島屋 「東洋のマンチェスター」の栄光と挫折 ~煙突と、のこぎり屋根と、市電跡と~ |
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此花区界隈は、大正期には「おばけ煙突」に代表される春日出発電所、大阪鉄工所、汽車製造株式会社、住友伸銅所、住友電線製造所、住友製鋼所などの大工場が集積し、第一級工業区として成長しました。しかし、戦争の進行に伴い、軍需工場が激増すると、工業地帯は6度にわたって大空襲を受け、また度重なる台風などの水害のため荒廃しました。その後、西六社(住友電気、住友金属、住友化学、日立造船、汽車製造、大阪ガス)の進出などで、徐々に復興が進み、大阪の高度経済成長を支えた時代もありました。 |
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▲今回の出発駅 JRゆめ咲線 安治川口駅 |
▲郵便事業株式会社新大阪支店(旧新大阪郵便局) |
平成6年(1994)8月1日より業務を開始。通常郵便を扱う「郵便棟」と小包郵便を扱う「ゆうパック棟」に分かれています。平成19年(2007)10月1日民営化に伴い、郵便事業株式会社新大阪支店に改称されました。蒸気機関車の名門製造所、大阪汽車会社(正式名称は汽車製造合資会社、汽車製造株式会社大阪製作所→川崎重工業)の工場跡です。 |
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▲ガソリンカー転覆事故慰霊碑 |
昭和15年(1940)1月29日、安治川口駅構内島屋町踏切で発生した西成線(現:JR桜島線)列車脱線火災事故の犠牲者を慰霊した碑です。死者189名、重軽傷者69名。日本の鉄道事故において、正確に記録されたものとしては史上最多数の死者を出した大惨事でした。 |
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JR安治川口駅からはゆめ咲線の線路に沿って東方向に歩いていきます。南側に恩貴島緑地が見えると間もなくアサカ鉄工(株)がありますのでそこを北側に折れて直進すると右手に春日出共同墓地の入り口があります。ここを入っていくと南東の奥に桜堤の跡碑があります。 |
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▲重修桜堤碑(ちょうしゅうさくらつつみのひ) (春日出共同墓地の中にあります) |
春日出新田は数次にわたって干拓されましたが、当初は桜堤を築いて浸水を防いでいました。ところが時代が経ると、堤が田畑になってしまっていたので、開拓を引き継いだ清海安五郎が、あらためて津波などに備えて築堤しました。その経緯を記した記念碑で、明治19年(1886)に建立されました。春日出共同墓地内の一角にあります。 |
ふたたびアサカ鉄工(株)まで戻り、ゆめ咲線に沿って東へ歩いていきます。次の信号の北東のかどに「そめくさばし」の跡碑があります。▼ |
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▲住友化学株式会社大阪工場中門 |
住友化学大阪工場は、中門を挟んで北部地区と 南部地区に分かれ、その間をJR桜島線(愛称: ゆめ咲線)が通っています。そのため構内を移 動する車両や人が踏切待ちをするというめずら
しい光景がみられます。敷地面積約262,000 ㎡、甲子園球場の約6.6倍の広さがあります。 |
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▲住友化学大阪工場の間を一般道とJRゆめ咲線が通っています |
車両は構内を通ることはできませんが歩行者は写真付きの身分証明書を提示すれば北港通りへ抜けることが出来るようです。警備室へお尋ねください。 |
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▲のこぎり屋根の工場 |
ゆめ咲線の南側にのこぎりの歯のような屋根が見えてきます。ここを過ぎたあたりから左手に注意をしながら歩いているとまっすぐの道の先に春日出商店街の入り口が見えますので、ここを左折北上して初めての辻を右折東に向かうと朝日神明社が見えます。 |
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▲朝日神明社 |
川岸町(南新田)の鎮守神の皇太神社(天保年間創建)
と、浪速三神明(朝日神明宮・日中神明宮・夕日神明宮)の
ひとつで、もと中央区(旧東区)にあった朝日神明宮を合
祀し、明治40年(1907) 朝日神明社と社号を改め、昭和
6年(1931)現地に移転されました。平成7年(1995)、
春日大社本宮旧社を頂き、「春日社」が再建されました。 |
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▲春日出商店街と北港通り |
ここから西島屋バス停まで北港通りを歩いていきます |
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▲住友化学株式会社大阪工場 |
住友化学は、大正2年(1913)に愛媛県新居浜市の別 子銅山の銅精錬時に発生する有害な亜硫酸ガスを回 収し、それを原料として肥料を製造するという公害防
止目的の事業から始まりました。大阪工場は、大正5 年(1916)、合成染料の国産化を目的として設立され た日本染料製造株式会社が、その前身です。わが国で
初めて合成染料の生産が行われ、昭和19年(1944) の合併によって住友化学大阪工場となりました。 |
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▲住友電気工業株式会社大阪製作所 |
明治30年(1897)開設された住友伸銅場を前身とし、明治44年(1911)住友電線製造所として分離独立。昭和14年 (1939)住友電気工業株式会社となりました。大阪製作所は大正5年(1916)の開設で、通信ケーブル、システム製品 などを製造しています。敷地面積約277,000㎡、甲子園球場の約7.0倍です。 |
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▲大阪市電春日出車庫跡 |
大正12年(1923)9月開設。建屋は5棟で構成され、単車で192両収容可能でした。昭和20 年(1945)6月1日に空襲で全焼。昭和22年(1947)8月に復旧されましたが、昭和44年
(1969)2月1日、大阪市電西野田線(兼平町~島屋町間)の廃止に伴って廃止されました。 |
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▲産土(うぶすな)神社 |
宝暦12年(1762)、大坂の島屋(浅田市兵衛)が正蓮寺 川左岸の一角(現・住友電工内)に新田の鎮守神として 創建。しかし昭和9年(1934)の風水害により被災し、
昭和13年(1938)に現在の地に移転されました。境内 に旧恩貴島(おきじま)町島屋町大風水害復興記念碑 があります。 |
ここから西島屋バス停まで歩き信号を左に折れて南下します。 |
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▲新日鐵住金株式会社 |
明治30年(1897)創業の住友 伸銅場と、明治34年(1901)創 業の住友鋳鋼場が昭和10年 (1935)に合併、住友金属工業 株式会社としてスタートしまし
た。製鋼所は日本で最初の民間 鋳鋼工場として開業、鉄道・自動 車・船舶等交通に関する重要部 品と産業機械品の設計、加工、組 立を行っています。敷地面積約
482,600㎡、甲子園球場の約 12.5倍です。 |
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▲此花今昔物語 ・大阪浪漫 |
住友金属工業南側塀(長さ450m)を 利用して縦1m、横2mの巨大パネル 142枚が展示されています。此花区の 歴史・産業・施設、大阪市の代表的な建
築物などを写真やイラストで紹介して います。 |
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▲ユニバーサル・スタジオ・ジャパン |
今回は此処がゴールです。ここからユニバーサルウオークを歩いてJRゆめ咲線・ユニバーサルシティ駅へ向かいます。 |
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