8月29日(土)。
この日は比良山系の獅子ケ谷への臨時沢登り山行を終えて帰るなり、岩登りの登攀用具やシューズにハーネスをザックを詰め込んで御在所岳に向かう用意をする。
メンバーは所属山岳会の寛さん、会長、今ちゃん、かず代さん、ジョンと姫の6名。春の雪彦山に同行して以来、かず代さんと姫は久しぶりのご対面。「岩登り、ご一緒しましょう」とお誘いを受けているようなのだが中々スケジュールが合わないのが実情。
御在所岳はチャンスが少ないから「ぜひ」ということで参加することになった。

深夜12時、新名神高速道路・甲南サービスエリアで神戸組みの4名と待ち合わせ。朝の5時まで仮眠をとる。このサービスエリアは新しさもあって実に綺麗。ゆっくりと眠りにつく。
御在所にも秋の訪れ 荒廃した藤内小屋 復興にはまだまだ
北谷は酷く荒れていた ケルンを見落とすとルートが不明に 此処を渡れば藤内沢
8月30日(日)。
4時30分、起床。
空は少し晴れているものの、何だか怪しい気配。とりあえず朝食を済ませ東名阪道・四日市インターを目指す。出発してまもなく大粒の雨に見舞われる。「冗談じゃあない」このまま降り続けられたら笑い話にもならない。新名神高速から東名阪道に乗り換えたころ降雨は華僑を迎えていた。フロントスクリーンに叩き付けてくる大粒の雨。それを掻き分けるように激しく左右に動くワイパー。この雨ではクライミングは絶望的だと誰しも思ったに違いない。四日市インターを出たところで、雨の中を小走りに神戸組みの車に駆け寄り 「どうします。行きますか」 とたずねると、「行くよ」との返事。そのまま湯ノ山温泉方面にハンドルを切る。進むにつれ小雨になり鈴鹿連峰は明るい感じさえする。
「大丈夫かもしれない」そんな期待の中、鈴鹿スカイラインの蒼滝トンネル近くの駐車場に車を停める。早起きは三文の徳。どうにか2台だけ停めることができた。
湯ノ山温泉の街越しに伊勢湾方向をに目を遣ると視界は十分に開けていた。「天気は大丈夫だ」全員気合をいれて準備にとりかかった。

御在所岳・裏道は壊滅状態だった。平成20年9月2日〜3日にかけての三重県北部の集中豪雨で三滝川上流北谷は酷く荒れていた。昔の面影はまったく無く濁流に掘り起こされ、洗い流されてきた白い岩が転がっていた。もう一年もなるというのに、まるで昨日の出来事のように感じた。

昨年9月12日〜15日北岳バットレス・第4尾根主稜登攀を予定していたとき、トレーニングの一環で、一週間前の9月6日(土)に籐内壁・前尾根の登攀を予定していたが、雨天のため中止したことが記憶に蘇ってきた。ちょうどその3日前の豪雨にやられたのだ。
北岳バットレス・第4尾根登攀時に名古屋のガイド氏から藤内小屋の荒廃は聞かされていたが、こんなに酷いものとは思っていなかった。
藤内小屋到着。小屋の前には新しい木材が積まれ、小屋の再建を待っているようである。小屋前の広場では多くの登山者が休んでいた。ある者は水を口に含み、またある者はストーブにコッフェルをのせ朝食の用意をしていた。ここでしばらく休憩を摂り更に奥を目指した。

←ウサギの耳岩 (よく見るとウサギが横を向いているように見えるかな) 
北谷の荒れようはそれまでに増して酷いものになっていた。V字谷は左右が削られその土石が中央部に載積されているため川幅は昔に比べて大きく拡がっていた。大石を縫うように歩いて藤内沢の出合を目指す。川原に積まれたケルンが目印になった。
小屋から僅かな所にある岩塔はウサギの耳と呼ばれており藤内にあるフリールートの中ではよく登られているところである。この岩塔の基部も抉り取られ5mほど取り付き点が下がっていたが 昔ながらに凜として聳えていた。
左岸の山道から北谷を越えて藤内沢に入ったが、藤内沢は荒れていなかった。出合からしばらく進んだ右手の岩尾根、そこが本日の登攀ルート、籐内壁・前尾根である。
ザックをおろし休憩をする間もなくクライミングの用意に取り掛かる。ハーネスを着けガチャ類をセットしてクライミングシューズを履く。六甲山では味わえないような緊張感が走る。
どの方角が取り付き点やら藤内沢やらわからないままに準備が出来た。
「こっちですよ」
寛リーダーの声に促されて岩を乗越すと そこは前尾根の7ピッチ下部のクラックのある岩壁だった。
そうして 前尾根登攀がはじまった。
荒々しい籐内壁の岩場 7ピッチ下のクラックのある岩場
寛リーダー 会長は今日も快調
岩壁を行く会長 今村・会長組 途中の岩場で一休み
下に四日市の町を見て最高のビレイ点 きついなあ 怖いなあ 今ちゃん
やぐらをリードする かずよちゃん ビレイヤー・姫
ルートを読む会長 アドバイスをおくるリーダー
やぐらを行く姫 やぐらを行く会長 籐内壁の一部
姫の御在所岳の感想
「御在所前尾根の岩場を見るだけでもいいから行こう」と誘いを受け鈴鹿山麓へと車を走らせました。大雨で小屋が流されたと言う藤内小屋の前は多くのボランティアの仲間達によって復元されようとしていました。大きな河原のあちこちには大雨の恐ろしい爪痕があちこちに残されていました。
 
御在所岳(標高 1212メートル)の藤内壁は日本三大岩壁と言われています。この岩壁を目の前にして、登り切れるという自信は一瞬にして消えてしまいました。心配していた通り最初の出だしからもたついてしまいました。
チムニーを背中と足のツッパリで上へ登ったり、足も手もでない箇所に出くわしたりしました。何と言っても最後のやぐらと呼ばれる岩壁は一生忘れることは出来ません。
3組の1番目に取り付き、リードの女性クライマーにも、てごわい壁の様でなかなか終了点に到着することができません。やっと「ビレイ解除」の声に、次は私の番だと、手には真っ白になる位チョークをつけ、「どうぞ!」の声を待ちます。いよいよ登ることになりました。
 
最終ピッチの通称「やぐら」を前にして、登りかけはしましたが私の腕ではダメだと諦めてロープをゆるめてもらいました。順番を待つ2組の人達の事を考えると時間ばかり経過するので、横から巻く方法をたずねました。「このコースに巻き道はない」と言われ再び登攀に挑戦することとなりました。無我夢中で登り、何とかあとわずかで終了点と言う手前にきて、どうしても手が届きません。下から「シュリンゲを足にかけて登れ!」と指示が飛びますがシュリンゲにかけた足は前後左右に揺れて、登ることはできませんでした。
下から見守る人達は「何をもたついとるねん」と思ったはずです。しかし私にとって初めての恐怖のパニックでした。
30分以上悪戦苦闘している間に、次の組が上がってきました。会長の姿です。「よし!わしの肩に乗れ」声をかけてくださいます。あとすこしの高さがあれば脱出出来る、その少しが会長肩でしたが思い切って踏み台にしてよじ登りました。
その後、岩場の中に身体を入れすぎて身動きができなくなりました。
リュックが岩場に当たってしまったんです。リュックを降ろそうにもハーネスとリュックのウエストバンドが絡み合い、あがけばあがくほどパニックになってしまいました。
同行した人達に長く時間をかけたことを詫びながらも、降りるに降りれず、登るに登れず、自分で脱出する方法を探す以外に次へ進む方法はなかったのです。どうにか岩棚を使ってトラバースし、次への一歩を見つけたときはフラフラでした。そして何とか脱出した時は放心状態で精根尽きはてていました。

登攀終了後は、尾根を登って一般登山道へ出ますが、この道もかなり険しく岩や木の根を掴んでの尾根筋です。人の声が聞こえてきてホッとしたのもつかの間、今度は長い距離の下り道です。
北谷越しに籐内壁の岩壁を振り返り、あれが今登った前尾根だと告げられても感動どころか脱力感しかありませんでした。
会長とリーダーさん達は帰りの 車の中で 「今回の体験で 私がクライミングから離れていくかも知れない」 話し合ったそうです。