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宮本武蔵、荒木又右エ門も訪れた武芸の里
▲円成寺
▲柳生街道は命のやり取りが多かったのか…野仏や地蔵が多い
 気合を入れ直し午後の「滝坂の道」コース12kmを出発しました。山道に入って行くと、なだらかな石畳を歩き円成寺の墓地にでました。山道が続き下り坂となって、茶畑が見えてきました。民家の軒先には無人のお茶や干シイタケの販売などがありました。しかし、すぐに食べられるもの以外は欲しくても荷物になるし、みんな興味がなさそうです。
▲峠の茶屋
江戸時代当時のままの峠の茶屋が見えてきました。家屋の中から笑い声や話し声が聞こえていましたが天戸が閉ざされており名物の「草餅」を買うことはできませんでした。残念です。その先で道は二股に分かれていました。迷わず「地獄谷コースへ」
▲地獄谷へ下っていきます
地獄谷は道が細く雨の時は滑りやすく危険。石段やら、両側が切立った細い道が延々と続き、やっと最初の石物「地獄谷石窟仏」までたどり着きました。岩をくり抜いた石窟で仏像が彩色されていました。「聖」が住んでいたという「聖人窟」、釈迦如来、薬師如来、一面観音などが刻まれていました。地獄谷を歩き終えたところが開けており、そこには大きな「首切地蔵」がありました。ドライブウエイから来る道と交差しています。「首切地蔵」は首に切れ目が入っており、荒木又右衛門が試し斬りしたという伝説があります。
▲地獄谷石窟仏
▲首切地蔵
首切地蔵にはトイレもあり休憩所もあります。上には車道もあります。私達は石畳が敷かれた「東海自然歩道」をいきました。ここらへんは「滝坂道」と呼ばれ、江戸時代中期に奈良奉行により敷かれたそうです。昭和のはじめまで柳生方面から奈良へ米や薪炭を牛馬の背にくくりつけて下り、日用品を積んで帰っていくのに使われたそうです。石畳の道は滑りやすく危険で油断をすると踏外して捻挫をしてしまいます。石畳の道は「見るには美しく、歩くには滑りやすい」
▲朝日観音 ▲夕日観音 ▲寝 仏
「だんだんゴールに近づいてきたね」地図を広げると、ゴールまで残りわずかだと言うことがよくわかります。朝日観音が川の向うに見えて来ました。中央の仏は観音ではなく弥靭仏 左右は地蔵仏でだそうです。この石窟には1265年、鎌倉時代の石彫の代表的なもので、夕日観音と同じ人が造ったと言われています。「夕日観音」の案内板がある場所から見えるのは上の二つの三体地蔵と地蔵菩薩磨崖仏です。その二つの石仏の更に高いところに来迎印の阿弥陀如来像はあります。 鎌倉中期の作で像高1.6m胸に卍があり来迎印を結んでいるそうです。「寝仏」もありましたが説明を受けないと理解しづらい感じがしました。(仏が刻まれているのは裏側だそうです) 
石灯籠のある所へ出るとやがて集落が見え奈良市街へ入って来ました。民家のある街並みに出たのは午後5時をすぎていました。あとは五重塔めがけて歩いていくばかりです。途中で2匹の鹿に出合い「おおっ!出迎えごくろうさん!」と声をかけて疲れた身体を癒やしてもらいました。 
五重塔前の柵のところに鹿が並列駐車の様に柵に、もたれ掛かり仲良く並んで休んでいました。「背もたれがあると安心なのか?」「近鉄奈良駅」の文字が目に入った途端、ドッと疲れが襲ってきました。鹿と観光客であふれかえる公園には一匹の鹿もおらず既に寝床へと帰ったのだろうか? 
奈良駅前の商店街に入り反省会兼夕食を済ませて電車に乗り込みました。西大寺駅で靖ちゃんと別れてからは、ビールの力を借りて早々に爆睡しました。気が付いたのは「次は~ツルハシ~ツルハシ」の車掌さんの声でした。21km歩くのは長すぎるなぁ・・・(かと言って剣豪の里コースだけで終わるには勿体ないなぁ)
 近鉄電車ハイキングマップをご参照ください
 【姫の感想】
「三人寄れば文殊の知恵」と申しますが私達の場合「四人寄ればタクシーの知恵」だと思っています。今回はバスに間に合わなかったのもありますが最初からタクシーに乗るつもりで有れば時間ももっと融通がついたのです。バス代950円を支払うのであればタクシー利用も贅沢ではなく上手な利用だと思っています。そんなわけでたっぷりと柳生街道に浸かってきました。見どころも多く土の道、木立の中と自然もたっぷり味わうことができました。21kmコースは少々長かったかな・・寄る年波には勝てません。
 文:美智子姫  
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