那須岳・三斗温泉小屋 2018.08.02

 
那須の秘湯・三斗小屋へ
日本百名山のひとつ「那須岳」は既に登頂済みなのですが、三斗小屋温泉という場所が近くにあり、いつかは行って見たいと思っていました。フェイスブック上で岳友が三斗小屋温泉の写真をアップする度に行って見たいと言う衝動にかられていました。日本百名山では山頂を踏むことを主たる目的としていましたので、すぐそばに三斗小屋温泉があっても眼中に入らなかったのです。ひょんなことから「三斗小屋温泉行きたいなぁ」と宇都宮チームと話をしていたら「行こう!行こう」と急きょ決まりました。 
大阪を夜9:05に出発 高速バスでは珍しい荷物引換券 宇都宮駅前到着だあ やっぱ宇都宮は餃子だあ
大阪21時05分の夜行バス「とちのき号」に乗ると翌朝、宇都宮駅前に午前7時に到着です。
夜行バスの車内は三列シート、カーテンで外の灯りを遮断しているので快適です。ぐっすり眠れるのですが時々背中が痛くなりあっちゴロゴロこっちゴロゴロ・・・。

宇都宮駅に到着すると出迎えの二人を見つけました。「お久しぶり~!」今回はポッチーも同行しています。とても登山は無理ですがロープウエイで山頂駅まで行き、雰囲気だけでも楽しんで貰いたいとのみんなの熱い勧めもあって、とても嬉しそうです。
モーニングを済ませるとTomoちゃんは仕事に行きました。大谷石で有名な地下30mに広がる神秘の巨大空間と言われている大谷資料館を見学することにしました。
私達は仕事前のRijuの運転で、宇都宮市内を案内してもらいながら、凡そ30分で大谷資料館に到着でーす。
▼石の里「大谷」 地下採掘跡 公開   大谷資料館
下調べで洞窟の中は冷蔵庫と同じ温度らしいので防寒対策をして行きましたが半袖だと寒くて耐えられないと思います。
大谷資料館は大谷石の採掘の歴史がわかる資料館なのです。展示場には採掘が本格的に始まった江戸中期から昭和34年頃までの手堀り時代の道具や採掘方法、運搬の移り変わりなどの資料を展示してます。この資料館の圧巻は何と言っても地下採掘場跡。そこは2万平方メートルにも及ぶ大空間で、深さは30m、最も深いところでは地下60mもあるという巨大な地下空間で、通常坑内の平均気温は8℃前後。切り出された石は約1000万本で、まさに地下の巨大な建造物といった感じです。
このほか、コンサートや演劇、ショー、能楽な どの会場にもよく利用されているそうです。
坑内の平均気温8℃の洞窟から出ると暑いのなんのって・・息苦しくてたまりません。せっかく来たのだからと暑さに負けることなく歩いてすぐのところにある大谷観音、平和観音にも行くことにしました。平和観音は太平洋戦争の戦死者を追悼するため、終戦後間もない昭和23年から6年かけて大谷石採石場跡の凝灰岩層壁面に総手彫りで彫られた像高88尺8寸8分(26.93メートル)、胴回り20メートルの石造観音菩薩立像なのです。像の前は広場となっており、平和観音像を目前に見ることができます。像の周辺には長い階段があり暑いけれど、せっかくここまで来たのだからと上がってみることにしました。間近で見ると大きさもまた格別で、像上から大谷の町を見晴らすこともできました。 
 大谷景観公園  大谷寺
大谷寺
平和観音
バスで宇都宮駅に戻りランチを済ませて岳友のリジュ君に迎えに来て貰い彼の経営する会社でロープワークをしながら、夕方の合流時間まで過ごすことになりました。
午後4時過ぎに那須方面に向けて発車。街は夏祭りムードで浴衣姿の人達で賑わっていました。途中のスーパーで食材をドッサリと買い込み那須岳の麓にある温泉旅館で再会の宴会がはじまりました。那須岳は1917mと標高も低く難易度も厳しくないためか出会いから今までの絆について遅くまでお喋りが続きました。
★★★★★★★★★★★ この夜は出会いから今までの絆について遅くまでお喋りが続きました ★★★★★★★★★★★
▼殺生石を観光しました
翌朝はポッチーの宿泊する宿に立ち寄り、リジュ君の細やかな配慮のポッチー弁当を受け取りロープウエイ乗り場へ移動することにしましたが途中にある殺生石に立ち寄りました。北海道登別によく似た風景です。入り口から、左右の歩道を挟んだ真ん中が「賽の河原」です。緑に包まれた山並とは対照的に不思議な世界が広がっています。右側には「盲蛇石」「無限地獄」「湯の花採取跡」、左には「野仏群」「千体地蔵」「教伝地蔵」、そして歩道を200メートル直進すると「殺生石」が鎮座しています。
那須岳ロープウエイ
殺生石を出発して那須岳駐車場に到着しました。駐車場は、ほぼ満車状態でしたがロープウエイは順調に動いており、待ち時間なしで乗れそうです。山頂駅までならばポッチーも那須岳の雰囲気を味わうことが出来、途中まで一緒に少しだけ登ることにしました。
ポッチーの見送りを受けて那須岳1917mの山頂を目指しました。以前来た時は小学生の遠足で子供達がいっぱいだったことを思い出していました。懐かしいです。一度登った山には二度登ることは少ないのですが今回の目的は三斗小屋温泉のため取り敢えず那須岳に挨拶をしたと言うところでしょうか。
▲那須岳1917mの山頂
 ▲智&里樹の名コンビ  煙草屋旅館の 露天風呂
峰の茶屋に下っていき、そこからさらに三斗小屋温泉に向けて下って行きます。三斗小屋温泉は栃木県と福島県の境目辺り、那須岳の山中にある歩いてしか行けない温泉。なぜこんな場所に宿があるかというと、会津中街道が通っており昔は旅人が行き交うそれなりの街道だったのです。峰の茶屋から延命水を経由して3時間ほどで煙草屋旅館に到着です。三斗小屋温泉は那須温泉郷、那須10湯のひとつです。延命水の水場で休憩です。美味しい湧水らしいのですが私はネパールの湧水で腹痛を起こしてからはどんなに美味しい水でも腹痛の辛さを思うと飲まないようにしています。延命水からわずかの時間で小屋が見えてきました。昔は5軒の宿で栄えていたらしいですが現在では2軒の営業のみとなっています。テン場には色とりどりのテントが張られていました。軒先には大きな蜂の巣も・・・「刺激しないでください」とテンと泊の人に言われて、そーっと通り過ぎ、この日の宿の「煙草屋旅館」に到着しました。私達が予約できたのはキャンセルが出た直後だったらしく、ほぼ満室状態です。無理にギューギュー詰めにはせずグループごとに部屋を提供してくれていて山小屋とは違う・・旅館です。露天風呂は混浴なのですが時間制で女性専用の配慮もありゆっくりのんびりと露天風呂を楽しみました。

夕食は太鼓の合図で一同食堂へ。テーブルは無くて珍しいお膳方式です。山のごちそうは残さないのがルールです。美味しくいただきました。部屋に戻ってからはロープワークを始めました。なかなか会う機会がなく山へのハードルを上げるためにはロープワークをしっかりと身に付けねばなりません。宿の柱にロープを縛り実技講習です。熱心に耳を傾けしっかりと習得したと思いますが・・・忘れてしまわないためには日常常にロープを触ることをアドバイスしました。

午後9時の消灯でぐっすりと眠れました。イビキがうるさくて眠れなかった人がいたらゴメンね。
21時消灯ですぐに眠りにつき、目が覚めたら窓の外が明るかった。時計を見ると4時15分。隣の里樹が起きるのを待って露天風呂へ…昨夜も寝不足だあ JON
朝7時30分 煙草屋旅館を出発です
爽やかな朝を迎えました。入口で記念撮影を済ませ、昨日一気に下った道の登り返しです。暑い、暑いと言ってるうちに峰の茶屋が見えてきました。下る事2時間で峠の茶屋に到着です。茶店のおばさん達の勧誘に心を奪われそうになりながらもポッチーの待つ旅館へ行き入浴を済ませました。
「天皇の間記念公園」
「せっかく栃木県に来たんだから日光東照宮へ行こうか」と、智&里樹からお誘いをいただきましたが、あまりの暑さが私達の足を鈍くさせて塩原温泉にある「天皇の間記念公園」に立ち寄ることにしました。
天皇の間記念公園は、明治、大正、昭和の三代にわたり、大正天皇、昭和天皇をはじめ高松宮殿下、三笠宮殿下など多くの皇族の方々が避暑地として訪れ、利用された
「塩原御用邸」の「天皇の間」を昭和56年に現在の場所に原型のまま移築し保存してあるものです。
 宇都宮町はお祭り一色です
大阪行きの夜行バスの発車まで時間がたっぷりあるのですが暑くてどこに行く気もしません。リジュランドで、まったりとした時間を過ごし駅前で夕食を済ませ、岳友の見送りを受けて21時20分発の夜行バスに乗り込みました。山と観光の2本立ての今回の旅も天候に恵まれて楽しい車中泊2回、麓の旅館泊1泊、三斗小屋に1泊とカラフルな楽しい旅でした。
  クリックしていただきますと写真集がお楽しみいただけます   
  感   想
 ●ひ め
突然の企画でしたが暑さからしばし逃げることができました。どこに行っても沢山の人出の中を三斗小屋温泉は穴場だったように思います。行きたいと思い続けているならばどこにでも出かけて行きたい。加齢に伴い、こうして動き回れるのは限界があると思います。次に行きたいところは「石鎚山」に行ってみたいと思っています。(まあ来年の話ですが)。石鎚山は2度ほど行っていますが個人山行ではなく団体のスタツフとして行ったので楽しかったと言うイメージがないのです。登ったという達成感がないのです。希望が叶えられるように体力を低下させることなく日々頑張って生きていきたいと思います。友情に感謝の旅でした。ありがとう!
 ●ポッチー
到底山に登れるはずはありませんが「傍に行くだけでも、見るだけでも」と勧められて同行しました。山の傍まで来ると2年前まで自分も山に登っていたことを思い出しました。チャンスがあれば留守番ばかりせず出かけてみたいと思います。色々気を使ってくれてありがとうございました。一人の温泉宿もたいくつせずに待っていられましたよ。
 ●JON
年とともにだんだん登れる山が限られてきます。若者のサポートには非常に心強いものがあります。息が切れない程度にゆっくり歩いてもらい何とか下山できました。
温泉は三度も入ることができたので文句はありません。もう少し近場にあればいいのにね。
 文:美智子姫00