腰抜田
南北朝の頃、大塔宮護良親王は北朝方の手を逃れ、一時十津川郷に難を避けられ五百瀬を通過されようとした時、五百瀬の荘司[しょうじ]に行手をさえぎられた。
壮司は宮の通行を認める代りに「家来か錦の御旗を置いて行け」と要求した。
宮は大事な家来を置いていくわけにはいかないと、止むなく錦の御旗を置いて通行を許された。暫くして宮の一行に遅れた家来の村上彦四郎が荘司の館[やかた]を通りかかり、錦の御旗のあるのを見付け、大いに怒り、壮司の家来を水田の中に投げとばし、錦の御旗を奪い返して宮の後を追った。
その時、投げとばされた家来が、腰を抜かしたのでその田を腰抜田[こしぬけだ]というようになったという。
腰抜田は明治の大水害によって埋没し、現在は歴史を秘めたまま川底にねむっている。 |
三田谷から三浦口に向かう途中に「五百瀬」の集落があります。この集落の道路で寝そべる一匹の犬が、我が道だと言わんばかりに吠えまくりました。
この「コロ」と言う犬とは一緒に三浦峠を登ることになったのですが詳しい物語は写真とともに別編でお伝えします。「そんな話、うそでしょ!」と言われないために、しっかり写真を撮ってきました。コロの話は「別編コロ物語」をご覧下さい。 |
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▲名犬コロ |
▲三浦峠口 |
▲五百瀬の船渡橋 |
三浦峠に登る前に自動販売機を見つけジュースで喉を潤し、不思議な出会いの一匹の犬と一緒に「三十丁の水」と言う給水場所までゆっくりと登ることにしましたが思うように足が進みません。
昨日の疲れが残っている様子です。「そんなこと関係ないわ」って言う感じでポチとコロは姿が見えないくらい先を歩いています。「三十丁の水」まで先に到着したポチとコロはリュックを降ろし迎えに戻ってくれました。ポチにリュックを預けるのですが急に軽くなったせいか、体が宙に浮いた感じがして空身になっても思うように前に進めません。わずかな間でしたが、どうにかこうにか水場に到着することができました。 |