来るとは思わず早い時期に「9月10日に壺阪・高取コースへ行こう」と計画をしていました。ところが外気温35度と言う異常な暑さで多分単独なら中止していたと思います。仲間と一緒だからこそ「よっしゃっ!出掛けようか!」と勇気を振り絞っての山歩きとなりました。阿倍野橋駅から出発し橿原神宮で靖ちゃんが乗り込み全員合流できました。電車の中でjuncoちゃんが「登山口まではバス?それともタクシー?」と質問があり、アスファルト歩き4kmは避けたい意向で、帰りに同じコースを歩くのでそれもありかと全員賛成しました(軟弱~・・笑)
壺阪駅からタクシーで五百羅漢の入口まで移動しました。 
降りた地点からは、すぐに山道に入ります。山道に入った途端、神々しい空気に包まれました。大きな岩山いっぱいに彫られた石像群『五百羅漢岩』が現れたのです。ここは「壷阪寺」の奥の院とも呼ばれる場所で、周りにもいくつもの石仏が点在しています。素朴で美しい石仏さまたち、みんな笑っている様に見えました。 
壷阪寺の奥の院に当たる五百羅漢 
様々な羅漢様を目にしながら高取城址に向かいます
八幡宮 
ハイキングコースにしてはかなりきつい登り坂がありました。標高こそ低いですが山登りに匹敵します。五百羅漢を過ぎると高取城のノボリや道標が至る所に立っていました。敵から攻めてくるのを防いだのか七曲りもあり急峻な道です。汗が地面にポタポタと落ちています。至る所に立派な石垣が残っていて、このあたりに屋敷が点在していたのだろうと想像がつきました。
 大和高取城
 『高取城(たかとりじょう)は、奈良県高市郡高取町高取にあった日本の城で、別名、高取山城とも言われています。本丸、太鼓御櫓・新御櫓・国見櫓、二の丸、御城門、下屋敷などがあった様子が大きな看板に描かれていました。標高583mの高取山山上に築かれた山城は白漆喰塗りの天守や櫓が29棟建て並べられ、城下町より望む姿は「巽高取雪かと見れば、雪ではござらぬ土佐の城」と歌われたほどです。日本国内では最大規模の山城で、備中松山城(岡山県)・岩村城(岐阜県)とともに日本三大山城の一つに数えられています。1615の一国一城令の際も重要な山城として破却を免れ、現在に至るまで石垣や石塁が残されています』
 城下町で見つけた奈良産業大学制作のCG画像 久しぶりの三角点で「デンの記撮影会」
高取山山頂で三等三角点をみつけました。久しぶりの三角点で「デンの記撮影会」を済ませました。山頂での昼食タイムは風爽やかで麓の35度の暑さをしばし忘れて居心地の良い時間を過ごしました。「これだから山はやめられない」と思う瞬間です。訪れる人も少なく言葉を交わす人も無く、下りは芋峠と土佐町の分岐で土佐町をめがけて下山することにしました。
 猿 石
高取城跡二ノ門外、城下町に下る分岐点に、猿石がありました。実はこの猿石、高取城築城の際、石垣に転用するのに飛鳥から運ばれたそうです。猿に似た大きな面相、両手を前にし、下腹部に陽物を抱えている。郭内と城内の境目を示す「結界石」としての役目があったらしいです。
岩屋不動  
長い直線のきつい下りが続き、この坂を古くから「一升坂」と呼ばれているそうです。この「一升坂」という名称は,高取城築城の際に 大変な重労働であったため 石を運ぶ人夫に米一升を加増したためと言われています。それほどの難度であったことが,坂の名前からもわかり、そして歩いてみてよくわかりました。
 町並みが見えて来ました。しばらく歩くと地域のおじさんがいて「暑い中ごくろうさんやなぁ」と声を掛けてくれました。「良い所にお住まいですね」と言うと「不便じゃよぉ~」と言っておられました。車がないと生活には苦労がついてまわるような気がします。
植村邸家老屋敷長屋門 
お里沢市ゆかりの伊勢屋屋敷跡   土佐の町並みの由来の高札
やがて城下町らしい町並みが続いていました。植村邸家老屋敷長屋門、お里沢市ゆかりの伊勢屋屋敷跡、くすりの館などの風情ある街並み歩きを楽しみました。「道の駅」ならぬ「街の駅」をみつけ暑さ対策にかき氷を頬張りました。体内温度を下げるのには効果てき面です。
土佐恵比寿神社を見ながら城下町らしい佇まいを楽しみました。水路が流れる石畳には、阪神大震災の復旧工事で出た石が活用され、ところどころに埋め込まれた薬草タイルを見ながらカメラに収めて歩きました。駅ちかくなった頃、土佐の町並みの由来が書いてあり、足がピタッと止まりました。高取の町に何故土佐の町並みがあったのか詳しく書いてあり霧が晴れた気がしました。スッキリ~!
壺阪駅ゴール午後3時。急行に乗り天王寺駅で反省会です。入った店が「土佐の店」・・今日は土佐に縁がありそうです。高知県宿毛市の漁船から直送していると言う鰹や土佐名物の料理を美味しく頂きました。懐かしいのと安いのとで大満足の反省会でした。
土佐街道の所々に埋め込まれた薬草タイル 
※おもろい話
出発前に高取の町に何故土佐町と言う名前があるのかジョン講師による伝説を聞きました。
「都造りが終わり労役で働きに来ていた多くの土佐の人々は高取のお殿様の人柄に惚れてこの地に残り、やがて土佐町が出来たんだトサ」この話に誰もが「そうなのか」「よっぽどお殿様が良い人だつたんやね」などと感想を述べましたが姫だけは合点がいかない様子でした。コースの最終地点の町並みに「土佐町の由来」の看板が立っておりました。『大和朝廷の都造りでの労役で土佐国を離れ、この地に召されたものの、任務を終え帰郷するときには朝廷の援助なく帰郷が叶わずこの地に住みついたところから土佐と名付けられた。故里を離れて生きていく生活を余儀なくされた人達の、たったひとつの自由な意思は故里の名を今の場所に付けることであった』何と片道切符だったのです。
              望郷の 想いむなしく 役夫らの せめて準う(なぞらう) 土佐てふ その名

姫が合点がいかなかったのは「土佐の人がそんなに簡単に故里を捨てるはずがないっ!」その故里への熱い想いはこの立て看板でスッキリしたのであります。 
  姫の感想
高取と言う町は日本三大高城の他に薬の町で有名です。歩いていてハッと気づいたのですが孫がアトピーで悩んでおり、どの病院もステロイド薬を使うためママが困り果てて、人づてに聞いたこの町にある「石川醫院」を尋ねた事を思い出しました。その孫も今は中学3年生になりアトピーとは無縁の生活をしています。あああ・・・ここやったのかと思わず懐かしく思い出したんです。壺阪と言えば夫婦愛を歌った「壺阪情話」で有名です「♪見えぬあなたの杖になり 越える苦労の人世坂 あなた、離しちゃだめですよ 運命の糸を この指を つなぐ心の お里・沢市 夫婦づれ♪ 妻は夫をいたわりつ 夫は妻に慕いつつ 頃は六月、中の頃 夏といえど片田舎 木立の森もいと涼し・・・ここには、お里・沢市ゆかりの伊勢屋屋敷跡も残っていました。100点!

日本三大山城のひとつ「高取城」に行ったので次回は10月に岐阜県にある美濃・岩村城を訪れる企画が決定しています。身体のあちこち痛んできたのは加齢によるものでクヨクヨしない事、70歳越えの「やまたび倶楽部」は暑さに負けず頑張っております。