●5月16日(金)
谷川岳は「魔の山」「人喰い山」「死の山」
私たち年金組は、ゴールデンウイーク中、働いている方達の貴重な休みを混雑させることがないように、じ〜っと待機し、その間に山行計画を練り、トレーニングを積み重ね、山の混雑が去りゆく日を待っていました。今回のメンバーは靖ちゃん、ウッチー会長、ジョン、姫の4人です。スケジュールとしては第1日目は移動日、第2日目は谷川岳登山、下山後に赤城山の麓まで移動し老舗旅館の青木温泉へ宿泊し第3日目は赤城山へ登り、下山後大阪へ帰ってくる予定にしています。
ゴールデンウイークが終わり山小屋の繁忙期が落ち着いた頃を待って、群馬県の山「谷川岳・赤城山」を訪れる計画を立てました。谷川岳は群馬県と新潟県の県境にある三国山脈の山で日本百名山のひとつです。周囲の万太郎山・仙ノ倉山・茂倉岳などを総じて谷川連峰と呼ばれています。頂上は二峰に分かれており、トマの耳(標高1,963m)、オキの耳(標高1,977m)となっています。谷川岳はトマ・オキの二つ耳と呼ばれ、谷川岳の名は隣の俎嵒(マナイタグラ)に与えられていたそうです。しかし、国土地理院の5万分の1地図の誤記のために、トマ・オキの二つ耳が谷川岳と呼ばれるようになりました。トマの耳には薬師岳、オキの耳には谷川富士の別称があります。一ノ倉沢などの谷川岳の岩場は、その険しさから剱岳・穂高岳とともに日本三大岩場の一つに数えられ、ロッククライミングのメッカとして有名であります。
06:43 西黒尾根登山口
07:07 鉄塔
10:00 ラクダの背
10:20 ガレ沢のコル
13:40 西黒尾根山頂
オキの耳へは往復30分
16:45 天神平ロープウエイ駅
 下山後関越道を走り赤城山へ
19:13  青木別館到着
谷川岳の標高は2,000mに達しませんが、急峻な岩壁と複雑な地形に加えて、中央分水嶺のために天候の変化も激しく、遭難者の数は群を抜いて多く、1931(昭和6年)から統計が開始された谷川岳遭難事故記録によると、2005年までに781名の死者が出ています。この飛び抜けた数は日本のみならず世界のワースト記録としてギネス認定されているほどです。1960年(昭和35年)には、岩壁での遭難事故で宙吊りになった遺体に救助隊が近づけず、災害派遣された陸上自衛隊の狙撃部隊が一斉射撃してザイルを切断、遺体を収容したこともありました。この時使用された弾丸数は1300発と言われています。
また、一ノ倉沢で1943年(昭和18年)2人の登山者が絶壁の岩場で遭難死しました。しかし遭難場所がわからず行方不明として処理され遺体はそのまま岩場に放置されました。30年後の1973年に、偶然この場所にたどり着いた登山者が白骨化した遺体を発見。ポケットに残されていた10銭硬貨や過去の記録から、1943年の遭難者と判明し、山岳会と地元警察により、30年ぶりに下山して親族の元に帰ったと言う話もあります。気象の荒さも加わり、谷川岳は「魔の山」「人喰い山」「死の山」とも呼ばれ、遭難の防止のために群馬県谷川岳遭難防止条例が制定されています。
 ●第1日目 移動日(5月15日・木曜日)
ホンダ・フィットです 妙義の山並み 車内での姫&靖っちゃん ちょこっと一息
大阪駅ヨジバシカメラ前に午前8時に集合し名神高速吹田入口から群馬県に向けて出発しました。移動日の空は鉛色をしていて太陽のお見送りがありませんが車中はおかげで暑くなく快適です。天気がよければ朝日を全身に受けてつらい道中となるはずでしたがいい塩梅です。車の通行量も平日とあってスムーズに行き交っています。午前9時40分養老サービスエリアでトイレ休憩をとりました。「一度食べたら忘れられない!」の大きな看板に吸い込まれるようにジョンが「安永餅」を買ってくれました。なるほどおいしいです。ドライバー交代し長良川を渡り時速110qキープで快適なドライブ気分で走行しています。中央道を通過、恵那トンネルの天井工事が行われておりいつかの惨事を思い出し「早く抜けたいね」誰しもがそう感じました。駒ヶ岳サービスエリアで少し早めの昼食をとり fit にも昼食替わりのガソリンを給油し長野道、松本を通りこのあたりから山々に目をやるとまだ多くの山が雪をかぶっていました。関越道を過ぎたあたりから妙義山が見えてきました。あの脱臼事故の出来事が昨日のことのように思い浮かんできました。
午後3時10分水上インター出口です。ほぼ予定通り到着です。今夜のお宿「湯の陣」を通り過ぎ駐車場の確認と谷川岳の登山口の確認に行くことにしました。途中にある遭難碑に深く頭を下げロープウエイ駅のおじさんと話をしたら「この分だと明日はいい天気になりますよ。アイゼンは持っていますね?」と声を掛けてもらいました。装備万端整っていることを話し、ホテルに戻りました。午後3時40分チェックイン完了です。翌朝の朝食時間が何度交渉しても午前7時30分からしか用意できないとのことで近くのスーパーに朝食用のおにぎり、インスタント味噌汁、パンの買い出しに出かけ明朝は午前6時にはホテルを出る準備が整いました。夕食はバイキング「食べ放題、飲み放題」で谷川岳山行の成功を祈念してウッチー会長の乾杯の発声で楽しい夕餉となりました。翌日の山行を考えて、ほどほどのアルコール摂取です。 
夕食の会場です JON&ウッチー 姫&靖っちゃん 今夜の料理です
●第2日目 谷川岳登山日(5月16日・金曜日) 
朝陽を浴びて 谷川岳についての案内板 登山センターに登山届けを提出 谷川岳登山センター
午前5時過ぎには誰もが目をさまし朝食を済ませました。午前6時30分には前日に下見をした駐車場に到着。谷川岳はロープウエイで登る天神平コースと今回私たちが利用する西黒尾根コースがあります。静かな山間には木をついばむキツツキの音やウグイスの声が美しく出迎えてくれました。トップを姫、2番手を靖ちゃん、その次をウッチー会長、アンカーはジョンとオーダーを決め、それぞれの役割を果たしながらゆっくりと安全に登っていくことにしました。途中で外気温の表示を見たら5度となっていました。サクラの花もまだ蕾で温度がいかに低いのか物語っています。登山指導センターに登山届を提出し登山口まではなだらかな谷川岳歴史街道ゾーンをゆっくりと歩き15分ほどで西黒尾根登山口に到着しました。石ころだらけの登山口「谷川岳は険しいぞ!」と言わんばかりに急登がはじまりました。それもそのはず日本三大急登のひとつとされているのです(北アルプス烏帽子岳へのブナ立尾根、南アルプス甲斐駒ヶ岳への黒戸尾根、谷川岳への西黒尾根) 
この時期一の倉沢出合いへは車でいけません ここが西黒尾根の登山口です。
よいしょ まだ残雪があります どっこいしょ ちょこっと一休み
昔はこのラインに年金組みは入ってこなかったよなあ…みーんな若返ったと言うことでしょうか。
残雪を被る山
ブナ林の中を急登していきます…ちょっこと一休みをしてブナの息吹を感じ取ります
登山口から1時間ほど登ると登山道に残雪がありましたがキックステップを使いアイゼン無しで登ることにしましたが次の雪渓を見つけた時には「アイゼン装着しよう!」ということになりました。
岩場と雪のミックスでなかなか思い通りの足運びができません。「大丈夫や!地獄谷の訓練が成果を出す時が来たんや!」と激を飛ばし
快適な雪面歩きです。ただ表面から4〜5cm下がクラストしているためアイゼンを蹴りこんで歩かないと刃先が氷面まで届かないため、雪を噛んだまま上滑りをしてしまいます。
雪渓が終わったと思ったら今度は岩場が続きます。ここはウッチーさんが切り込み隊長です。リズム良く大きな体を引き上げていきます。
「此処は岩が磨かれているから滑らないように」「此処には泥が付いているからイヤらしいよ」など的確なアドバイスを残して上がっていきます。
やっと標識らしいところの「ラクダの背」に到着しました。西黒尾根には標識らしい標識は少なく現在地を把握するのに苦労しました。
ガレ沢のコルまでは、快適な雪渓歩きや鎖のある岩場など雪渓などルンルン気分でこなしてきましたが、ガレ沢のコルを過ぎると辺りは様相を変えてきます。例年に比べて残雪量が多く、こんなはずじゃなかったと呟きが聞こえてくるほどに難易度の高いコースでした。
雪渓が終わるとその辺りに踏み跡は無く、探すのに一仕事。
どうにか岩場を通過して雪渓に阻まれると残雪が作り上げた高い雪の壁。正確なキックステップで登り詰めなければ即滑落という場面に何度も遭遇しました。
その都度ロープを出して確保したりアイゼンを外したりと今までに体験したことのない行程をひたすらその場その場に合わせて行動していきました。 谷川岳はここで落ちたら底まで滑落してしまいます。
さすが「魔の山」「人喰い山」「死の山」と言われるだけのことはあります
てんでバラバラに何処を指差していますのや…これからの難所越えに心を合わせて一つにしないと。
此処がマチガ沢から上がってくる巌剛新道の合流点マチガ沢ノコルです。
ここから頂上に向けて「岩と雪の殿堂」です。大きな岩を越えたり、ガラガラと音を立てて崩れるガレ場を登ったり、それが終わったかと思うと60度以上は有ろうかと思う急傾斜の雪の壁をピッケル2本で登ったり、岩を巻く為にロープを出して確保したり、延々と続く急な傾斜の雪面歩きと、
めまぐるしく変わる対応に、もうバテ気味です。私たちのほかに誰も登ってくる様子はないと思っていたら京都から来たという30歳の青年が私たちの踏み跡を頼りに追いついてこられました。挨拶を交わし「ここからはあなたが先に行き踏み跡を付けてください。選手交代や」と言うと「無理ですっ!僕はここまでみなさんの踏み跡があったから登れたのであって、いつ引き返そうか思案しているところでした」とのことでした。足元を見ると軽アイゼンにピッケル持たず、手袋なしの軽装で肩の小屋泊まりの予定とのことでした。
急なガレ場を70mほど上り詰めたら今度は雪渓歩きです。雪渓が終わったら岩尾根歩きが始まります。
ここまで来ると楽しさも何処へやら…一般道が恋しいよ-。
前に立ちふさがる大きな雪壁を何度もズルズルと試していた跡が見て伺えました。「ロープで確保してくれ」ジョンがピッケルを2本使い支点の取れるところまで進んで行きます。いつ滑り落ちてもおかしくない傾斜です。「よぉし!支点が取れたぞっ!順番に登って来て!」と上からジョンの大きな声が届きました。ウッチー会長が登り、続いて靖ちゃんが登りました。私のピッケルはジョンが持っていきましたのでロープ伝いにピッケルを下ろしてもらいました。さあ京都の青年をどうするか、ここで見捨てて行くわけにも行かず「このロープを利用して登りなさい」と言いましたが「大丈夫です」と遠慮の声。「では私の見ている前で登って行きなさい。あなたを残していくわけには行きません」と言うと決心がついたのか雪壁を登り始めました。しかしズルズルと滑り落ち前爪のない軽アイゼンでは登れません。「谷川岳を舐めたらいかんよ!その装備では遭難しても仕方がない」と説教しつつ、手は青年のリュックのヒモとロープにヌンチャクを強制的に装着しました。「ありがとうございます」と青年が両手でロープに全体重を委ねましたので「あかん!もっと姿勢を前に倒して、冷たくても自分の手を使って登るんです」と言いながら何とか一歩ずつ前進することができました。
先に登った3人の踏み跡が恰好の階段状になっており無事みんなの待つ場所に登ることができました。「ありがとうございました。引き返さなければならないところでした」と礼を告げ、私たちの前を登りルート開拓係をしてくれることになりました。「アイゼンいります〜ここからはアイゼン要りません〜」と情報を伝えてくれています。「ありがとう!先に進んでください。私たちも頑張って頂上に向かいま〜す」と青年に別れを告げました。
方向指示ケルン 肩ノ小屋 天神尾根
西黒尾根の山頂付近で大きく手を振る青年がいました。私たちを迎えに肩の小屋に荷物を置き戻ってきてくれた様子でした。西黒尾根の分岐に到着です。感動で涙が出そうでした。こんなにも苦しくて感動の場面がいままでにあっただろうかと思うほどでした。景色を楽しむ余裕がやっと出てきました。雪を被った山々と深緑と新緑のバランスのとれた美しい風景が「これがあの谷川岳なんやっ!むずかしいはずやっ!その分感動も大きいわっ!」と感動の言葉をみなそれぞれに発していました。太陽が出ているのに突然ヒョウが降り始めました。そう言えば中央分水嶺のために天候の変化も激しいと資料にあったなと思いつつ合羽の上着だけをみんなで装着することにしました。低体温症防止も兼ねています。
西黒尾根の山頂で青年と記念撮影を済ませ、トマ・オキの耳に挨拶を済ませ、ひたすら天神平ロープウエイ駅を目指して下山していきます。途中でロープウエイを利用し登って来たという男性2人が私達の登ってきたコースを降りていかれましたがロープも持たずに無茶なことをするなと思いました
いくら私たちの足跡がついているとは言え一歩間違えば底知れない滑落が待っているはずです。無事に通過できたのでしょうか。
資料によると西黒尾根の山頂からロープウエイ駅まで1時間30分と書いていました。その時の時刻は午後1時40分でしたので十分間に合います。しかし「この分だと余裕だね」そんな言葉を一掃するようなきつくて危険な雪渓が私たちを待っていました。白馬大雪渓よりも傾斜のきつい下りを確実にキックステップを切りながら下って行きます。もう膝から下の間隔が疲労で無くなってきた感じがします。「しっかり踏んで行こうぜっ!」そう声を掛けるジョンもかなりの疲れている様子です
昼食用に持ってきたパンを歩きながら食べる場所もなく水分補給で立ち止まる場所もなく早く安全地帯に出て喉の渇きを満たしたいと思ってひたすら下り続けていました。頂上からどのくらいおりたのでしょうか振り返ればきつくて長い雪渓が私たちを見送ってくれているように見えました。
背の低い笹の隙間から木道が見え、とりあえずそこに飛び込み危険地帯から脱出し、木道にへたり込みました。

「終わった〜アイゼン外して長めの休憩を取ろう」行動食を頬張りました。ここで食べたミカンのパックの美味しかったこと!「ここからは木道を頼りに30分もあれば下れるよね」そう言いながらアイゼンをリュックに仕舞いこみロープウエイ駅までゆっくりと下ることにしました。 
 天狗の溜り場 
 熊穴沢の避難小屋で-す  駅舎が見えてきました 此処を下れば駅舎です 
ところが急な傾斜に雪が残り、仕舞ったアイゼンをまた出して危ないところではロープも出しての繰り返しが続きました。「面倒くさい・・・ロープ無しでも行けるだろう」これが滑落事故に繋がるのです。私たちは時間がかかっても面倒がらずに安全を最優先しました。「姫!先に行ってロープを確保してくれ」左下を見ると恐ろしい傾斜が見えており落ちたら命はないなと思う場面が何度も出てきます。「私じゃなくジョンが行けば?・・・」あまりの怖さにボソッと言うと「オレが先に行って万が一滑ったら、姫がオレを止められる自信があるのか?」そう言われると自信がなく立木にシュリンゲ巻きカラビナにロープを通し安全通過を何度も何度も繰り返しました。アイゼンは雪がなければ履いたままでは歩けません。すでに10回以上アイゼンを履いたり脱いだりしています。「めっちゃ短時間でアイゼンが上手に履けるようになったわ」靖ちゃんがそう言うほどでした。「いま何時?」ロープウエイの最終便は午後5時で終了です。余裕の時間だと思っていたのですが滑落防止対策に時間がかかり過ぎてギリギリ間に合うかどうかと言うところまで追い込まれてしまいました。万が一万合わなければシュラフで夜を越さねばなりません。かと言って肩の小屋に引き返すには暗くなってしまいます。頑張って前に進むしかありません。遥か遠くにリフトの建物が見え隠れしはじめました。「もうすぐや頑張れ」時間を見ると午後4時を過ぎています。「間に合うか?」慌てて歩いて転倒し怪我をしたら大変です。「木の根があるよ気を付けて!」「岩が出てるよ気を付けて」逐一安全歩行を後ろに伝達をしていきました。午後4時30分、やっとロープウエイ駅が見えました。助かった!間に合うっ! 
しかしここからの道は草の根ときつい傾斜でいつもなら「尻シェード」で楽しく滑り降りるところではありますが傾斜がきつくて滑ったらどこへ落ちていくかわかりません。ウッチー会長が私たちより10メートルほど前を歩いています。「先に行ってあと3人来るからと伝えて最終便待たせておいて下さい」そんな叶うはずもない希望を叫びながら必死に後に続きますがわずか10メートルほどなのにウッチー会長との距離は縮むことはありませんでした。
ロープウエイ駅構内はアイゼン禁止ですのでウッチー会長に「アイゼン外したらそのまま走って客が来たことを告げてください。
「アイゼンは後から持参しますから」
とお願いして何とか最終便の1台か2台前のロープウエイに乗り込むことがてせきました。
係員のおじさんが「西黒尾根から来た人は大概、肩の小屋泊まりしかできませんよ。あなたたちは早かったですね」と言って下さいました。「もし万一乗り遅れた場合は建物の中にシェラフで夜を過ごす事はできますか?」と尋ねると「建物内は施錠しますので立ち入ることはできません。最終に乗り遅れた場合は特別料金2万5000円支払ってもらえれば運転することはできます」と笑って応えてくれました。じぇじぇじぇ〜!(ギャグが古い〜っ!でもそんな言葉がピッタリでした)  
ロープウエイの中でハーネスを外しトイレに駆け込みました。生き返った気分です。取るものもとりあえずと言った感じで車を動かし、この日の宿である2時間かけて赤城山大沼湖畔にある青木旅館別館に向けて走りました。到着予定時間が遅れることを電話で断り午後7時過ぎに旅館に到着しました。湖に吹く風は途轍もなく強く、車のドアが風圧で開かないほどに吹いています。「4時ごろから吹きはじめましてね。赤城おろしっていうんですよ」テレビのニュースでは26.2mの風速だったそうで車が風で吹き飛ばされるのではと心配するほどでした。この夜は風の音で恐ろしくて一睡もすることができず、夜中に車が無事かどうか点検する始末でした。青木旅館の建物は少し古びれていましたが談話室、女性室、男性室と3部屋も用意してくださり荷物整理したり谷川岳の成功を粛々と語るにはのんびりとしていて落ち着いた宿でした。料理も山菜や鍋物など食べきれないほどの沢山のご馳走でした(それにしてもコンニャク刺身にコンニャク田楽、コンニャクの和え物・・・etc. トホホ)その昔、与謝野鉄幹・与謝野晶子の夫婦や志賀直哉も投宿した明治8年創業の老舗旅館と調べてきましたが、これは別館ではなくて本館の話だったのではないでしょうか。
 ウッチー会長の谷川岳・西黒尾根:ミックス登攀…紀行文
岡本さんの誘い有り、小生は厳冬期に一度ロープウェイ駅⇔山頂のピストンをしており懐かしくお供することとした。実は、出発日は我が摩耶山友会の第40回夏山登山教室の開校日なのである。批判の声を背に出発した。
ロープウェイ1本分登るのであるから、多少の覚悟はしていたが後で大きな間違いである事に気づくことになる。
登山口から、急登が続きあえぎながら登る。この辺は雪の気配も無いのであるが、1時間以上登った頃、最初の雪渓が出現。傾斜もそこそこなのでアイゼン装着する。実は小生今シーズン、アイゼンは本チャンで初めて。雪渓が終わると、アイゼンを外しまたルートへ。
そのうち岩稜帯の傾斜が急になり、ルートも定かでない。何箇所か・為念リーダがロープ゚を出してくれる。その急な凹部に雪渓が出現する。アイゼンをつけて、また岩の上を登るの繰り返しである。あっという間に、夏道時間の4時間が過ぎてゆく。この頃30歳の元気な若者が、我々に追いついてきた。ザックはしっかりしているが、アイゼンは軽6本爪、ピッケル持たずに手袋も無し「皆さんのトレース無かったら、引き返していました」ときた。若さは偉大で我々から先行して、進むが100m先で立ち往生。我々を待っている。雪の壁が越せないのである。岡本リーダは騒がず、ロープを出して2本ピッケルで乗り越える。しんがりを勤める姫が、カラビナを若者のザックにかけるが本人引き上げてもらえると勘違い、姫に「自分で、上がってきなさい。その装備で谷川岳へ来るのは間違いだ」とキツイ説教を受けている。ルートを探しておいで!と送り出す。もうすぐ、天神尾根との出会いの筈。
実に、夏時間4時間のところ5時間は掛かっている。雪渓と岩稜のミックスが終わる頃やっと分岐に到着。若者が、律儀にも待っていてくれた。ロープウェイの最終時刻があり、山頂は諦め長めの休憩を取り、下山に掛かる。2時間故ゆっくりと。ところが谷筋の雪渓は厄介だった。45°傾斜のトラバースが随所にあり、落ちれば終わりである。ロープを出すところも。これでは最終にまにあうのか?とあせることしきり。天神平スキー場の長い斜面を降り、乗り場にたどり着いたときは、20分前。乗り場係員の、「何処から来ました?」に「西黒尾根」と答えると「それは、すごい殆どの人は肩の小屋泊まりで、この時間にここまで来るのは早い」との言葉で疲れが吹っ飛んだ。このコースは初心者は無理であるが、中級の腕試しロープワーク、ミックスの登攀技術を試すには絶好と思われる。摩耶山友会に紹介してゆきたい。
写真と文:美智子姫