3月5日(金曜日)、山小屋のスタッフに天気を問うと「ご自分で確かめてはどうですか」とのことでしたので外に出ると「くもりのち曇り、やがて更にクモリ」模様ですが、とにかく行けるところまで行こうと言うことになり最初の目標であるオーレン小屋へ向けて出発することとなりました。当初計画ではオーレン小屋から、夏沢峠を通り、箕冠山、根石岳(2603b)をめざす予定でしたが、小屋のオーナー浦野さんからアドバイスをいただきました。
「オーレン小屋から箕冠山を通って根石岳へ登り、帰路に箕冠山から夏沢峠に下るほうが硫黄岳を正面に見ながら歩けるのでその方が良いですよ」
景色の良いのは私達が復路にしていたコースということで急遽、夏沢峠を、復路にすることにしました。八ヶ岳連峰は夏沢峠を境に南側を南八ヶ岳(狭義の八ヶ岳)、北側を北八ヶ岳と呼び、根石岳はこの北八ヶ岳の最南端に位置しています。
無理をしないと言うことで 「楽々コース」を設定しました。体力に合わせて折り返すコースを作り、隊長をポチにお願いすることにしました。オーレン小屋までは往復同じ道につき、道標のリボンを頼りに先に戻ったら温泉に浸かっててもらうという予定でしたがオーレン小屋に到着した時の状態を見ると「楽々コース解散!」みんな元気!元気!全員根石岳を目指しまーす。
休憩後、全員で根石岳の頂上を踏むこととして、ゆっくりと確実な足どりで進むことにしました。名水「オーレン強清水(こわしみず)」は冬場は凍り付き看板だけを確認することしかできませんでした。「美味しい水が飲めるよ」って言っちゃったけどごめんなさいね。樹林帯の中を登っていると「くもりのちくもり」の合間から太陽が顔を出してくれました。空を見上げると、限りなく青く、雲ひとつ無い晴天と変わっていたのです。「姫〜、帰ったらテルテル坊主にお酒あげててね」「ラッキー」「暑いなぁ」とみんな口々に素晴らしい天候に驚いています。風の無い箕冠山(2590b)にリュックをデポし、八ヶ岳で最も強風が吹くと言う根石岳に向かいます。箕冠山から一度根石のコルまで降りて、更に登り返すことになります。
前をサスケ先生、後ろを姫で30bのロープをくくり根石のコルからの強風に備えます。コルへの下り、格好の尻ソリコースがあり思わずロープで繋がれていることを忘れてすべってしまいました。ソリはコルの場所に大きな石を置きデポしておきました。

「立ってられへ〜ん」「飛ばされる〜」「キャーッ」「おっとっと」14人全員が初めての体験する強風にあおられ驚きの声を口々に発していました。喜久ちゃんの帽子がアッと言う間もないくらいに吹き飛ばされて谷底に落ちて行ってしまいました(誰ですか?名前書いてたら戻ってくるって?アホ!)スワミベルトに装着したカラビラをロープにセットし「一蓮托生」ではありませんが安全を確保して強風の中、根石岳頂上を目指しました。風速18b(あくまでも姫の体感)、2603bから見る山々は圧巻でした。感動でした。
何よりも最後まで登り切れた楽々コースのみなさんの努力に心から拍手を送りたい。この感動があるから、山に登りたくなるのです。北西方向の遠くに見えるのは燕、大天井岳、常念岳や蝶ケ岳を有する常念山脈。その奥には槍ケ岳から穂高への峰峰が西方向まで続く。西方向には乗鞍岳と御岳山。南西の方向には仙丈ケ岳、甲斐駒ケ岳、北岳が並んで見える。その奥に連なるのは南アルプスの峰峰。鳳凰三山は阿弥陀岳の山容に阻まれて確認できない。ほぼ南方向に富士山が位置しているのだが残念ながら硫黄岳の影に隠れて見えませんでした。南南東の方向から東にかけて秩父の山々が春霞の中にぼんやりと浮かんでいる。まさに360度の大パノラマ。この絶景は生涯忘れることはないだろう。
強風からの脱出は14人、一致団結して転倒しないようにロープを張ったり、ゆるめたりしながらリュックをデポしてある箕冠山まで戻りつきました。「あ〜こわかった。でも楽しかった」これがみなさんの感想です。箕冠山から夏沢峠に向けて下山することとなりました。硫黄岳が後ろから前からとずっと付き添ってくれているような景色を楽しみながら夏沢峠に戻りつきました。風のないところを選んで昼食をとることにしました。「ヒュッテ夏沢」や「山彦荘」などの山小屋は冬の時期は閉鎖していますが夏になると硫黄岳登山者や林間学校の子供達で銀座の賑わいだといいます。本日は、やまたび専用。
昼食後はオーレン小屋めがけて下山します。全員同じ足並みで、すこぶる快調の様です。太陽が燦々と降り注ぎ半袖でも歩けるほどの温さです。オーレン小屋まで戻ってくると小屋までの時間が計算できるため、ソリ遊び、地図読み、雪洞堀りなどで時間を費やしゴールの夏沢鉱泉へむけて帰ることにしました。往路につけた道標のリボンを回収しながら下山していたその時!またやっちゃいました。ズボッ!左足が太股あたりまでスノーシューもろともズッポリとはまってしまったんです。丁度、先頭を歩いていたジョンが写真を撮るために後ろに回り、サスケ先生は尻ソリに夢中で列から少し遅れていて発見してもらうことができました(笑)平成20年の5月、立山へスノーシューに行ったときのことでした。雄山の頂上から降り社の前で昼食を取ろうとしたとき、右足が太股までズボッと雪の穴にはまったことがありました。「助けて〜抜けない〜」と叫んでみても「冗談や」と決め込み誰も助けてくれませんでした。通りがかりの若者が堀り出してくれました。
「雪の穴 片足ぬけず 雪地獄 助け呼ぶ声 雄山にこだま」と詠んだことを思い出しま
た。八ヶ岳バージョンは「雪の穴 行きはよいよい 帰りはズボッ 姫はまだかと 聞かれたら 埋もってござるとサスケ言う」まあ何歳になってもスノーシューは楽しいスポーツです。
山小屋付近でソリ遊びを楽しみ、温泉に入り、ご馳走を頂き、それぞれの部屋で、おしゃべりしたり、酒盛りしたり、人生を語ったりと過ごしていた様子です。
3月6日(土曜日)、出発までの時間を、山小屋の周辺を散策することにしていましたが、あいにくの雨と前日の満足感からか、誰も合羽やスノーシューを濡らしたくないという思いから食堂のスペースを借り、おまけにコーヒーとココア、紅茶のサービスまで受けて、ビデオ鑑賞をすることにしました。午前10時30分に雪上車で茅野駅まで送ってもらえることになっています。小雨の中、山小屋の少し上の位置にある避難小屋に行ってみることにしました。階段は氷結してツルンツルンです。登りは何とか行けましたが下るにはアイゼンが必要です。大きな長靴を履いて、おそるおそるやっとの思いでおりてきました。根石岳より怖かったよ〜
お迎えの雪上車と全車輪にタイヤチェーンを巻いた車で「おやじの橋」まで下り、ここでライトバンに乗り換えます。勿論荷物の移動はバケツリレー方式です。茅野駅着12時で16時発まで時間を潰すことになります。食事をしたり、土産物を買ったり、地元消防団の吹奏楽を聴いたりして、やっとバス乗車となりました。
往路のバスと同じく私達以外は4人の客しか乗っていません。ひとり「変なおじさん」と思える人物が最前列に居り、気にかかっていましたがやっぱり変なおじさんで「うるさ〜い!」と怒鳴られてしまいました。路線バスと貸切バスの違いを肌で感じ取り、その後は何か窮屈な空気に包まれてしまいました。いい教訓ちゃあ教訓ですが、やっぱり「変なおじさん」でした。

京都深草20時30分(予定20時59分)靖ちゃん降車。桃山台21時06分(予定21時35分)サスケさんとうららさん降車。新大阪21時18分(予定21時45分)淳ちゃんとよし枝ちゃん降車。終点梅田21時29分(予定21時54分)到〜着。全員降車で〜す。

20分以上も予定より早く家路に着くことができました。今回も「安全登山」にご協力頂きありがとうございました。「参加して下さる皆様がいるからこその、やまたび倶楽部」です。ありがとうございました。 
 
 (おまけ) 八ヶ岳の伝説
  『大昔、赤岳の神様「磐長姫」と、富士山の「木花咲耶姫」がおりました。
木花咲耶姫はいつも、「私の方が赤岳よりずうっと背が高く美しい」と自慢ばかりしていました。それを見かねた、峰の松目の如来様が「水裁判をしてやろう」と思い、赤岳の峰から富士山の頂上に長い樋をかけ、夏沢の水をそそぎました。
すると水は富士山の方へ勢いよく流れ下り、赤岳の方がはるかに背が高いことがわかると富士の木花咲耶姫は大変くやしがり、腹をたてて赤岳の峰をけとばしました。
その時の流れた水は、富士の足元、富士五湖に成り、富士の白糸の滝と成り、今日も変わる事なく水をたたえています。又、磐長姫の流す涙は諏訪湖、松原湖、白駒池に成りオーレン強清水になって流れとなり、現在に至っている。けとばされた赤岳は八ツの峰に分かれたそうな。』赤岳の峰から富士山の頂上に樋をかけられるはずがないところが伝説としておもしろいですね。

文:久田美智子 写真:オリオンさん&うららさん
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