第1回
「レスキュー243」の持つ意味は「243富士見」と「243不死身」
●大阪組待機日(3月19日〜3月22日)
本日から4日間は講習会はお休みとなります。さりとて大阪に戻るには日数が短すぎるため、民族大移動モードでテントで待機することに決めました。管理人ファミリーは下山予定でしたが前夜に降った大雨が小屋の中に溢れ、急きょ通路に溝を掘り雪解け水の水路の確保作業に時間を費やしました。早朝はトレーニングに使う岩場の探検をしたり、苔むした岩場の掃除をしたりしました。何十年もの間、金峰山登山口に立てかけた廃材も気にかかり大阪組と管理人ファミリーで廃材の片づけをすることにしました。腐ったシート、壊したトイレの便器や建築器材などが廃棄されることなく小屋に立てかけられていたのです。これらの物は現在の管理人が引き継ぐ前からの廃棄物で無造作に捨てられていることに腹立たしく思いながらみんなで力を合わせて整理整頓しました。午後からは小屋の中の床の板張り作業をすることとなりました。たっちゃんが意外と逞しく(怒られそうやなっ・・・)トンカチを握らせば大工モードになり、包丁を持たせばプロ級コックに変身し、その動作のひとつひとつが入社試験を受けているかの様な雰囲気の中で午後8時やっと本日の作業完了となりました。私達はテント場に帰りましたが前夜に濡れたテントはすっかり乾ききっていました。この日も天体ショーは美しかったです。
20日は管理人ファミリーが麓へ降りて行きました。私達が山小屋の留守番を仰せつかりましたが平日とあって登山者がほとんどいません。ましてや小屋に立ち寄る登山者はほとんどいないため瑞牆山登山口側にあるゴミの山を清掃をすることにしました。大昔に使っていたと思われる壊れた発電機や登山者が投げ捨てたであろうゴミなども撤収し、重くて動かない物は、救助用のロープ、プーリーやセンダーを使い、立ち木を利用して(管理人が見たら怒るだろうなぁ・・・)粗大ごみを引っ張り出すことに成功しました。整理整頓された瑞牆山方面の小屋壁はゴミひとつなくなり竹で柵を作りうつくしく完成しました。あまりの重労働に「テントに帰りたくない」と言うことになり集団で「外泊」することにしました。小屋は私達大阪組3人の貸切状態で〜す!。
「卵がワン・ツー・スリー・・・・・テン!やっぱり犯人はテンやっ!」「でも3個返しに来てるよっ!」盗んで行ったものの重いのか、私達が哀れに思ったのか3個パックに残っていました。せっかく卵焼きとオムレツ作ろうと思っていたのですが、やむなく卵かけご飯となりました。
「食い物の恨みはこわいぜぇ〜!」…見つけたらとっ捕まえて小屋のマスコツトにしようかな?でも、すばしっこくて、テンで歯が立たないだろうね。
それにしても段ボ-ルうまく開けたもんだね。参ったまいった。
●砂糖・・・500g
●きな粉・・・300g
●チューブバター・・・1個
●米・・少々
●お餅・・・1パック
●カップヌードル・・・2個
21日の朝は富士山が美しく小屋から見えています。朝食を済ませ、座学の準備を完了し、岩場の下見に行くことにしました。受講生が安全に待機できるか、懸垂下降に危険個所はないか、枯れ枝の伐採、ルートの確保など予行練習をし第二期の受講生を迎える準備が整いました。一段落ついたことから増富温泉に出かけようと言うことになり林道にデポしている車まで歩き久しぶりに垢落としをすることができました。ヒマラヤ23日間を思えば、たかだか5日間ほどなので風呂に入らずとも命を落とすことはないのですが、地元への貢献も大切な登山者の役目と決め出かけることにしました。里宮坂との交差あたりで丸々と太った狸と遭遇、駐車場ゲートあたりでは10頭ほどのニホンシカの群れを見ることが出来ました。
狸もシカも春が待ち遠しい様です。温泉に浸かり昼食は豪華(?)な山菜蕎麦やらヤマメの塩焼きやらを食べ、地元の老人たちが作ったという「花豆赤飯」を夕食用に買い込み、更に途中のお店に立ち寄り「卵10個、シジミスープ、パン」を購入し富士見平小屋へと向かいました。林道の雪は徐々に溶けはじめており、かなり上の方まで走行することができました。雪国育ちで雪道に自信のあるジョンの腕にも限りがあるようで「あかん・・・ここから歩こう」と、またまた途中から車をデポして山小屋に帰りつきました。今夜のメニューは「花豆赤飯・シジミスープ。キューリのキュウーちゃん」と豪華です。ポッチーが「卵を隠しておかないとテンに持っていかれるぞっ!」と言ったのですが「大丈夫だ〜い!」と、忠告を無視しこの夜もテント場を抜け出して集団外泊です。
23日の朝、異変に気付くのにそう時間はかかりませんでした。卵焼きを作ろうとテーブルの上を見たら置いていたはずのタマゴパックが見当たりません。「ハハーン。忠告を無視してタマゴパックをそのままにしていたのでポッチーがトイレに起きた時、仕舞ってくれたんやな〜」そう思って尋ねると「知らんっ!」と言われました。勿論ジョンにも聞きましたが「オイラ知ら〜ねぇ」じゃあ一体誰がタマゴパックを持って行ったんや?テーブルの上に食材を入れていたダンボールを見て犯人が判明しました。「テン」だったのです。ダンボール箱に身体がやっと入るほどの穴をあけ、卵以外の食糧も持ち逃げされていたのです。
●大阪組待機日(3月25日〜3月27日)
大勢の受講生が下山したのでテントを撤収し小屋泊をさせてもらうことにしました。シートを洗って干し、マットやテントも干し引き揚げ体制が整いました。第三期の準備も整い、初めてぼんやりと1日を過ごしました。管理人ファミリーは麓にある自宅に帰りました。頼りないけど大阪組が小屋番をすることになりました。登山者も多くはありませんがアイゼンを持っているかどうかは必ず聞くようにしました。「持ってますよ6本爪!」え〜っ!6本で大丈夫かなぁ・・・無事下山することを祈りつつ後姿を見送りました。「レスキュー243」体制が整えばもっとハッキリとアドバイスが出来ると思っています。
26日の朝、あたり一面銀世界です。富士山も、ことのほか美しい!小屋の温度計を見るとマイナス13度を示しています。増富温泉に行こうとしていたのですがあまりの寒さに二の足を踏んでしまいました。夕方管理人を訪ねてテント泊の青年がやって来ました。管理人は不在であること、明朝には登ってくることを告げテント泊の受付を済ませました。一度テン場に行った青年が戻って来て理由を聞けば「テントのポールを忘れました!」機種が違えば合うはずもなく私達のテントのポールでは役に立たず、止む得なく素泊まりの手続きに変更しました。更に1時間遅れて76歳の男性が増富温泉でバスをおりここまで歩いて来たと富士見平小屋を訪れました。「今夜はここに泊まり、大弛を経て甲武信に行きたいのだが避難小屋は空いているのかな?」留守番の私達には検討もつかず、麓の自宅にいる管理人に報告しました。「避難小屋は閉まっているはずです。雪も深いです」との回答でしたのでそのままを伝え、明日は荷物を軽くして金峰山往復を楽しんではどうか、もし風が強いと感じた時点で引き返してくるように説得しました。「若い時に甲武信まで行った経験がある」となかなか私達のアドバイスを受け入れるまでに時間がかかりましたが、随分考えてから「じゃあそうします」とコース変更を承諾して下さいました(これもりっぱなレスキュー243やな!)素泊まりという事でしたので料金を預かり、いざ就寝となると「布団がほしい」とのことでした。「えっ?寝袋お持ちでなかったんですが?それでおおだるみと甲武信に行き、夜はどうして寝るつもりだったのでしょうか?」暖かいお茶でもてなしランプの灯りを差し出すと大層、喜んでおられました。それにしても76歳の高齢で単独登山は無理なのではありませんか〜!ちなみに金峰山までは行かずに大日岩まで行きターンして無事下山されました。
 美智子姫:記00