レスキュー 1   Yamatabi Club
夏山登山   白馬岳・ヘリコプターレスキューの顛末
 これは あるウオーキング協会のサポーターで同行した時の救急の状況です。
 
傷病者を引いて葱平へ
 医師にみてもらい、常駐隊員と救助の相談
 救助要請松本空港よりヘリ飛来
 ホバリング状態でドアが開けられる
 救出順序を相談する常駐隊員
同伴者からヘリの中へ
次の指示を受ける
 続いて傷病者をヘリの中へ
 傷病者のザックを収容
 同伴者のザックを収容
 収容完了
松本市内の病院へ
写真提供:久保公一氏 
  トラック立ち往生事故のあおりを受け、猿倉山荘までバスが入れない。
白馬山荘の荷揚用ヘリポートを借り、そこを旋回場に貸切バスがどうにか入れるようになるまでに早朝の1時間を費やした。。
ヘリポートから猿倉山荘までおよそ1.5kmの歩行。良いウオーミングアップになった。
猿倉山荘で充分休憩をとったあと出発。砂防工事専用道路をショートカットする登山道に入り、全員歩調をあわせゆっくりと進んでいく。やがて砂防工事専用道路と再び合流。ここからアルプスの景色が開けてくる。鑓温泉への分岐を過ぎ白馬の稜線を望みながら歩く、全員元気な様子。長走沢の木橋を越えるとほどなく砂防工事専用道路の終点、ここから細い登山道になり、白馬尻小屋までは沿面距離およそ600m標高差130m。
登山道に入ってまもなく女性Aさんに足攣り発生、マッサージを施しエアーサロンパスを吹きかけ、アイゼン、レインギアなどの荷物を軽減して白馬尻小屋まで歩いてもらい様子を見ることにする。
山野草を見るため歩いたり止まったりしているうちに、歩行リズムを狂わせたものと思われる。(本人はそうとは思えないとの後日談。では原因は?)
9:20 白馬尻小屋到着。女性Aさんから状況を聞いていると、2班リーダーから、男性Bさんが「山行中止」を訴えているとの連絡を受ける。白馬尻小屋の休憩所で聞き取りをする。
「睡眠不足か、吐き気がして登れない。ここから下山して列車で帰りたい」とのこと。呼吸が乱れ嘔吐をもよおしているが、はっきりと受け答えをしてくれる。無理をしてもらう訳にはいかないので、1時間以上休憩をしてから下山してもらうように指示する。夜行バスによる睡眠不足と車酔いがあったものと思われる。
10:00 白馬尻小屋と白馬大雪渓入り口の間で、足が攣った男性Cさんが休んでいた。「足が攣って歩けない」という。歩き出してから標高差350mほどしか登っていない。沿面距離にしても4.3kmほどしか歩いていない。こんなところでバテていては頂上を踏むことは難しい。この男性にもマッサージを施しエアーサロンパスを吹きかけ手当てをする。白馬尻小屋で下山のために休憩をしている男性と同行して下山するように勧めるが、
「登りたい、連れて行ってほしい」とのこと。登山靴も履きこんでいる様子でもあり、本人のたっての希望。ゆっくりと歩いているうちに回復することも多々ある、再び歩いてもらいながら様子を見ることにして大雪渓入り口を目指す。
大雪渓入り口では全員アイゼンを着け終っていた。
ここでCさんを元の1班に戻ってもらい1班のリーダーに引き継いで全体を見ることにする。
大雪渓の歩行が始まり、全員隊長に続く、副隊長の1班、H参事の2班、H理事の3班の順に大雪渓を登っていく。雪渓を半分ほど登ったところで、隊列の動きに異変を感じる。先頭の歩行速度が極端に遅い。1班がおかしい、足の攣った男性がいる班である。
「班員の中にバテた人がいないか、班長は確認してください」トランシーバーで呼びかけをするが
「異常なーし」「異常なーし」「異常有りませーん」
各班大丈夫との返事がトランシーバーを通して返ってくる。異常ないようなので歩を進めるがどうも前の様子がおかしい。ラストから見てみると、3班は全員元気なのがわかる。「2班は大丈夫ですかー」と再度交信すると「大丈夫でーす」と返ってくる。「1班は大丈夫ですか。荷物の分散をして調整してください」再度交信するが「大丈夫でーす」とリーダーからの返事。そんなはずは無い、絶対におかしい。「1班を下げてください。2班を前に上げてください」そうお願いし、2班に前に出るように指示をするが、2班のリーダーは躊躇している。雪渓の急坂を息を切らしながら先頭に行くと、やはり足の攣ったCさんが喘いでいた。
2班のリーダーに「どうして前に出ないのか」との質問に対し「1班のリーダーである隊長が『前に行くことはならん』と言われました」とのこと。こんな危険なところで50人近くの人間をだらだら歩かして良い訳は無い。早く葱平まで上がってもらうほうが安全である。
隊長に1班のリーダーを代わってもらい、副隊長とCさんにルートから外れるように指示をして3歩ほど横によけてもらう。一名参加者が協力して続いてくれる。
隊長率いる1班が通過し、2班が通過するとき、参加者のS氏に協力を仰ぐと快く応じてくれる。3班が通過する時、参事のO氏がザックの携行をかって出てくれた。アンカーのH理事がブレーキになっている男性に意思確認する。
「登りたい」との返事。登ることにして再度歩行を開始する。
ゆっくりと登っていく。
意思確認をしながらの歩行。「大丈夫ですか」本人は「大丈夫です、頑張れます」の一点張り。副隊長に下山を促すが「本人の意思を尊重してやってくれ」との返事。

この頃、白馬尻小屋で登山を断念し下山を覚悟していた男性Bさんが
「気分が良くなったのできました」と追いついてきた。体調を聞くと「休憩している間に良くなりました、もう大丈夫です登れます」と自信たっぷりに話してくれる。良かった。
雪渓も葱平が近くなると傾斜がきつくなってくる。滑る回数が増えてくるのでCさんをシュリンゲとロープで確保して転倒しないようにして登っていく。
ザックを担いでくれているO氏も辛そうである。雪渓も終盤になると落石の危険がでてくる。雪渓上部では葱平が一番安全なためそこまで引き上げることにするが、直下の雪渓上部は荒れていた。
ランドクラフトも大きく荒れているようす。近くまで行くとシュルントが大きく口を開けている。その口にそってS字に渡っていくのだが、もしここでCさんが転倒してロープが振られたら確実に雪渓に中に落とされてしまう。同じ方向に落ちたらロープで繋がっている二人は、命が無いかもしれない。命があっても大怪我をするだろう。後ろが落ちた方向とは反対に跳ぶ決心はついた。ロープを短くし、注意を促して割れ目と割れ目の間を歩いていく。ただCさんが転倒しないことを祈るのみ。Cさんの状態を確認しながら歩を進める。僅かな時間、僅かな距離だが今回の山行で一番緊張した時だった。葱平に上がる急階段を引き上げるときは自分自身限界に達していた。「お疲れさん」「ご苦労さん」先に到着していた参加者の声が耳に入ってくるものの、誰が言ってくれているのか判別ができないほど目前が真っ暗になっていた。傷病者を桟道の枕木に座らせ、ロープを解除してザックを降ろしたとき一瞬バランスを狂わせ体がふらついた。何とか立て直そうともがく。その時、参加者の女性がズボンを掴んでくれたのは覚えている。あれが無ければ10m近く転落していたかも知れない。この瞬間に我に返った時だったような気がする。
同行のH先生の診察が始まる。脈をとり、瞳孔を診察、血色、呼吸と看てくれる。「貧血をおこしている。横にさせよう」
現地で監視していた長野県山岳常駐隊のN隊員が、昭和大学医学部の夏山診療所の職員が村営頂上小屋にいるから派遣要請をしてくれるという。ヘリコプターを要請するにも数値が必要になってくる、ただ「バテました」では緊急救助の対象にはならないのである。しばらくすると3人の職員が診察器具を持って駆けつけてくれた。問診、触診と始まった。医師は無線で診察データを送信しながら指示を仰いでいるようだ。
本人はヘリコプターによる下山を希望している。
常駐隊員はパーティによる下山をすすめてくる。

ここから常駐隊員の無線、携帯電話、医師の無線などで長野県警山岳救助隊とのやりとりが始まった。この矢面にたったのはH理事だった。相手の声は聞こえてこないが察するにかなり叱られている様子。当然だろう。こんなことでヘリコプターを要請していてはキリが無い。
ここに到着したのが13時頃だったから、もう一時間半ほど経っている。Kさん、Mさん、隊長、H理事、私と医科大の医師3名と常駐隊員だけである。
他の参加者は副隊長の指揮のもと山頂を目指していた。AさんもBさんも元気に登って行った。
「Cさんは自力で下ろすしかないなぁ」
この頃になると何とか自分の体力も回復してきていた。物事を冷静に判断する力も戻っていた。どの方法が良いだろうか。

どの方法なら私たちの体力で馬尻までたどり着けるだろうか、私は持っている装備を頭の中で確認した。本人を歩行させサポートする方法、背負って搬送する方法、ネット担架を使う方法、あとはザックを馬にして座らせ、滑らしながら下る方法である。いずれの方法にしても人数はいるし6本爪アイゼンでは踏ん張りが利きにくい。12本爪を携行していなかったことを反省する。今日背負っているモンベルの「グラナイト刄pック 40」は背面に大きな樹脂のプレートが付いているのでそれをソリにしてザックで馬を作りそれに座らせ、後ろと両横でロープで引きながら滑走する方法に決めイメージはできた。
自力下山の意思を隊長とH理事に伝え、会の指示を待つことにした。


そして16時ごろ民間機なら飛ばせるという結論が出た。
ただかなりの請求がくるだろう。遭難対策保険が適用されればいいのだが。
葱平傾斜がきつくヘリのローターが雪渓に接触する恐れがあるので、もう少し下ろすことになった。
傷病者の腰にシュリンゲをとって腕を肩に担いで歩行する。後ろからN隊員がロープでサポート、サイドの振れをKさん、Mさんがフォローしてくれる。Cさんの重い荷物はH理事が背負って出発。再び登ってきたランドクラフトの上を通過しなければならない。アイゼンを着けずキックステップで歩いていく。ここもどうにかクリアしてレスキューポイントへ。1.5kmほどは下ってきただろうか、振り返ると葱平は遠くなっている。ここでレスキューポイントを微調整。少しでも傾斜の少ないところを選んで移動する。この時、N隊員はアイゼンをつけず背負い搬送で移動してくれた。これは凄いことだった。確実な歩行技術とこの場所で人を背負える体力に敬服した瞬間だった。
ここでN隊員から救助時の注意について説明を受ける。体はできるだけ低く、絶対に立ち上がらない。機体が横ブレするからヘリの脚には充分注意すること、ヘリのローターに接触するような事態が発生したら大変であることなど。
 写真提供:鹿島秀元氏  
レスキューポイントに待機して凡そ10分。「只今鑓温泉上空を通過」パイロットから無線が入る。そして間もなく上空に東邦航空のヘリコプターが姿を現した。「上空に機体を確認しました。よろしくお願いします」N隊員が応答する。馬尻の方に機首を向けると大きく旋回して高度を下げレスキューポイントに向かってきた。近づく機体に一瞬ひるむ。向かってきた機体は私たちの直前で機体を横に向けホバリングをした。ドアが開く。中にはパイロットと二人の救助隊員の姿が確認できる。先ず同伴する隊長を機内へ、続いて傷病者を乗せる、次に傷病者のザック、N隊長のザックを押し込む。ドアが閉まる。再び機首を私たちのほうに向けると少し上昇し、踵を返すように馬尻の上空へ消えていった。この間2分間の救出劇だった。
これから白馬山荘を目指して登らなければならない。ザックを置いてある葱平までもだいぶある。重い足を引きずりながら歩き始めた。この頃ランドクラフトの上は別の常駐隊員の手によってロープが張られ通行禁止になっていた。
この夏大雪渓を最後まで登ったのは私たちで終わった。明日からは雪渓上部を避けて秋道を歩くことになる。
この道すがらN隊員が「何事も諦めてはいけませんよ。がんばって良かったですね」ポツリとつぶやいた一言は、H理事の長野県警山岳救助隊とのやりとりに対しての評価だったと私は受け止めた。しかしその陰にK氏、M氏をはじめとする多くの協力があったことを忘れてはいけない。
 安全な団体登山について
 ・入念な説明会と数回のトレーニング山行が必要。 ( いずれも行われていなかった )
 ・スタッフ数。レシオは5:1。+3人は必要と思われる。( スタッフは5名この中で本格的山岳経験があるのはH理事だけ )
  K氏、M氏の協力が無くては更に大変な事態に陥っていたと考えられる。
 ・スタッフの登山技術の向上。 ( 体力、登攀技術、山岳知識、精神力など )
 ・スタッフのレスキュー技術の向上。 ( ファーストエイド&セルフレスキューの知識 ) 
 ・ウオーキングとクライミングの違いの認識。
 ・完全な登山装備の装着と携行。夏の白馬大雪渓といえどもリーダーと数名のスタッフは10〜12本爪のアイゼンとピッケルの携行は必要。
 ・それらが無ければセルフレスキューは行えない。ロープの携行は言うまでも無い。
 ・任務分担の明記。どのような事態が発生しても対処できるように確認しておく必要がある。