レスキューの現場
 平成21年10月31日(土) これは姫夫婦とのプライベート山行時のセルフレスキューの状況です
平成21年10月31日(土)。JON、姫、ポチの3人で妙義山を山行した時に発生した事故を記したものです。3人の不利益になる事も公にしなくてはならないのですが、読んでいただいた方々の今後の山行のお役に立てばと思い、三者了解のもと記述しました。

群馬県の奇山 「妙義山」は すこぶる快晴、絶好の登山日和だった。6:40 妙義神社登山口から登り始め、白雲岳、相馬岳、金洞山を縦走するべく岩尾根の縦走路をなぞっていた。
7:30 大の字、8:00 奥の院、8:30 見晴らし、9:00 大のぞき、9:45 天狗岩、10:15 タルワキ沢分岐、10:30 相馬岳、10:55 裏妙義分岐、
11:00 茨尾根への下りで事故発生
稜線コース登山口 大の字への登り 大の字にて
見晴らし到着 タルワキ沢分岐 天狗岩
相馬岳への登り 相馬岳山頂 この後に事故発生
11:00 妙義山の最高点である相馬岳を過ぎ、裏妙義への分岐を過ぎて急な下りに入って間もないときだった。JON、ポチ、姫の順で歩き、ジョンは撮影のために10mほど前を歩いていた。
大のぞきを下る頃から後続のパーティが「ラクー」「ラクー」「ラクー」の声を絶えず発していた。その度に立ち木を盾に身を縮めてかわした。一番大きな物は人間の頭ぐらいはあろうかと思う石が四つ五つ谷に吸い込まれるように飛んでいった。
いったいどんな歩き方をしているのか。「登山口には上級者コースにつきロープ携行の事」など注意事項が書かれていたがスニーカーにデイバッグのグループやソロのハイカーが追い越していく。大の字への登りでは力任せに登っている中年登山者もいた。ハーネスを着けヘルメットを被りガチャを腰に装着したソロのクライマーらしき登山者の姿もあった。
「いろいろな登山者が入っている、気をつけてゆっくりと行こう」
そう申し合わせて歩いていった。後続の落石の主らしいグループに追い越さそうとするのだが、彼らも下り坂は不得手なのか ゆっくりと歩いて追い越してはこない。
姿が見えるか見えないか位の距離で歩いてくる様子。相馬岳の上で昼食にしようかと考えたが昼食にはまだ早く、後続も来る様子がなかったのでそのまま進行した。
裏妙義への分岐を過ぎて急な下りに入って間もない頃、再び「ラクー」「ラクー」の声が聞こえ始めた。
JONが後ろを振り返り、
「後続が来てるぞー。気をつけろよー」 
大きな声をかける。姫もポチも
「了解」
の返事。しばらくして
「ちょっと待ってー。やったみたい。肩が動かへん」
「ここにタナがあるから10mほど降りてこられるかー」
とJONからの指示。棚まで降りて少しトラバースをしてルートを外れて状況を見る。
@
「右肩をいためたみたい」と顔を歪めて姫が訴える。
ザックを降ろして両肩を対照的な状態にして目視してみる。右肩が下がっているように見える。触ってみると突起が出ている。
「肩が抜けてる。脱臼してると思う。入るかどうか解らないけど一度だけやってみるから奥歯噛み締めて」
そう言っておいて、肘と上腕を上に持ち上げてみたが、姫の顔が苦痛に歪むだけで何の効果も無かった。
その間も数組のパーティが通過していったが声を掛けてくれるパーティは無かった。
私の脱臼の経験は小学生の時に肘を一回、中学・高校で柔道をやっていて3回あった。骨折、ヒビ、捻挫、亜脱臼と数えきればキリが無い。骨折したまま患部に自転車のチューブを巻いたまま試合を続行したこともあったし、後日医者に行って骨折やヒビと解った時もあった。中でも一番痛いのは脱臼だった。小学校のときの脱臼は完全に失神してしまい、近くの医者に行くまで何も覚えていなかった。柔道の試合中に肘の脱臼をしたとき、目先が真っ黒になったことを記憶している。脱臼は骨折よりも始末が悪い。今でも時々睡眠中に亜脱臼を起こし自分で入れるているがこの時の痛さも半端ではない。
ずいぶん昔の話だが大峰で子供の肘関節を入れた事があった。この時は、引ぱって入れる方法でいけたが、押し込んで入れるとなると素人では無理だろう。その間子供は大声で喚き散らしていたが、入ったと感じた瞬間泣き止んだ。すぐに医者に行くように告げて別れた事を思い出していた。
姫も喚きたいほど痛いだろう。
あとは仮固定をして医師に委ねることになる。降ろす方法としてはヘリコプターによるレスキューかセルフレスキューしか方法が無い。
姫にその旨を伝えると「自力下山をする」と言う。
「かなり痛いぞ。痛さに失神する場合もあるぞ」
「頑張る。自分でやったことだから迷惑は掛けたくない」
「そうか、自力下山を試みるか」
「うん」
シュリンゲで右腕を仮固定をしておいて、落石を避けて倒木のうえに座らせてから対策を練る。自力下山をするとしてエスケープルートをどこに取るかだ。


この場所から考えられるエスケープルートとして4本のルートが頭に入っていた。
@今来た道をトラックバックして戻る方法。
Aこのまま茨尾根を降り、ホッキリから中間道にでる方法。
B相馬岳を登り返して、タルワキ沢分岐から中間道に降り妙義神社に戻る方法。
C少し戻って西側に派生する国民宿舎「裏妙義」に出る道、相馬道をとる方法。

この4ルートが考えられたが@のトラックバックする方法は、登ってくる登山者とバッティングする確率も高く、ルートが長い。しかしルートは今来たばかりだからよく解かっている。考えている最中に二人の男女パーティが登ってきた。この先のルートを訪ねると「この下がきつく、道もかなり荒れているため怖くなって戻ってきた」という。Aの方法も無理か。BとCは登り返さ無ければならないため取り敢えず登り返して国民宿舎「裏妙義」への分岐までもどることにした。
A
この日の限って三角巾も晒し布も携帯していなかった。薄手のジャンバーを使って腕を吊り、タオルをクッションにする。ジャンバーの伸びをなくするためにシュリンゲでさらに固定。スタッフバッグを使って腕の揺れを防ぐようにする。痛み止めのロキソニンを2錠服用させる。液状バンテリンを肩に塗りこむ。水をかけてアイシングをしてやりたいが、下山中必要以上に飲料水を求めてくるかも知れないため、バンテリン塗布だけにする。

登り返しを始めて間もなく4人組のパーティと出会う。話してみるとリーダーは妙義には数回は来ているらしかった。タルワキ沢分岐から中間道に降り妙義神社に戻る道と国民宿舎「裏妙義」に降りる道を聞いてみた。
「タルワキ沢分岐から中間道への道は知らないが、国民宿舎『裏妙義』からの道は今登ってきた」という。時間は3時間ちょっとかかってるとのこと。危険箇所は鎖場が5〜6箇所あった、長いところでは50mに達するところが3箇所、30mほどのトラバースの鎖場が1箇所、あと2〜30mの鎖場が数箇所はあったように思うとの事。かなり有力な情報を得る事ができた。
国民宿舎「裏妙義」への相馬道を下ることに決定。
「距離は長いが人も少ないようだし、この道を下ろう。途中鎖場の通過は辛いと思うが頑張っれるか」
「うん。頑張る」
いつもの姫の口からは想像も出来ないくらい、かぼそい返事。不安なんだろう。
姫の荷物のうち幾つかをポチに渡し、残りの入ったザックをJONのサックに括りつけた。
「よし。行こう」
この一言は、これから3時間半にも及ぶ長い苦闘の始まりだった。

まず尾根から降り始めるにあたって急傾斜のガレ場の下りだった。
「ここはロアーダウンで行くからね」
姫のハーネスにロープを結び立ち木に支点を取ってATCでゆっくりと降ろす。
「振られないように気をつけてね」
「大丈夫」

やがてルートが曲がり姿が見えなくなる。ロープを伝わってくるスラックとテンションで何とか動きを感じ取る。
「降下点に到達しました」
「了解。ポチさんロープ抜いて」
そう下に声を掛けてクライムダウンしていく。
「お疲れさん。どうだ腕は痛まないか」
「大丈夫が我慢できる」
「了解。その下に鎖場が見えるから、其処もロアーダウンでいくね」
「うん」
「そこまでゆっくりでいいから行こう」
ロープを肩に巻き姫との間を3mほど開けてショートロープビレイで進む。初めての鎖場上部にすすむ。かなり長そうな鎖場である。ここも立ち木に支点を取りロアーダウンでゆっくりと降ろしていく。左に振られたら岩場から外れて宙ぶらりんになる。
「ポチさん、姫の横で振られないようにサポートしてやって」
「了解」

「降ろすからね。姫、できるだけ鎖から手を離さないようにね」
「大丈夫、頑張る」
やはり此処も途中から姿が見えなくなる。
「ゆっくりでいいよー」
「はーい」
少しづつ降ろしていく。
「ちょっと止まってもいい。テンションかけて。痛いねん」
「ゆっくり休んで、痛みが取れてから動けばいいよ」10秒か20秒ほど痛みに耐えているようだがその姿を確認することができない。
「ポチさん。姫の様子はどうやー」
「大丈夫みたい」

「大丈夫よ 頑張ってるから」
姫の搾り出すような声が届いてくる。
「おーい。ポチさん たのむでー」
「了解」
「降ろしてー。大丈夫」
姫からの返事。
「了解。ロープの残りが少ないから足場の良いところがあったら止まってー」
「はーい。もう3mほどでタナがあります」

「了解。ゆっくりでいいよー」
「到達しました」
「自己ビレイ取れる?」
「手の向きが悪いから無理でーす」
「ポチさん姫の自己ビレイとってー」
「了解」

「立ち止まれるから大丈夫よー」
「よし。ちょっとまってて、ロープダウンするから注意してねー」
そう声を掛けてロープダウンしておいて、自分はクライムダウンして姫のところまで降りる。
「まだまだ鎖は長そうやね。同じ要領でもう一度降ろすからね」
「振られたらどうしようと思うとちょっと怖いわ」

「もう一回我慢して。ここを過ぎたら方法を変えるから」
「うん」
再度ロアーダウンを始めどうにか鎖場の下に到達するまでに20分以上要していた。
約50mを5ピッチくらいに切ってあったようだ。
「少し休もう。大変なのは解かるけど頑張ってね」
「うん。ロープより、いつもヘバッた人をサポートしている方法では無理かなあ」
「そうだな。ロープはお互いの姿が見えなくなるしシュリンゲに切り替えようか」
「シュリンゲのほうが安心できるわ」
「ポチさーん。どこー」
「少し下ー」
とポチからの返事。
「そのまま、そこで止まっていてー」
「わかった」
ポチさんの待つ所までロープを繋いだまま歩き、そこでシュリンゲに変える。姫側をガースヒッチでハーネスに結び 私の方を環つきカラビナで止めた。
ここで外した姫のロープをポチさんに持ってもらい 再び下山開始する。
B
下山開始してから1時間ほど経った頃から姫が急に立ち止まり座り込む回数が増えてきた。その度に液体バンテリンを塗布し、お茶を飲ませる。
「動けるようになったら動いて。辛くても一歩動いたら病院に一歩近づくということやからね。時間がかかってもゆっくり行こう」
「大丈夫 動けそう」
二人はまた歩き出す。最初シュリンゲ120cm2本繋いでいたが姫が滑ったとき咄嗟に反応するのが遅れる。改めて120cmと60cmに繋ぎかえる。このほうが反応が良い。これならシュリンゲを掴まなくても腕で引き上げれば尻餅をつかすことは無い。

50mほどの鎖場の中も繋いだまま下る。姫が
「テンション掛けて」
とコールしてきた時は自己ビレイのディージーチェーンを鎖の駒に掛けて上で踏ん張りテンションが掛かったまま腰を下ろしていく。
「行けました」
「慌てなくていいよ。ゆっくりでいいからね」
自己ビレイを外しディージーチャーンを鎖にぐるっと巻いて、姫の降下速度に合わせシュリンゲのスラックをとった状態で降りていく。これなら万が一滑ったとしても鎖のスパンで止まる。片手でのクライムダウン、私自身実際には経験が無いが大変な動作だと思う。それも痛みと闘いながらムーブを作って行かなければならないのだ。鎖場の中、ガレ場の中、岩場の中など悪状況は延々と続く。
「うーっ」
呻き声を発してその場に座り込み顔を歪めて痛みと闘っている。幸い顔色は悪くない。いつもの血色だ。
あまり痛みと闘う間隔が短くなってきたため、ロキソニンを一錠追加服用させる。
液体バンテリンを塗布する。お茶を飲ませる。腕を吊っている布を締めなおす。それ等を繰り返しながら進んでいく。痛みが激しい時に物を食べさせると吐く事があると聞いていたため食べ物は口にさせなかったし、本人からの要求も無かった。
13時15分。岩壁の穴から支尾根の岩峰群が望める場所に来た。
「カメラ、カメラ。此処写真とって」
突然姫が声を発する。
「此処を逃したら何処の写真を撮るの」
「あんた プロデューサーか」
「そうよ」
そういう声は元気はつらつとしていた。おそらくこの脱出劇の中で唯一痛みを忘れた時ではなかっただろうか。
ここを過ぎてから12mほどの岩峰登りが2箇所あった。最初の岩峰は横から腰を支えるようにしてバランスを取りながら登り、次の岩峰登りは三歩ほど先を登ってシュリンゲでサポートして登った。

国民宿舎「裏妙義」の建物が見え隠れするようになった頃、最後の鎖場に到達した。上部は難なく降りていったものの下部の1mほどが宙ぶらりんの状態になった。
「大丈夫、シュリンゲをゆっくり降ろすから信じて」

裏つづみ岩・仙人窟・はさみ岩を望む
此処に来るまで何度かこんな場面があった。岩場をズルズル摺らせて降ろした。1mの距離でも摺り下ろされる方にしてみれば気持ちの良いものでは無いだろう。今までは何とかいけたが今度ばかりはどうにもならないようだ。幸いこの時ポチさんが後ろを歩いていたため
「横から先に回って手を貸して。気をつけて岩を巻いてね」
ポチさんを踏み台にしてどうにか着地成功。さかんに痛がるポチさんに対して
「摩耶の山岳会の会長さん、御在所の前尾根のやぐらでワシの肩踏んで上がれって言って踏ませてくれたわ。それぐらい我慢して」
「……」ポチさんは絶句していた。

「あとどれくらいかかりそうかなあ」
「あと1時間ぐらいで降りられると思う」
「あと1時間で降りられるって言うておいて、30分で降りられたら私が喜ぶと思ってそう言ってるんやろ」
「良いほうに解釈するなあ。いずれにしてもあと少しや、ガンバロ」
この頃から10歩ほど歩いてしゃがみ込むようになってきていた
「こうやって座ったら楽やねん」
「ええよ。時間は充分有るからゆっくり行こう。ここまで頑張ったんやから弱音を吐いてもええよ」
「痛いけどなんとか頑張るから。腕が痛いねん少し揉んで」
「そんなん遠慮せんでええ。揉んで痛くはないか」
「揉んでもらったら痛みが和らぐわ。 ありがとう。 歩けるわ」
そんな状態を繰り返しながら下っていく。この頃から幾分空模様が悪くなってきた。

「あんた。先に下りて救急車呼んどいて」
「救急車なんか呼ばんかてタクシーで行こう」
「今日は土曜日やし 何処の病院が 受け入れてくれるかどうか 解からんやろ」
「そうやなあ」
納得したポチさんは さっさと下っていった。

その後を 歩いたり座り込んだりの状態を繰り返しながら尾根の末端から 沢筋に降りついたところでタオルを水に浸したっぷりと肩にかけた。その冷たさで痛みが和らぐようだ。その勢いで歩くものの10mも進めない。肩を揉み、お茶を含ませて休ませる。10mおきに繰り返すような状態が続く。下の道路を行く車が見える。ハイカーの姿が見える。もうすぐだペットボトルのお茶を少し残して肩に掛ける。
「最後の踏ん張りや、がんばれ」

そんな時木立の中から聞きなれた声が聞こえてきた

「もうちょっとやどー、ガンバレー」
下からポチさんが手を振っているのが見える。 着いた。 腕時計に眼をやると3時01分。3時間半掛かった。 よく頑張った。
「もうすぐ救急車が来るからな」
ポチの一言に
「ありがとう」
と礼を言うなり その場に 崩れるように座り込んで 動こうとしなかった。
どうにか脱出できた。しかし、ここで気を緩めるわけにはいかなかった。
C
谷間の道を走ってくる救急車のピーポー音が聞こえてくる。その音ははっきり聞こえたり聞こえなくなったり。尾根の末端を縫うように走ってきているのがわかる。その時間は10分にも20分にも長く感じた。

救急車に乗ると救急救命士は手早くヘルメットを脱がせ仮固定しているジャンバーを外して新しい三角巾で固定をしなおしてくれた。
車中において住所、氏名、生年月日を聞かれ。事故の状況、ファーストエイドの状況を聞かれる。つづいて服用薬は、病気は、手術の有無など
心拍数や血圧の測定装置をつけるとその数値がモニターに現れる。
その間助手席の救急隊員は電話で病院と交信している。
「61歳女性、山で滑って右肩を脱臼したもようです。受け入れていただけますか」
「そうですか。ダメですか、解かりました」
このような交信が3回繰り返され、救急車は国道の手前で停まった。行き先が決まらなければ左右どちらにハンドルを切れば良いのか決まらないのである。
「受け入れてもらえるところが無かったら どうするんですか」
姫が不安な声を発する。
「心配要りませんよ。われわれは必ず探して どこまででも運びますから」
救急救命士の声は心強かった。

4軒目の交信で受け入れ場所がきまった。
「富岡市の公立富岡総合病院に搬送します。だいたい20分ほどで到着します。我慢してくださいね」
「足でなくてよかったです。ヘリコプターを呼ばずに自力で下山できてよかったです。でも最後は救急車のお世話になってしまいました。土曜日でしかも土地勘もないことから、主人が先に下山して国民宿舎に駆け込み救急車の要請してもらいました。その間に重病の患者さんが出ていたらと思うと申し訳ない気持ちでいっぱいです」
その気持ちを救急救命士に伝えると
「そういう気持ちで要請していただきましたら 私達は喜んでお手伝いします。ご心配要りませんよ」
そう言っていただいた一言に救われた思いがした。

救急車はここからピーポー音を鳴らし、交差点ではサイレンを鳴らし、音声で周囲の車に注意を促しながら進んで行った。
松井田妙義ICで高速に乗り富岡ICを出て16:00 公立富岡総合病院に到着

公立富岡総合病院の対応はすごく良かった。
担当医の松原先生の問診に始まり、処置の方法を話してくれた。
@ベッドにうつ伏せになり、外れた腕で10kgの錘をもって入れる方法。
A力で引っ張って入れる方法
B全身麻酔をして入れる方法

「この3ッの方法がありますが いずれにしてもレントゲン写真を見てからになります」
脱臼した状態の右肩関節 加療後の右肩関節
医師は問診表を見ながら、
「うん、11時半の事故。そーか。 エエーッ。 相馬岳から自力下山?。 その肩で。 すごい根性だなあ。 痛かっただろう。 よく頑張ったなあ。 しかし凄過ぎるなあ」
看護師さんも
「私も山は好きでよく登るけど妙義だけは嫌。相馬岳から自力下山なんて考えられませんわ」
そう言いながら二人で目を合わせて驚いていた。

レントゲン室でハーネスはJONが外したが、シャツやブラジャーは切って外しますとのこと。
「看護師さんこれを切って外したら着て帰るものが無いんです」
そう訴えてみる。
「そうね。金属が付いてないようだしこのまま撮影してしましょうか。いけますよね」
レントゲン技師に尋ねる。
「大丈夫でしょう。やってみますね」
技師はフィルムカートリッジを肩の下に入れてエックス線照射をした。そう時間を置くことも無くモニターに画像が現れた。
その時、松原先生が入ってきてモニターを確認
「ああ。前側に外れてるね。ベッドにうつむいて錘を持ってみようか」
言われるままにうつ伏せになり錘を持った。痛い。肩に激痛が走る。医師は肩を揉みながら入れようとするが一向に入る気配が無いようだ。
「だめだね。もっと痛いと思うけど引っ張って入れるね」
看護師さんとレントゲン技師に
「しっかり抑えておいて、患者をベッドから落とさないようにね」
ベッドに体を押さえつけておいて、肩と腕に思いっきり力をかけて捻りあげた。ボキッと音がして楽になった。
「先生入りました。楽になりました」
早く手を離してもらおうと思い、そう言ったのに、医師はまだ揉み続けている。さらに確認しているのだろうか。
「よしっ。これでレントゲンを撮ってみよう」
再びレントゲン撮影をして、モニターを確認する。
「もう少し入り方が甘いなあ。もう一度痛いけど我慢をしてね」
再びベッドに押さえつけられて肩に足をかけた状態で捻り上げる。コクッ軽い音がする
「入った。先生入りました。今度は大丈夫みたいです」
医師の額は汗びっしょり。
「もう一度レントゲンをとって確認しよう。これでだめなら全身麻酔をかけて入れるね」
「えー。ということは 入院ですか」
「そう4、5日ね」
「わー大変。どないしょう」
そう言いながら照射して出来た画像をモニターで見る。
「大丈夫。綺麗に入ってるよ。少し骨の粉砕が見られるけど大丈夫でしょう。良かった良かった。しかし あなた肩の筋肉がしっかりしていて 入りにくかったね。何か運動やってる?」
「登山と岩登りです」
「クライミングかあ。どうりでしっかりしているはずだ。クライマーさんかぁ、自力下山してきたのも頷けるね」
松原先生のおかげで脱臼した肩はもとに入りあとは日にち薬と リハビリということになった。
医師、看護師、レントゲン技師、事務局員と多くの方に迷惑をかけたが無事に終わった。
大阪の病院への紹介状とレントゲン写真のCD−ROMを預かり、丁寧にお礼を述べて病院を後にした。
17:00 ポチが回送した車に乗って国民宿舎「裏妙義」に向かう頃には とうに陽が落ち あたりはうす暗くなっていた。
       事故発生から 6時間も経っていた。

縦走予定ルート エスケープルート イラストマップ

何とか自力下山をしたものの この救助はいろいろな問題を残したと考える。
ジャンバー、シュリンゲ、タオル、スタッフバックなどで応急処置をしたが更なる工夫が必要だった。
・腰にシャツやフリースを巻きその上に腕を置く方法。
・ありったけの衣類で肩や腕をガードする方法。
ヘリコプターを要請するべきではなかったか。
・危険箇所が連続する場所だけにセルフレスキューに携わる人員が少なすぎる。
・危険箇所において 他のパーティ員をサポートしてやれない。
・下山完了まで時間が掛かりすぎる。ヘリコプターによるレスキューなら1時間後には治療が終わっている筈。
食事を摂らせなかったが、軽い嗜好品でも口にふくませるべきだった。
・水分は充分摂らせたが、食事は摂らせなかった。キャラメル、果物など少しでもとらせるべきだった。