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| 10/30 チュクン〜ディンボチェ | |
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| パルスオキシメータの数値が良くないためベースキャンプへ入るのを断念。チュクンでメンバーと別れリーダーのチャーチットとポーターのサントシの3人で行動することになった。 | 
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| 昨日はディンボチェから重い足を引きずりながら、このローチェの良く見えるところまでやってきた。ローチェ氷河から流れ出る川の畔に立ち、明日はベースキャンプに入るアイランドピークの山容を遠めに見ながら感慨にひたった。 しかし体調が一晩で一変。もうここから上に行く脚力も気力も失せていた。もうイムジャ・コーラの流れに逆らうことはない。流れに沿って下っていくだけかと思うと少々寂しい気がする。 他のメンバーも顔には出さないがどこか寂しそうだ。 朝8時30分ベースキャンプに向かう本隊は寂しさを吹っ切るように出発していった。もう追っかけることは無い。  | 
    
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| 重い足を引きずるようにしながらディンボチェへ下っていく。今日からチャーチットがトレッキング・リーダーでサントシがポーターをしてくれる。本来なら彼らもベースキャンプへ行きたかったのかもしれないが、そんなことは微塵も顔に出さない。いつもニコニコしていてくれる。この笑顔が傷心の自分を勇気付けてくれた。 | ||
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| タウチェ、アマダブラムを良く目に焼き付けながら下った。ディンボチェへは下り道が多く案外楽であった。 午後2時30分。ディンボチェに到着。人が少なく、寒いのでベットで昼寝。夕食は美味しく食べれた。  | 
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| ディンポチェのロッジで宿泊 | |
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| 10/31 ディンボチェ〜パンボチェ | |
| ディンボチェを午前8時30分に出発し、下りだからという頭があるので案外スムーズに歩行できた。アマダブラムに向かうルートにかかる橋を、はるか眼下の谷底に見ながら、パンボチェの下の村と、上の村を分ける分岐まで50分で到達したことになる。現在9時20分、思ったより早く歩けている。 | |
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| 分岐にあった黄色い大きな看板とステンレスの看板。ステンレスの看板に書かれたPANBOCHE(4000M) ←の下に20MINの文字。ここからパンボチェまで4kmの距離を20分でいけると言うのか。信じられない気持ち。私の解釈ミスなのか。しかしまんざら違ってもいないだろう。現地のポーターさんの足取りを見ていたら、空身なら楽に登っていくだろうな、それもサンダル履で…とも思えてくる。  ここからティータイムの休憩地まで、わずかな登りだがゼェゼェハァハァと苦しさが続いた。苦しさに耐えて登った。御褒美なのか、このロッジのテラスから見ると、アマダブラムが真正面に見えとても綺麗だった。  | 
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| パンボチェは、エベレスト街道・メインルート沿いの下村と、ゴンパ(寺院)の有る上村に分かれる。上村のほうが大きく静かな感じがする。 | |
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| 昼ごろになるとアップダウンが多くなってきた。咳が多くで出して歩きづらくなってくる。チャーチットとサントシの励ましを受けながら、足を引きづるように一歩また一歩。体重の半分くらいがストックにかかったような気がして歩きにくい。 昼すぎディンボチェから4時間かけてパンボチェに到着。渓谷と山並みが美しい。静養のため昼寝。  | 
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| パンボチェのロッジ泊 | 
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| 11/1 パンポチェ〜ポルチェ | |
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      パンポチェを午前7時30分に出発。 ポルチェへの道は山肌を舐めるように等高線上を辿り、平地の様に見えるが、実際に歩いて見るとアップダウンが以外ときつい。 登りになるとどうしても息が上がってしまって休む回数が多くなる。 人のことなど考えられる状態では無い筈なのだが、今日ハイキャンプに入る本隊の事が気になる。 空を箒で掃いたような雲が少し気にかかる。 明日、天候が崩れなければ良いのだが。  | 
    
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| 途中、カンテガとタムセルクが良く見える場所で休憩がてら座り込んで絵筆を取ってスケッチとしゃれ込んでみた。これが案外良い。疲れている体のことをすっかり忘れ集中できる。 | |
| また歩いていては目に止まらない山襞の強弱や、谷に落ち込む沢筋のきつい傾斜など、手に取るように解る。  すべてのことを脳裏から外し心の趣くままに絵筆を走らせた。  | 
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| 4時間少しでポルチェに到着。ヘリポートもあるゆったりとした町。トレッキングガイドのマッチンドラー氏は来年2月、クライミングガイドの講習を受けるためにポルチェに行くと言っていたがここのことなのか。 ヒマラヤのガイドたちはここで訓練を受けて一人前になっていくのだろう。 日本人の高見氏に出会うが体調を悪くしてヘリコプター搬送されると言う。ガイドとあまりうまくいってない様子。  | 
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| ポルチェのロッジ泊 | |
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| 11/2 ポルチェ〜クムジュン | 
| 今日は本体のアタックの日。時計に目をやると午前8時を回っている。たしか午前1時にハイキャンプを出発する予定になっていたので、もう氷河の中にいるのだろうか。うまくいけばもうサミットを踏んでいるかも知れない。 全員無事に登頂できれば良いが。 気になるのは姫さんとジョンさん、チュクンで別れる朝も食事が喉を通らないといっていた、体力がもてば良いのだが。ルクラから歩き始めて10日近く、朝晩食事を受け付けないと言いながら、ゆで卵とジャガイモを主に食べていたようだった。昼は決まってマンゴージュース、そのほかの物は、ほとんど口にしていないようだった。飲み物は充分飲んでいるようだったので、それだけが傍で見ていてすくいだった。小生が差し出した日本から持ってきたメザシを美味しそうに食べていたのが印象的だった。 時間がたてばマッチンドラー氏からチャーチットに電話が入ってくるだろう。  | 
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| この日はクムジュンまで行く。ポルチェから見たら対岸のポルチェテンガはかなり降りる感じに見えた。しかし其処に到達するためには一度谷底にかかるつり橋まで降りなければならなかった。この登り返しが一仕事あり大変だった。さらに厳しかったのは、途中のムングと言う集落で420bあがるのに4時間かかってしまった。 風邪に加え喘息も出てとても苦しかった。 昼前、本隊がアタック成功したとの連絡を受ける。良かった。チャーチットとサントシとともに手を取り合って喜ぶ。ついにやったか。あとは気をつけて、無事にベースキャンプに戻ってくれるのを祈るばかりなり。  | 
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| ムングからは下りのみと思っていたが、これがかなりきつく辛かった。さらにクムジュン手前で登りがきつくなり、喘ぎながら登った。 | 
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| カンテガとタムセルク | |
| 16時15分ロッジ到着。 クムジュンはシェルパ族の神の山・クンビラの南斜面に広がる村。やや高度は下がったとはいえクムジュンの標高は3790mで富士山の山頂よりも高い。 この日はまったく食欲なし。ロッジに着いて、静養のための1時間昼寝をした。寒い。とにかく寒い。  | 
    
| (クムジュン泊) | 
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| 11/3 クムジュン〜シャンボテ | 
| クムジュンのロッジは、ドルでの支払はOKとのことであったが、翌朝になるとドルは使えないと言うトラブル発生。交渉ののちドル支払可能となった。 クムジュンを午前9時40分に出発。エベレストビューホテルまで1時間かけてゆっくり登る。  | 
    
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| エベレストビューホテルのテラスから見るポルチェの町はタウチェの麓に広がるように見え、素晴らしく感じた。 | ||
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| エベレストビュー | 
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| 昨夜は疲労のあまり食欲が無かったが今日はリッチに豪華ランチとしゃれ込んでみた。1時間かけてエベレストを眺めながらのランチである。メニューはチキンかつ丼とケーキを食べた。 昼食費としては4540ルピー支払う。奥さんに知れたら大目玉を食らうかもしれない。でもこれで元気回復。 エベレストビューホテルは満員のため宿泊できないので、少し下ったところに有るパノラマホテルで宿泊することに決める。 エベレストビューホテルからパノラマホテルへは僅かな時間で到着。 チャーチットとサントシに、パノラマホテルに同宿をするように勧めるが「ナムチェで泊まって明日の朝早く上がってくる」と言い、かたくなに同宿を拒否する。しかたなく一人で泊まる事にした。 その後1時間静養のための昼寝。  | 
    
| パノラマホテル宿泊 | 
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| 11/4 シャンボテ〜ナムチェバザール | 
| シャンボテを午前10時に出発。ゆっくりゆっくり歩いたが、1時間ほどでナムチェバザールに到着。 此処までくると何となく安心。明日の夕方には本隊がこのナムチェに到着するはずである。今日はロッジでゆっくりして、明日は医者にかかる予定。  | 
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| シャンボテの飛行場には大型のヘリコプターの機影が伺えた。 | |
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| ナムチェには立派な商店街があり、人力だけで材料を担ぎ上げて作ったのには驚きである。 | 
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| 登り坂を歩かなければコンディションは良い。今晩はヤクステーキを食べよう。 | 
| ナムチェバザールのロッジに泊 | 
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| 11/5 ナムチェバザール滞在 | 
| 朝食のあと、診療所へ向かった。 ナムチェの町は馬蹄形の緩い谷間の傾斜に形成されている。診療所はその一番上に位置していた。まだ新しい建物だ。受付で看護婦らしき人に申し出ると、此処の規定で最低80ドルはかかるが持っているかと言う、「大丈夫、金はあるという」と女医さんが出てきた。 此処一週間の症状を詳しく説明すると聴診器を当てられ、脈拍をとられ、血圧を測定され、咽喉、鼻腔を診察された後、診断が下った。 「すぐに酸素吸入をうけなければならない」といわれベッドに横たわって酸素吸入をうける。 「次に肺の感染症にかかっている恐れがある」と診断され、ヘリコプターをすぐに呼ぶからカトマンズの病院にかかった方が良いとの見解。  | 
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| 早く降りるに越した事は無いが、ちょっと唐突過ぎはしないだろうか。 今日の夕方、本隊がナムチェバザールに帰ってくるからそれからの返事にしてくれるようお願いする。 その後は医師の診断に従う事にして、病院への支払い90ドルを払いロッジに戻った。 この日の夕方5時前、本隊がロッジに到着。アイランドピーク登頂と無事の生還を心から祝った。  | 
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| 11/6 ナムチェバザール〜(ヘリコプター)〜カトマンズ | 
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| 医者との電話交渉の結果、ヘリコプターでカトマンズに運ばれることになった。日本と違って簡単にヘリコプターを出してくれる、まるでハイヤーだ。ただしお金次第。同乗するロッジのオーナーとマレーシアに留学するという息子。ヘリコプターの運航料は等分に割るようだ。ということは飛来するヘリコプターはレスキューヘリではなく、民間の航空会社のものなのだろう。料金が気になるところだが当方は保険会社の支払いのため不明。 午前7時に朝食を終えロッジからチャーチットとサントシの肩を借りてナムチェのヘリポートへ。 チャーチットはヘリコプターでカトマンズの病院まで付き添ってくれるが、サントシとは此処でお別れだ。寂しい。 7時40分飛来したヘリに乗って空路カトマンズ空港へ。所要時間43分。 待ち受けていた救急車で病院へ。検査が必要という事で入院となった。 採血・触診・検尿・検便・X線検査を受ける。 ●11月6日は、本編と併せてご覧ください。  | 
    
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| カトマンズの病院に入院 | 
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| 11/7 カトマンズ滞在 | 
| 次の日、採血・検尿・検便・X線検査の結果が良いので退院OKということになった。 しかし、退院OKと言う医者と退院NOという医者が出てきたためすったもんだする。 どうにか退院の許可が出て、タクシーにてAIUの指定するホテルへ移動。  | 
    
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| ホテルでの夕食にラーメンと焼き飯を食べる | 
| AIU指定のホテルに宿泊 | 
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| 11/8 カトマンズ滞在 | 
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       今日は本隊がルクラから空路カトマンズへ帰ってくる。 
      本隊と合流のためホテルを「カトマンズ ホテル・SAMSARA」に移動。 チャーチットと庭先で到着を待つことにした。  | 
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| ●11月8日は、本編と併せてご覧ください。 | ||
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